氷人からの「出迎え」
夜の0時。台湾に入って四日目になるが、相変わらず何も無い部屋に閉じ込められたままだ 。
ユエはまだ寝ようともせず、ベッドの上をごろごろと転がっている。まるで子供だ 。
〈ちょっと、昼間に寝すぎなのよ。眠れないのは自業自得ね〉わたしは呆れ果てて彼女を叱った。
「しょうがないじゃん! 他にすることないし、退屈すぎて死んじゃいそう。キビナゴが美味しいのが唯一の救いよ。じゃなきゃ、あたし、とっくに発狂してるもん」
〈……でも、毎食そればっかりで飽きないわけ?〉
もちろん野菜や他の肉類も出されるが、なぜか毎食必ずキビナゴが付いてくる。いくら地元の特産品とはいえ、これでは飽きるのが普通だろう。
「全然! いくら出てきても、あたしは全部平らげちゃうもんね!」
わたしの方は、もう見るのも嫌だというのに。味覚は無いけれど、視覚的に限界よ。ユエの奴、中国にいた頃もそうだったけれど、毎食の摂取量が異常なのよ。おそらく、イヴ・システムが体内の血糖と酸素を駆動エネルギーに変換しているせいで、消耗が激しすぎるかしら?
「ねえ、イーちゃん。あたしたち、あとどれくらい待てばいいのかな?」ユエはベッドに大の字になって尋ねてきた。
〈……おかしいわね。さすがに時間がかかりすぎている。一体どうなっているのかしら?〉
氷人側からは、依然として何の音沙汰も無い。あんな兵器技術を持っているのなら、距離なんて問題じゃないはず。すぐに迎えに来ると思っていたのに、まさか四日も待たされるなんて。まさか赤毛野郎が言っていた通り、ここの氷人は同胞さえも拒絶しているのかしら?
「そういえば、氷人はなんであんなことしたんだろうね?」ユエが不思議そうに聞いた。ここ数日、クイ兄から聞いた「台湾の現状」についての話だ 。
この数日間、食事を運んでくる者とクイ兄以外、誰もここへは足を踏み入れなかった。クイ兄の問いに対し、ユエは「記憶喪失」を貫いて答えなかったが、逆にユエの質問には、クイ兄が包み隠さず答えてくれたのだ 。
ここで、台湾の現状について簡潔に振り返っておこう。
18年前、氷人の移民船が突如として太平洋から台東へと突っ込んできた。そして直ちに特殊な空間を作り出し、台湾全土を隔離した。その数日後、隔離空間内の全目標に対して無差別攻撃を開始したのだ。
攻撃手段は、わたしたちを襲った兵器とは異なり、目標を即座に検知して遠隔で発火、あるいは溶解させる神秘的な兵器だった。そして目標とされたのは、電子機器、電力、蒸気動力など、通電・発電・発熱するあらゆる機電製品。さらに銃火器などの熱兵器、および一切の現代化装備だ。
平たく言えば、近代文明の科学産物はほぼすべて破壊されたということだ。
その攻撃範囲は言うまでもない。澎湖の端っこにいた小舟でさえ、一瞬で焼き払われたのだから。
ただし、例外もある。例えば初期のミシンやタイプライターなど、電気や熱で動かない単純な機械構造は攻撃対象外だった。また、金属製の冷兵器も含まれないため、ここの人々は斧や剣、あるいは弓といった武器を手にしている。
奇妙なことに、なぜかライターやガスコンロといった民生品、さらにはプロパンガスのボンベやドラム缶も無事だった。熱兵器に応用可能な原理なのに攻撃されない。基準がさっぱり分からないわ。
他にも不可解な現象は多いが、一言で言えば、現在の台湾は実質的に地球の十六世紀から十八世紀頃の文明レベルに叩き落とされている。
近代文明の製品がほぼ使えず、中世のような生活水準でありながら、人々の知識レベルは現代のもの。まさに倒錯した世界だ。
さらに妙なのは、その兵器がなぜか生物への加害を極力避けていることだ。人間だけでなく動植物までも。携帯電話や腕時計といった肌身離さず持っていた電子機器が燃える際に巻き添えになることはあっても、原則として不殺を貫いている。
クイ兄の言葉はおそらく真実だろう。そうでなければ、ここに人が生き残っているはずがない。けれど、なぜ赤毛野郎たちの実験や、わたしたちが侵入した際にはあの超高速砲で攻撃してきたのか? そしてなぜあれはここの住民を襲わないのか? やはり基準が理解不能だ。
隔離空間の問題についても、直径約500キロメートルの円形空間内では、左の端まで行くと右側から出てくるらしい。具体的に言えば、船で台湾の左側から中国方向へ直進しても、中国大陸は見えず、最終的にたどり着くのは中国ではなく台湾の右側の陸地なのだ。外の世界とは正反対の状況ね。
まるで、この円形の空間が地球から切り離され、一つの小さな世界として独立しているかのようだ。当然、この世界における陸地は台湾だけだ。
一体、何のためにこんなことをしたのか? 平和を愛するはずの氷人に、一体何が起きたのか? ちなみに彼らはあの兵器を「ビーム砲」と呼んでいる。確かに見た目はそれっぽいけれど、レーザーとか呼ぶよりはマシね。
それにしても、ユエの奴は本当に鋭いわ。一目で八割方正解を当てていた。台湾は今、本当に戦争状態にあり、それが十年以上も続いているらしい。
個人的には、この状況は悪いことばかりではない。クイ兄の話が本当なら、わたしたちの移民船の一隻が台湾にあり、船体が丸ごと保存されているはずだ。ならば氷人の数も相当なものだろう。これほど大がかりな仕掛けを作れたのも納得だ。わたしにとっては朗報よ。あとは氷人と接触する方法さえ見つければ、すぐに安全は確保できる。わたしの仲介があれば、ユエの任務もすぐに達成できるわ。たとえ隔離を解除してくれなくても、死ぬことはない。何より、氷人の技術があれば、ユエの体に寄生しているこのまずい状況も解決できるし、地球人の支配からも脱却できるかもしれない。
ドンッ、ガラガラァッ――――!
突如、扉の外で凄まじい轟音が響いた。
「わわっ!」ユエは飛び上がり、ベッドから跳ね起きた。
何事か?! 地震? 違うわ。何かひどく重いものが空から落ちてきたような音よ。しかも、すぐ近くに。
コンコンコンコンコン――――
……ん? 何、この音。機械の駆動音? 戦車のエンジン音のような響きが、こちらへ近づいてくる。クイ兄の話が本当なら、こんな動力音を地球人が出せるはずがないわ。
〈ユエ、彼らが来たかもしれないわ〉わたしがそう言ったと同時に、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。そこには驚愕の表情を浮かべたクイ兄が飛び込んできた。
「シォユェ! お前、一体何者なんだ?!」
「え、ええっ?」ユエは少し混乱した。
「どうして氷人がお前を狙ってくるんだ?!」
「へえ、えええぇ――?!」
ようやく来たわね! 待ちくたびれたわ!
部屋の外に出たユエの目の前には、地球のSF映画に登場するようなロボットが立っていた。
高さはおよそ250㎝。平屋の屋根に届くほどの高さだ。円筒状の頭部の中央には、眼のような赤外線カメラが一つ。胴体も円筒状で、明らかに有人操縦の構造だ。正面に扉は見当たらないから、ハッチは背後にあるのでしょう。左手には掌が無く、代わりに火炎放射器のような砲口がついている。右手は普通の掌、いわゆる汎用マニピュレーターね。両肩には小型の機銃が備え付けられており、全方位に旋回可能な構造のようだ 。
人間に近い上半身に対し、下半身は……四輪車? 一見するとオフィスチェアのような造形で、四本の脚の先にタイヤがついている。だがそのタイヤは普通のものではなく球状だ。ボールペンの芯のような構造で、前後しか動けない通常のタイヤとは違い、全方位への移動が可能になっている 。
全体のビジュアルを形容するなら、ただ一言。「滑稽」ね。
「わぁー! ははっ! ロボットだ! かっこいいー!」ロボットを目にしたユエは、興奮して叫び声を上げた。
『貴様は何者だ?!』
あら? 中の人が喋ったわ。しかも英語 。
「あれ? イーちゃん、この人なんて言ったの?」ユエが不思議そうな顔で聞いてくる。
〈英語よ。まさかあんた、中国語を覚えた途端、英語を全部忘れたわけじゃないでしょうね?〉
「あ、そうだった。とっさに反応できなかったよ」
『早く答えろ!』
スピーカーから流れてきたのは少年の声だった。しかもこいつ、音量を最大にしているのかしら? うるさくて仕方ないわ 。
「……イーちゃん、この人、子供だよね? 耳が痛いよ。ボリューム下げてって言ってくれない? あと、ライトも消してほしいな。眩しくて目が痛いもん」ユエは手で目を覆いながら言った。
〈自分で言いなさいよ。わたしは喋れないんだから!〉
『僕は子供じゃない!!』
どうやら中国語は理解できるようだが、頑なに英語で返してくる。
パイロットは苛立ちを露わにした口調で続けた。
『貴様、一体何者だ? なぜ我々の平和の印を知っている?』
「それは、その……えーっと、あたしもよく分かんないっていうか、あははは……」ユエも英語で答え始めた。
ちょっと、クイ兄がすぐそばにいるのよ。あまり喋りすぎてはダメ。彼は理解できる可能性があるわ。
『ふざけるな! 僕を愚弄する気か?!』
「ごめんごめん、そんなつもりじゃないんだってば」
『貴様、外から来たんだろう?どうやって侵入した?目的は何だ?なぜ平和の印を知っている?名前は何だ?早く答えろ!』
〈ユエ、ここはわたしに……〉
「さっきから貴様貴様って、ボクちゃん、年上の人には礼儀正しくしなきゃダメだよ?」
〈ええっ?! ちょっと! 余計なこと言わないでよ!〉
相手はもう激昂しているのに、なんでわざわざ挑発するのよ?!
『貴……貴様、何と言った……?』
完全にブチ切れている。明らかにEQが低いタイプね。
「それに、人の名前を聞く前に、自分から名乗るのが礼儀でしょ?」ユエはさらに追い打ちをかける。
『この……殺してやる!』
「ええっ?! 別に間違ったこと言ってないじゃん、なんで殺されなきゃいけないの?!」
あああぁぁ! ユエ! 何てことをしてくれたのよ?! まずいわ、非常にまずい! こいつ、全身の武器をユエに向けているわよ!
『蜂の巣にしてやる!!』
ああ、もうダメだ!
プシュゥゥ―――― ダダダダダダダダ――――!!
いきなり発砲してきた! 終わった……え?
「わわっ! ちょっと待ってよ、なんで問答無用で撃ってくるのさ!!」
ユエが……あの弾丸の雨のど真ん中で……かすり傷一つ負わずに全部避けている! 機銃よ? 距離は十メートルもないのよ?!
「な、何が起きてるんだ?! あああっ!」
隣で悲鳴が上がった。クイ兄の声だ。いけない、何とかしてこいつを誘導しないと、無関係な人まで巻き込んでしまう。
ダダダダダッ――――!!
『なっ……?! 冗談、だろう……?』
超人的な動体視力と反応速度ね……。本当に一撃も掠っていない。これならあのビーム砲を避けられたのも納得だわ 。
「驚かせないでよ、落ち着いて話そうよ!」
銃弾の嵐の中、ユエは跳ね回りながら操縦者に叫ぶ。
驚かせてるんじゃないわ、本気で殺しにきてるのよ!
〈ユエ! ふざけてないで、早く誰もいない場所へ誘導しなさい!〉
周りには人がどんどん集まっている。発砲されているのに、この好奇心は何? 死にたいわけ?!
ドォォォォンッ――――!
ああ! わたしたちの部屋が……いえ、牢屋が! 撃たれて崩壊しちゃったじゃない!
「クイ兄! みんなを避難させて、あたしがこいつを引きつけるから!」ユエは即座に中国語に切り替え、クイ兄に叫んだ。
「え? あ、ああ、分かった!」
クイ兄は脱兎のごとく走り去った。
『くたばれ、クソ野郎!!』
本当に口の悪いパイロットね。
「わわっ! イーちゃん、どこへ行けばいい?!」
〈わたしたちが来た海岸よ。あそこなら人がいないわ!〉
ユエは短く応じると、崩壊した牢屋から一気に駆け出した。わたしたちが上陸した海岸を目指して直進する 。
凄まじい速度だ。周囲の景色が超高速で後ろへと飛び去っていく。まるで空を飛んでいるような感覚だ 。
「着いた!」
ご、5秒。たった5秒よ。止める間もなかった。ユエはあの牢屋から、破壊された小艇のそばまで辿り着いていた。約500メートルの距離をわずか五秒。どんな破天荒な世界記録よ! フラッシュにでもなるつもり?!
〈ユエ! どうしてそんなに速く走れるのよ?! 中国でのテストの時だって、これほどじゃなかったわよ!〉
中国でのテスト中、赤毛野郎はユエに様々な実験を課していた。その一つが走力テストで、当時の記録は100メートル3.14秒。地球人、いや、人間の域をとうに超えていたが、あれが限界だと思っていたのに。
「えー? あたしに聞かれても分かんないよ、そんなのどうでもいいじゃん」
〈どうでもよくないわよ! 後遺症が出るかもしれないのよ? あの3.14秒の時だって、足が痛いって泣き言を言っていたのを忘れたの?〉
『ま、待てッ!!』あの円筒ロボットは、まだ遥か彼方だ。罵声すら届かなくなりつつある。
〈ユエ、こうなったら反撃するしかないわ。何とかしてあいつを落ち着かせないと対話にならない。このままだと本当に殺されるわよ〉
「でも武器がないよ? 走って取りに戻る?」
〈戻ってどうするのよ、このバカ! そもそも何のためにここまで逃げてきたと思ってるの?!〉
「あ、へへ、忘れてた」
ああ、もう……こっちの神経までもおかしくなりそうだわ!
「うっ……」ユエが突然苦悶の表情を浮かべ、呻き声を漏らした。
〈えっ? ユエ、どうしたの?!〉
彼女は砂浜に崩れ落ちた。とても辛そうだ。
「あたし……イーちゃん、足が……急にすごく痛いよ……ううっ……」
〈やっぱり、心配していたことが起きたわ。急激に力を使いすぎたのよ!〉
そこへ、例のロボットのガキが追いついてきた 。
まずいわね。ユエは恐らく動けない。何とかしてあのパイロットをなだめないと、本当に殺される!
『貴様……クソ野郎! 外の人間がいつから超能力を使えるようになったんだ?!』
……「も」? 超能力? どういう意味かしら?
『答えろ! さもないと本当に殺してやる!』
いやいや、さっきから本気で殺しにかかっていたじゃない!
「一気にそんなにたくさん聞かないでよ。こっちだって答える準備が必要なんだから。氷人って、みんなそんなに短気で粗野で怒りん坊なの?」ユエも不機嫌になり始めた。
ちょっと、それってわたしも含まれているわけ?
〈バカ! なんでさっきから挑発ばっかりするのよ?!〉わたしも堪らず怒鳴りつけた。
『短気……粗野だと……? 貴様、僕を侮辱するとは……その上、そんな風に座り込んで、僕を見下しているつもりか?!』
わあ、ものすごい誤解だ! え?
機体の正面が突如として展開し、中から40ミリ口径の砲身が現れた。まさか、グレネードランチャー?! グレネードそのものはユエの脅威にならなくても、爆発の破片と衝撃波は避けきれないはずよ!
『絶対に殺してやる!!』
まずいわ。この時間、この海辺。明かりは微かな月光だけ。しかも機体のサーチライトがユエを直射しているせいで、逆に視界が最悪よ。
「また何するつもり? ちょっと待ってって言ってるじゃん! まだ答え考えてる途中なんだから!」ユエが焦り出す。
『言い訳は地獄で聞いてやる!!』
マジで地獄へ行っちゃったら聞こえないだろう!
ボボボボボボッ――――!!
うわあ! グレネードが発射された! しかも連射、リボルバー式なの?! 台湾に上陸して数日で死ぬの? それもこんな滑稽な死に方で?!
だが、グレネードが放たれた瞬間、信じられないことが起きた 。
[イヴ・システム起動_出力30%]
時間が……止まった……。 世界が一時停止ボタンを押されたかのように静止し、空気さえも凍りついたかのようだ 。
時間が止まった世界の中で、ユエは怪我をした足など構わず、あのロボットに向かって走り出した。途中で宙に浮いている「何か」を左手で掴み取り、ロボットの傍らへ到達した際、それを機体の真下へと投げ捨て、そのまま背後へと突き抜けた。
ロボットの後方約100メートルの地点でユエが止まると、時間は再び動き出した。直後、連続した爆発音が響き渡り、ユエの移動に伴うソニックブームの衝撃波が吹き荒れた。爆発したのはユエが元いた場所だけではない。なんと、あのロボットの足下までもが爆発したのだ。
この時間停止の原理は、すぐに理解できた。実際には時間は止まっていない。ユエが全身の反応速度を極限まで高め、身体を加速させたことで、周囲が相対的に静止しているかのような錯覚を生み出したのだ。
ロボットの足下の爆発は、ユエが駆け抜ける際、空中にほぼ静止していたグレネードを掠め取り、あいつの足下へ投げ捨てた結果だった。
爆発の衝撃で、ロボットの円筒部分は台座の車輪部分から切り離され、一気に吹き飛んでいった。どうやら脱出機構を重視した機体だったらしい。パイロットは何一つ言葉を発する間もなく、遥か彼方へと飛ばされていった。
想像に難くないけれど、あのパイロットにしてみれば、あまりに突発的な出来事だったでしょうね。外から見ていた人たちには、ユエが文字通り瞬間移動したように見えたはず。あいつは恐らく、何が起きたのかさえ分かっていないわ。
イヴ・システムはほぼ全力運転に近い状態だった。約150メートルの移動距離に対し、所要時間はわずか0.03秒。その原理を理解した瞬間、ユエの身に何が起きるかを予見していた。
ああ……そう思った矢先、ユエはガクンと崩れ落ちた。そして、わたしの意識も……




