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イヴ・メモワール ―隔離された台湾―  作者: アニキ
第一章:古くて新しい地へ
17/20

天上

「ふぅー、これで動けないでしょう、変なハエ」なぜユエまでこいつをハエと呼ぶの?


「お姉さま、あのハエ、まだ動いてるよ?」ユユが怪訝そうに尋ねた。


「本当だ、変ね。体は押し潰されているはずなのに」


 ええ、おかしいわ。あのハエ——いえ、ハゲワシは。突如として頭をもたげ、喉を執拗に膨張と収縮を繰り返している。


〈ユエ、早くトドメを刺しなさい! 嫌な予感がするわ。〉


「えぇ? 可哀そう……」


 この子は一体何を言っているの?!

 ――グルルル、グルルルルル!


「な、何この音?」


 カチ、カチカチ、カチカチカチッ!

 石を打ち合わせるような音……まさか?!


〈あの音は喉から出ているわ。早く殺しなさい!〉


「え、喉?」


 ユエが思考を巡らせた瞬間、怪鳥が大きく口を開け、彼女に向かって強烈な高圧空気を放った!


「わ、わあああ! 何これ、熱っ!!」


 高熱の圧縮空気!火を噴くのとほぼ同等の温度だ!あんな芸当までできるというの?!

 ユエは即座に回避したが、ユユは彼女の背後に立っていたため、まともにその熱波を浴びてしまった!


「ユユ、逃げて!」


「あああ! ユエお姉さま!」


「ユユ!」ゾゾが助けようと駆け出そうとするが、今のままでは二人とも餌食になるわ!


[出力倍率 20%]


 え……?イヴ・システムの出力が上昇した!

 再び時間が停止したかのように……いえ、今回は非常にゆっくりと流れている。前回の「ほぼ停止」した状態ほどではない。


「ユユ!」ユエはユユに向かって走り出し、彼女を攻撃範囲から救い出そうとしている。


〈待って、ユエ! その速度で接触したら、彼女を衝突死させてしまうわ!〉


「……っ!」


 わたしの警告が届いた。彼女は激突する直前で通常速度に戻り、ユユを抱きかかえてから再び加速。そのまま範囲外へと離脱した。


「え? ユ、ユエお姉さま?」ユユが驚きの声を上げる。


 一気に距離を取ったおかげで、高熱の吐息はもう届かない。標的を失った怪鳥も攻撃を止めた。


「ゾゾ! 何でもいいから、あいつの頭を叩き潰して!」ユエが急いで指示を飛ばす。


「お、おう!」


 ゾゾが両手を怪鳥に向けると、虚空から怪鳥の巨体に匹敵するほどの巨大な岩が出現し、その頭上へと叩きつけられた。

 ――これで、さすがに死ぬんでしょうね。


「ふぅ――、これでもう生きてはいないわよね?」


〈ええ、もしこれで生きているようなら、それはもう……〉わたしの言葉が終わるより早く、あの大石が激しく震え始めた。時間が経過し、能力で生成された石が消滅すると、そこには――。


「え? うそ、嘘でしょ――?!」ユエが信じられないといった様子で叫び声を上げた。


「ふざけんな! まだ生きてんのかよ?!」ゾゾも目を見開いて叫ぶ。


「ゾゾ、逃げて!」


 あのハゲワシは頭部から大量の返り血を浴びながらも、なおも活発に動き回っていたのだ。


「くっそー!」ゾゾは即座に『門』を開き、ユエとユユのそばへと転送してきた。この距離なら、あいつの攻撃は届かないはずだ。


「ユエお姉さま、さっきの技をもう一回やりましょう。今度は頭まで全部埋めちゃうの!」ユユが慌ててユエに提案する。


 ――カチ、カチカチ、カチカチカチッ。


「ま、またなの?!」ユエが再び悲鳴を上げる。


 まさか。あいつからは100メートル以上離れているのよ。射程がそんなに長いの?!


「うっ……あぅ……ゾゾ、ユユ、二人とも逃げて……」突如、ユエがその場に崩れ落ちた。


「お姉さま!」


「姉貴!」


〈ユエ! 二人に『門』を開かせて、遠くへ逃げるよう命じなさい!〉


 ――カカッ!

 あいつが口を開いた。もう間に合わない……。


「ユ、ユユ? 何をしてるの?!」


 ユユが突然ユエの前に飛び出した。何をするつもりなの?ユエは苦痛で地面に伏せており、前方が見えていない。


「私がユエお姉さまを守るんだから!」


〈ユエ、前を見て!前を見るんだ! ユユが何をしようとしているか分からないわ!〉


「うぅ――え……?」ユエが必死に頭を上げると、そこにはユユの背中があった。その時、異変に気づく。あの高熱の吐息が、まだこちらに届いていない。一体何が起きているの?


 ユエが無理やり体を動かして覗き込むと、ユユは両手を体の前に突き出していた。その構えはまるで漫画の気功のようで、あのハゲワシと全く同じ高圧空気を放ち、敵の攻撃を真っ向から打ち消していたのだ!


 ――ギィァァァッ?!

 いや、打ち消しているだけじゃない。押し返しているわ!範囲も威力も、あのハゲワシを完全に凌駕している!


 ――パチパチ、バチッ、ビキィィッ!

 火花が散った。双方の攻撃がぶつかり合う地点で、激しいエネルギーが渦巻いている。まさか……爆発するの?!


 ――ズドォォォォォン!

 轟音が鳴り響き、案の定爆発が起きた。連鎖的な爆発だ。規模こそ小さいものの、濃い煙が立ち込め、前方が完全に見えなくなった。

 ユユは……無事のようね。あのハゲワシはどうなったの?


「お姉さま、大丈夫?」


「ユユ、あなた……何をしたの?」


 煙が晴れ始め、一同は無言でその先を凝視した。

 地面には直線状の焦げ跡と爆発の痕跡が刻まれ、周囲の草地は焼き尽くされている。そしてあのハゲワシは……首から下の部分は黒焦げになり、頭部は完全に消失していた。どうやら爆発に巻き込まれて吹き飛んだらしい。


「ただ……あのハエの真似をしただけだよ」


 なんですって?!それだけで真似できるというの?おそらくユユは原理など微塵も理解していない。それでもできてしまうのか。

 いいえ、この二人はいつだってそうだった。原理を知らずとも、ただ「想像」と「模倣」だけで驚異的な現象を引き起こす。それが彼らの超能力アブソリュート・オーバーライドの最大の特徴だ。しかし問題は、見よう見まねの技がどうして本家を超えて、これほどの威力を発揮できるのかということだ。


「ふふ、はは……ユユ、あなたは本当に凄いわね。ありがとう」ユエも呆然としている。「ゾゾも無事?」ユエが続けて尋ねる。


「ちょっと疲れた……」そう言って、ゾゾはユエの隣にどっかりと座り込んだ。


「お姉さま、私もちょっと……眠たくなっちゃった」


 無理もないわ。短時間に何度も能力を使い、巨大な石を出したかと思えば気功のような技まで放った。彼らも限界だろう。けれど、ユエの容体は彼ら以上に深刻だ。


〈イーちゃん。さっきの加速、意図的に出力を抑えたわね?〉


「…………」ユエはただ頷いた。ああ、ゾゾたちがいるから今は答えられないわね。


 とにかく、ユエは自力でコントロールできるとわかっただけでも、大きな収穫だった。いままでは無意識で勝手に起動されたと思ったが。これからもコントロールできれば、反動ダメージも抑えることができるだろう。


〈今回は即座に失神しなかったし、前回ほどの激痛ではないはずよ。まだ動ける?〉


 ユエがゆっくりと力を込め、立ち上がろうとする。


「あああああ――っ!」思わず叫び声が漏れた。


 わあ……やはり相当な痛みがあるようね。


〈寝ていなさい、無理は禁物よ!〉


 これは困ったわ。当分は動けそうにない。ハゲワシの危機は去ったけれど、こんな野原で倒れているのは危険すぎる。ゾゾたちもガス欠状態で、護衛の役目は果たせそうにない。


「ゾゾ、空に飛んで周囲に村とか住めそうな場所がないか探してきて……」ユエがゾゾに指示を出す。


「わかった!」


 ゾゾが飛び立とうとしたその時、遠くから咆哮が響いた。


 ――ギィィィァァァッ!


「お姉さま……ゾゾ!」ユユが顔を強張らせ、廃墟の方を指差した。


「姉、姉貴……」ゾゾの表情も一変する。


「え……?」ユエが必死に頭を上げ、ユユが指す方向を仰ぎ見た。


 そこには……先ほどのハゲワシが、廃墟の中からこちらへ向かって飛んできていた。まさか二体目がいたなんて……。


「くそっ、今度は僕がやる!」ゾゾがすぐに気を取り直した。


「ゾゾ! ユエお姉さまが教えてくれた通りに、近くに来たら地面に押さえつけて!」


「分かってる、ユユが穴を掘って、僕が風を吹かせるんだろ!」


 接近してくる。あと約300メートル!


「ゾゾ、今だよ!」ユユが鋭く指示を出した。


「よっしゃあ……え?」


 ゾゾの勢いだけはいいが、なにも起きなかった。


「ゾゾ、何してるの?!」


 ゾゾの足が激しく震え、その場に膝をついた。


「もう……やったんだ、でも……」


 ――ギィァァァッ!

 ハゲワシが急降下してくる!


「チッ! せめて吹き飛ばしてやる!」


 ユユが怪鳥の下方から強烈な上昇気流を放ち、攻撃の軌道を強引に逸らした。しかし、これはあくまで時間を稼いだに過ぎない。空を飛ぶものに対して気流だけでは決定打にならず、ハゲワシは空中で反転し、再びこちらを狙っている。


「あ……ユエ……お姉さま……」ユユが力尽き、言葉を途切れさせて倒れ込んだ。完全に限界を超えているようだ。


「うぅ――ま、まだだ!僕はまだ戦える!」ゾゾはユユが倒れたのを見てなおも食い下がろうとするが、両手を地面についたまま、立ち上がることさえままならない。


「『いや、ここまでだ』」


 え……? 今の言葉は……。

 よく響く、反響エコーのかかった男の声。一体、誰が喋っているの?


 ――キィィィィィン!

 突如として空から響いたのは、空気を鋭く切り裂くような、高く澄んだ音だった。


 ――ドォォォォォン!

 ……え? あのハゲワシが、唐突に地面へと叩きつけられた。わたしたちの目の前、わずか50メートルほどの場所だ。

 うそ……頭部が、ない。そこには鮮やかで鋭利な切断面だけが残り、遅れて大量の鮮血が噴き出した。失われた頭部は、一拍遅れて死体の傍らに転がった。一体、何が起きたというの?


「お前たち、よくやった。女子供だけで一匹仕留めるとは、なかなかのものだ」


 声が響くと同時に、一人の男がハゲワシの死体の前に軽やかに降り立った。わたしたちとの距離は20メートルもない。


「え? 姉貴、あいつ何言ってるのか分かんないよ……」ゾゾが困惑して尋ねる。


 この男は一体誰? どこから現れたの?

 ユエが必死に頭を上げ、問いかけた。「あなた……は……?」


「天上だ」


 天上テンジョウ

 ゾゾが言葉を理解できなかったのも無理はない、この男は日本語を話しているのだ。

 身長は東方男性としては標準よりやや高めの175センチほど。短い黒髪にはわずかに白髪が混じり、手入れされているのか無造作なのか分からない程度の無精髭を蓄えている。それなりの年配者のようだ。

 全身を包むのは、驚くほど真っ白な服。旧日本海軍の将校服に似たシルエットだが、金色のボタン以外に装飾は一切ない、極めてシンプルな白装束だ。

 その手には、通常の日本刀よりも長い刀が握られている。刀身だけで120センチはあろうか。腰に下げられた純白に金の花紋が施された鞘も、同じように長い。

 その輪郭――どこか哀愁を帯びた精悍な顔立ちは、幾多の修羅場を潜り抜けてきたことを雄弁に物語っている。深淵のように力強い双眸。

 そして、言葉では言い表せないほどの……圧倒的な「プレッシャー」。彼の周囲だけ低気圧に覆われているかのような、空気が凍りつく錯覚を覚える。あの怪物の首を一撃ではね飛ばした戦闘力といい、一言で言えば「超危険人物」だ。


「……ねえ、イーちゃん。あいつ、なんて言ったの?」ユエが声を潜めて密かに尋ねてきた。


〈自分の名前を『天上』だと言っているわ 〉


「テンジョウ、天上……」


 天上と名乗った男は、さらに問いを重ねてきた。「お前たち、ここの者ではないな?」


「姉貴、この人なんて言ってるか分かるの?」ゾゾがユエを振り返る。


「……台湾人か? とてもそうは見えんな」


 突如、男が中国語に切り替えた。わたしたちを外国人だと思って外国語を使ったのだろうか。だとしても、なぜ日本語だったのかは謎だけれど。ユエはいいとして、佐佑さゆうはどう見ても英語が妥当だろう、見た目はまったくの欧米系だし。


「あ、失礼な! 僕たちは台湾人だよ!」ゾゾが不服そうに大声で反論する。


「……やはり子供か。女子供がこのような場所で何をしている?」


「子供じゃない!」


「……そうだな、お前たちは確かに子供ではない。先ほどの戦いぶり、『戦士』と呼ぶに相応しい。失言を謝罪しよう」


 なっ……何よ、この男。カッコよすぎない?粋すぎて目が眩みそうだわ。


「天上……様」


 ……ちょっと、ユエ? 反応が変よ。


「天上でいい。さまなど不要だ。お前たちは?」


「あ……あたし、あたしはユエ」


「あんたみたいな失礼な奴に教える名前なんてないね!」ゾゾは天上の放つ威圧感に全身の毛を逆立てている。まるで天敵を前にした猫のようだ。


「ゾ、ゾゾ、やめなさい! この人は命の恩人なのよ」ユエが急いでゾゾを制止し、向き直った。「……すみません、天……天上さん。あたしはユエ。この二人はユユとゾゾです」


「承知した。休息が必要なようだな。歩けるか?」


「は、はい。大丈夫……うぅっ……」


〈ちょっとユエ! 激痛なのは分かっているわ。強がらないで!〉


 ああ……緊張が解けたせいだろうか。ユエの視界が急速に濁り始めた。


「姉貴! 動いちゃダメだ、寝ててよ!」ゾゾが焦燥の声を上げる。


「あたし……だいじょう……ぶ……」


 その言葉を最後に、ユエは意識を失った。同時にわたしも休眠状態に入った。

 最後にこれだけは言わせて。……全部ゾゾのせいよ!二体目のハゲワシが来たのは、間違いなく彼のTシャツに書かれた『巄來啦まとめてかかってこい!』のせいなんだから!

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