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イヴ・メモワール ―隔離された台湾―  作者: アニキ
第一章:古くて新しい地へ
16/20

台湾本島上陸

 船倉から一歩外へ出ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、雲を突き抜けるほどに聳え立つ雄大な高山だった。


「あれが玉山ぎょくざん?」とユエが尋ねる。


〈おそらくね。わたしたちを攻撃したビーム砲も、例の『天火てんか』も、あの山にあるはずよ〉


 あまりの高さゆえ、山の中腹から上は深い雲霧に覆われ、山頂を拝むことはできない。


「イーちゃん……あれ、何なの?」


〈わたしに聞かないで。どうしてあんなことになっているのか……〉


 玉山そのものには異常は見られないが、中腹あたりに山脈をぐるりと一周囲むような巨大な「壁」が、おぼろげながら視認できる。あの規模からして地球人の仕業とは思えないが……断定はできない。赤崁せきかんの廃墟にあった壁も驚愕の規模だったし、本島は人口も多く超能力も強力だというから、地球人が造った可能性も否定しきれない。


「万里の長城がお引っ越しでもしてきたの?」ユエは眉をひそめて冗談を飛ばした。


〈そのジョーク、1ミリも面白くないわよ〉


「イーちゃんって、本当にユーモアのセンスがないわね」

 

〈放っておきなさい!〉


 そんなやり取りをしていると、船長がユエに歩み寄ってきた。


「お嬢さん、君たちが船に乗っていられるのはここまでだ」


「え? 港には入らないの?」ユエが困惑して聞き返す。


「この船は入港するが、君たちはダメだ」


「どうして?」


「……ん? 君たちは現地の人じゃないのか? クイ兄の親戚だと聞いていたが、そんなことも知らないのか?」


「あ……えっと、あたし、ずっと村から出たことがなかったから、外の事情には疎くて。あははは……」


「やれやれ、クイ兄もたまに詰めが甘いな。こんな重要事項を伝えていないとは。簡単に言えば、今や澎湖ほうこと本島は同じ政府じゃないんだ。入港には身分証がいるが、君たちは持っていないだろう?だから、ここから飛んで上陸してもらうしかない」


「ちょっと待って……それって、つまり『密入国』ってこと?」


「厳密には違うが、そういう認識で構わない」


 なんということだ。台湾の局勢がこれほど複雑化していたとは。クイ兄も医者もこの点には触れていなかった。忘れていたのか、それとも意図的か……。いや、医者は何か言っていた気がする。単にわたしたちの理解が及んでいなかっただけだろう。


「分かったわ……上陸早々、捕まるのは御免だもの」


 ユエが振り返ると、興奮してあちこち走り回った佐佑さゆうの姿があった。甲板を一歩きして水手を転ばせそうになっていたようだ。本当に手のかかるガキ共ね。ユエは声を張り上げて彼らを呼び戻した。


「ゾゾ、ユユ! 遊んでないでこっちに来なさい。上陸するわよ!」


「えー? まだ着いてないじゃん」ゾゾが遠くから大声で返す。


「ここから直接『転送ゲート』で移動するのよ。早く来て門を開けなさい」ユエは手招きして彼を急かした。


 どうやらユエの中で「門を開く役」はゾゾに固定されたらしい。実際には二人の能力は同一であり、どちらでも構わないのだが。


 駆け寄ってきたゾゾが尋ねる。「どこに跳ぶ? 陸地ならどこでもいいの?」


「ええ。海の中にだけは落とさないでね」


「大丈夫だよ。海の中は見えないから、行きたくても行けないしね」


 ……ユエはそういう意味で言ったんじゃないと思うけれど


「それじゃあ船長さん、お世話になりました。あの赤ずきんにもよろしく伝えておいてください」ユエは船長に軽く一礼した。


「あぁ、道中気をつけてな。そうだ、もし澎湖に戻りたくなったり、他に船が必要になったりしたら連絡してくれ。ギルドに行って『黒猫海運くろねこかいうん』を訪ねれば、誰かが対応してくれるはずだ」


「へぇ、あなたは商人なの? クイ兄の部下だと思ってたわ」


「違うよ。うちは北部の連中と専門に取引しているから、クイ兄とは顔馴染みなだけだ」


「待って。それなのに、よくクイ兄のために密航なんて手伝えたわね。違法じゃないの?」


「……お嬢さん、君は本当に何も知らないんだな。今の台湾に『法律』なんて代物は存在しないよ。金と縄張りを奪い合うために、誰もがなりふり構わず動いている。たかが密航なんて、誰も気にしちゃいないし、気にする余裕もないのさ」


 やはり、クイ兄や医者が言っていたことは真実だった。現在の台湾本島は、文字通りの無法地帯、混沌の極みにあるようだ。


「分かったわ。黒猫海運ね、覚えておく。……行きましょうか」


 ユエが促すと、ゾゾは頷き、即座に「転送門ゲート」を開いた。


 C.E.2063_04/30_09:32


 わたしたちはついに、台湾島へと正式に足を踏み入れた。

 転送門ゲートを抜けた先に広がっていたのは広大な草原、台湾最大の平原であり、無数の河川の堆積作用により形成された沖積平野——嘉南かなん平原だ。現在地は東石とうせき港から南方へ約3キロメートル、平原のほぼ中心部にあたる。……だが、わたしの内部地図に記録されている地形とは、どうも様子が異なっていた。


「お姉さま、あれは廃墟なの?」ユユが驚きに目を見開き、遠方の巨大な廃墟を指差した。


 それは無数の奇妙なつるに覆われ、通樑つうりょう村で見かけた廃墟とは比較にならない規模と密度を誇っていた。廃墟というよりは、灰緑色の森にピンク色の巨大な花が点在しているといった方が正しい。さらに奇妙なのは、廃墟の中に淡いピンク色の煙が充満していることだ。視界を完全に遮るほどではないが、この世のものとは思えない幻想的な雰囲気を醸し出している。まさに天外魔境だな。


「ヤッホー!」


 上陸するなり、ゾゾはクソガキ丸出しのテンションで走り回り、時折空を飛びながら叫び声を上げている。一方でユエは、険しい表情で遠くの廃墟を見つめていた。


「イーちゃん……あたしたち、どうしてここに来ちゃったんだろう……」


〈ちょっと! 隣にユユがいるんだから、うかつに話しかけないで!〉


「あたし……帰りたくなっちゃった。こんな場所、あたしが来るべきじゃないよ……」


 まずいわね、またネガティブ思考が始まったわ。


〈楽観的になりなさい。なるようにかなるわよ。それに、隔離さえ解除できれば外から人が入ってこれる。そうなれば、任務なんて遂行しなくて済むでしょう?〉


「……分かってて言ってるの? 成功したとしても、あたしはただの『生産ツール』として捕まるだけ。それなら、ここで死んだ方がマシだよ……」


 もう、これだから情緒不安定な宿主は困るわ。帰りたいと言ったり、帰れないと言ったり、論理がめちゃくちゃよ。


「姉貴、姉貴!」


 突然、ゾゾが悲鳴のような声を上げ、ユエの傍に降り立った。その顔は恐怖に引き攣っている。


「変なものがこっちに飛んでくる!」


 その言葉で、ユエはようやく正気に戻った。ゾゾが指差す先、廃墟の中から巨大な影がこちらへ向かって猛スピードで突き進んでくるのが見えた。


「わあ! 何なの?!」


「お姉さま、あれは何?!」


「オーマイガッ!」


 三者三様の驚きと、共通の恐怖が顔に浮かぶ。それは巨大な飛龍ワイバーンのような姿をした怪鳥で、凄まじい風切り音を立ててわたしたちの頭上を通り過ぎた。


「わはは! かっこいい! こんなのもいるんだ!」ユエはいきなりテンションが上がった。


 ……ちょっと、さっきまでの絶望はどこへ行ったのよ。情緒の切り替えが早すぎてついていけないわ。今は巨大な危機に直面しているのよ!


 よく見れば、それは龍ではなく巨大なハゲワシだった。だが、頭部と尾以外は厚い鱗に覆われ、巨大な鉤爪を備えている。その重厚感あふれる姿は、遠目には確かに西洋系の飛龍に見えるだろう。怪鳥は一度通り過ぎると、180度旋回して再びこちらへ向かってきた。ハゲワシなら主に死肉を喰らうはずだ、まさか生きたわたしたちを獲物にするつもりじゃないでしょうね。

 そう思った途端、怪鳥は急降下し、鋭い爪を剥き出しにして襲いかかってきた!


 ユエはパニックに陥り、尻もちをついて、まさに「まな板の上の鯉」。だが間一髪、ユユがユエの前に立ちはだかり、両手を突き出した。彼女が放った強力な気流がハゲワシの飛行軌道を強引に逸らし、その一撃を回避した。しかし、ハゲワシは諦めていない。旋回し、次の攻撃態勢に入った。


〈ユエ! ぼさっとしてる暇はないわよ! 死にたいの?!立ち上がりなさい。わたしが指示を出すから、二人を指揮して!〉


「わ、わかった!」


 ユエは飛び起き、わたしの指示をゾゾたちへ伝える。


「ゾゾ、あいつの周囲を真空状態にして!」


「しん……何だって?」


 ゾゾがキョトンとした顔でユエを見返す。……嘘でしょう、真空を知らないの?!

 その間にもハゲワシの爪が目前に迫る。今度はユユが咄嗟に巨大な石版を生成し、盾とした。衝突したハゲワシは衝撃でよろめき、一旦距離を取る。


「もう、危ないじゃん、このデカいハエ!」


 ユユよ……せめて鳥と呼びなさい。


「ゾゾ、あいつの周りの空気を全部無くして!」


「姉貴、そんなのできないよ……」


 風を操れるのに、空気を抜くことが理解できないというの?


〈ユユ、あいつの周囲の重力を強めなさい!〉


「重力……って何のこと?」


 なんてこと、クイ兄とこいつらのご両親はどんな教育を施してきたのよ?!

 困惑する二人の隙を突き、ハゲワシがユエに向かって突進した。


「わあ! 来ないで!」


[イヴ・システム起動_出力10%]


 まただ。ユエの無意識が「加速」を起動させた。周囲の時間の流れが緩やかになり、彼女は悠然と爪の攻撃をかわした。今回は10%の出力。これまでの経験上、後で眠くなる程度で済むはずだ。


「うわあ! お姉さま、速い!」


 攻撃をかわされたハゲワシは即座に空中停止し、くちばしで突きを放ってきた。ユエはそれを360度の回転でかわし、鮮やかな旋回蹴りを頭部に叩き込んだ。……が、ハゲワシには全く効いた様子がなく、羽ばたいて再び距離を取った。


「ふん、物理攻撃無効ってわけね」


〈違うわよ、あんたの攻撃力が低すぎるだけ!〉


「お姉さまの超能力、すごーい! かっこいい!」


 ユユが呑気に拍手している。……二人とも、ユエの「加速」を見るのは初めてだったわね。これは超能力ではないけれど。それにしても、死に直面しているというのに、この三人の緊張感のなさは一体どうなっているの?さっきまでの驚愕な表情はどこいった?


 執拗なハゲワシが三度みたび旋回してくる。


「ゾゾ、風であいつを地面に押さえつけなさい!〉


 彼らが理解できる言葉に変換する。ゾゾが頷くと、ハゲワシは風の圧力によって地面に叩きつけられ、悲鳴を上げた。


「いいわ! そのまま押さえつけて。ユユ、あいつの周りの地面を陥没させなさい!」


「かん……?」


「大きな穴を掘って、あいつを落とすのよ!」


「了解!」


 怪鳥は穴へと押し込まれ、5秒後、絶対優先アブソリュート・オーバーライドの解除とともに地面が元通りに閉じた。頭だけを地上に残し、全身を土中に埋められた怪鳥は、身動き一つ取れなくなった。これなら、骨も内臓も粉砕されているはずだ。これで終わりね。


 それにしても、この教育格差……今後の課題は、この子たちの知識不足を補うことね。

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