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イヴ・メモワール ―隔離された台湾―  作者: アニキ
第一章:古くて新しい地へ
15/21

黒水溝を越えて

 現在、わたしたちは岐頭きとう北方の海岸まで移動していた。辺りはどこもかしこも人だらけで、コンクリートのジャージーバリアによる防護柵が築かれており、これ以上接近するのは困難だ。わたしはユエに指示し、防護柵の陰に身を潜めて前方の様子をうかがわせることにした。


「前にあるあの廃墟が岐頭だよ。お姉さま、次はどうすればいい?」ユユがユエに尋ねる。ゾゾとユユがまずユエの意見を仰ぐようになったのは、わたしの計画にとっても好ましい傾向だ。


〈ユエ、彼らが言うことを聞くようになったが、軽挙妄動は慎みなさい。わたしが指揮を執るから、あんたはそれを伝えるだけでいい。〉


「……」ユエは黙って頷き、同意を示した。


 ユエは遠くに見える光の束をじっと見つめている。あそこが敵の拠点なのだろう。焚き火が特に集中しており、視認できる大型の焚き火だけでも三箇所ある。周囲には兵士や大型の軍用テント、そして一箇所にまとめられた大量の油樽やガスボンベがひしめき合っていた。今の台湾、これらは動力燃料としては使えないが、生活用の燃料として重宝されているらしい。


〈ゾゾ、これから見える範囲の焚き火を全部消しなさい。〉ユエはわたしの指示通りに動き始めた。


〈ユユ、あなたに見えるドラム缶やガスボンベ、テントの位置をすべて覚えなさい。ゾゾが火を消した後、今覚えたものをすべて、消えた三つの大きな焚き火の上に移動させるのよ!〉


 ユエが下令すると、二人は即座に行動を開始した。

 直後、焚き火が突如として火が消えた。周囲の人々が反応する間もなく、軍用テントや周囲の燃料樽がすべて宙を舞い、消火された焚き火へと叩きつけられた。テントは中にいた人間ごと運ばれていった。

 そして数秒後、火種が元に戻り、引火した。誤差1秒足らずで、テントと燃料は瞬間的に元の位置へ戻された。しかし、中にいた人間たちまでは戻されない。彼らは焚き火の上に残され、火に巻かれた。火は瞬く間に広がり、元の位置に戻された燃料樽が連鎖的に爆発を始めた。


 そこからの数分間は、見るに堪えない惨状だった。キャンプ全体が炎に包まれ、焼き殺される人々の絶叫が響き渡る。たった一度の超能力――それも「物体の位置干渉」と「火源の干渉」という最も基本的な応用だけで、敵軍の大営はほぼ壊滅したのだ。


〈ユエ、ゾゾにあの屋根の上まで飛ばさせなさい。〉わたしは付近で最も高い建物を指定した。ユユはゾゾの背中に飛び乗り、ゾゾは迷わずユエを抱え上げると、ワームホールを開いて屋根の上へと跳んだ。


「見つけた!姉貴、あいつだ!」


 ゾゾが階下にいる男を指差した。赤ずきんから聞いていた特徴通りの男だ。60歳前後、白髪で痩せこけており、黒い軍服――100年前の台湾特有の「中山装」を纏った指揮官だ。

 目標は明確。周囲でその服を着ているのは彼一人であり、火光に照らされてよく見える。彼は茫然自失とした表情で、隣の民兵を掴んで何かを怒鳴り散らしていた。


「ゾゾ、もう一度門を開きなさい。あいつの目の前に。」


「姉貴、この門は自分の前にしか開けられないよ」


「思考を反転させなさい。自分の前に門を開き、『あいつの目の前へ移動する』という意図を持つのよ。」


「あ、わかった!」


「それからユユ、あいつの背後から強風を起こして、ゾゾの開けた門の中に放り込みなさい。」


「はい!」ユユは笑いながら答えた、どうやらなにをするつもりかは理解したようだ。


 これなら生物への直接干渉ではないため、彼は元の場所に戻ることはない。本来は生物に干渉できない能力だが、風という物理現象を介せば間接的に移動させることができる。

 この一連の動作は、佐佑さゆう絶対優先アブソリュート・オーバーライドにおける最も基本的な機能しか使っていない。連続使用による負担はあるものの、大きな問題にはならないだろう。事実、二人の額に薄っすらと汗が浮かんでいる程度だ。

 結果は言うまでもない。敵の大営はすでにパニック状態に陥っていた。爆発と延焼は大営の中心部に集中していたため、死傷者数そのものはそれほど多くはないが、心理的な震撼は計り知れないはずだ。少し離れた場所にいた無傷の者たちが駆けつけたところで、救助に手一杯で消火など到底不可能だ。その上、指揮官が突如として消失したのだ。統率を失った兵士たちは、文字通り「首のない鶏」のように逃げ惑うしかなかった。


 恐怖に顔を歪めたその指揮官は、ゾゾによってこの廃墟の屋根へと強制転送され、今やユエの前に跪いている。ユエがただ人差し指をその額に突きつけるだけで、彼は恐怖のあまり微動だにできずにいた。


「今からあたしの言うことを聞きなさい。そうすれば命だけは助けてあげる。もし乱暴な真似をしたら、今すぐあんたの脳みそをぶちまけるわよ」


 ただの脅しだが、効果は抜群だ。この惨状を目の当たりにした彼は、すべてこの少女の仕業だと思い込み、恐怖で失禁しかけていた。

 作戦は完遂。わたしの計算通り、完璧な勝利だ。


 さて、ここでわたしの立てた一連の戦術について解説しておこう。

 火を消さずに物を放り込んでも同じように燃え上がりはするが、物が宙を舞う光景を目にすれば、普通の人間は即座に逃げ出すだろう。だから、まずは火を消した。一瞬にして視界を奪われ暗闇に包まれれば、人間は無意識に身をすくませて動けなくなる。物が飛んできたことにも気づかず、逃げ場を失った連中がその場に留まることで、殺傷能力を最大化させる効果が得られるのだ。


 直接指揮官を捕らえず、わざわざこれほどの大立ち回りを演じてみせたのは、圧倒的な実力差を見せつけるためだ。反抗など無意味だと指揮官に悟らせ、極限のパニックに陥れて正常な判断力を奪う。「ユエ一人の力で全軍を殲滅できる」という錯覚を植え付けることで、その後の脅迫の効果も上がるだろう。


 この戦術に要した手数は最小、消耗も最小。精密な指令によって、作戦開始から終了までの実行時間はわずか10分にも満たなかった。

 ふふ、電子脳であるわたしの演算速度は人間とは比較にならないけれど、この完璧な結果には、自分にご褒美のショートケーキでもあげたい気分ね。……まあ、わたしはショートケーキがどんな味かは知らないのだけれど。


 #


 C.E.2063_04/30_06:27


 夜が明け、わたしたちは船の中に戻っていた。

 赤ずきんは興奮しきっており、ゾゾとユユは泥のように眠っている。ユエはベッドの脇で黙って座っており、なにを考えていたかわからない。


 まあとにかく、結果として北部陣営は大勝し、領土を奪還した。

 ユエはさっきの指揮官を脅し、全軍を湖西こせいまで退かせた。もしまた現れたら、自分がどう死んだかさえ分からぬ地獄を見せることになる。所詮略奪しか能のない男だ、彼に忠誠心など欠片もない。最も大切なのは自分の命であり、彼は迷うことなく承諾した。


 結果として3時間内に、南部陣営はすべて撤退行動に入った。残ったのは情報が届いていない端くれの小隊だけだ。ユエは彼らが撤退し始めたのを確認してから、ようやく信号弾を放った。だから北部が押し寄せてきた頃には、南部の部隊はほとんど残っていなかった。ここはもともと北部の領地だった村々だ、鎮圧の必要さえない。すべてを合わせてもたった5時間で、北部は本来の領地をすべて奪還した。


 ユエのこのやり方のおかげで、さっきの爆発劇以外、死傷者はほとんど出なかった。もっとも、これが一時的なものだということは分かっている。遅かれ早かれ南部は指揮系統を立て直すだろう。それに南部の首脳陣に情報が届けば、北部に強大な超能力者がいることを知り、間違いなく「最強」と謳われる連中を送り込んでくる。今の平穏など、長くは持たないはずだ。

 だが、それで十分。少なくともわたしたちにとって、ここの連中の死活など知ったことではない。


 ちなみに、信号弾の発射を遅らせたのはユエ自身のアイデアだ。わたしもすぐにその意図を理解した。そして信号弾についての疑問だが、放ったらようやくわかった、それが単なる花火に過ぎなかった。


「いつ出港できる?」ユエはユユの髪を撫でながら、赤ずきんに尋ねた。


「あぁ!あんたさえ望むなら、いつでもだ。船だけじゃない、あんたが欲しがるものは何だって用意させる。志願する船員も増やしたから、絶対に大丈夫だ!」


 赤ずきんはまだ興奮を抑えきれない様子。もっとも、まだ屋上にいるとき、佐佑さゆうがユエのことをまるで神様でも見たような崇拝な眼差しと比べると、まだまだ控えめだけどな。


「本島まで、どのくらいかかるの?」


「今のこの船なら、順風でだいたい二時間強といったところかな。逆風だともう少し時間がかかるが、それほど遅くはならない。今はちょうど南西の風が吹き始めて、北東の風が弱まる季節で……」


「原理を聞いているんじゃないわ。あたしはただ、どれくらいかかるかを知りたいだけ。」ユエは明らかに不耐そうに、声を荒らげた。


「おっと、すまない。だいたい三時間前後、といったところだ。」


「それじゃあ、食べ物を少し用意して。すぐに出発よ。」


「えっ……そんなに急いでいるのか?このあたりはもう安全なんだし、数日中には慶功宴を開く予定なんだ。あんたたちは主役なんだから、あんたたちがいないと……」


「急いでいなかったら、戻ってきてすぐに船になんて乗らないわ。」


 ユエがなぜこれほど急いでいるのか、わたしには分かっている。ユエはやはり、わたしが思っていた以上に賢い。


「……わかった。船員たちの準備はできている。先に食事を用意するから、それを食べてから出発しよう。」


「いいえ、出港してから船の上で食べるわ。温かい料理が無理なら、乾パンでもいい。」


「あ……あぁ、分かったよ。」


「ありがとう。少し休ませて。」


 赤ずきんは頷き、船倉から退出していった。

 それから15分ほど経った頃、船長と名乗る白いシャツを着た中年男性が挨拶に訪れ、その後すぐに船は帆を上げた。


 船が動き出すと、ユエは静かにわたしに問いかけてきた。


「イーちゃん、あたし……何か間違ったのかな……」


 ゾゾとユユは、お世辞にも快適とは言えないこの船倉でも、すやすやと眠りについている。


〈あんたはよくやったわ。何か問題でもあるの? 〉


「あたしの意見で勝手に決めちゃって、ごめんね」


〈あら。結果的に、あんたの判断が正しかったわ。信号弾を遅らせるなんて、わたしは思いつかなかったもの〉


「でも……たくさんの人を殺しちゃった……」


 戻ってきてから彼女がずっと消沈していたのは、やはりこれが原因だったのか。


〈あなたは確かに多くを殺した。けれど、それ以上に多くの人を救ったのよ 〉


「救った……?」


〈それを分かってやっていたんじゃないの?だから敵が撤退を始めるまで、信号弾を遅らせたでしょう?〉


「……」ユエは静かに頷いた。


〈あそこでしめしをつけなければ、本格的な戦争になった時の死傷者はどれほどになっていたか。北部の連中に愛着があるから南部が悪者に見えるかもしれないけれど、わたしからすればどっちもどっちよ。南部だって北部に略奪されている。両方を救う道を選んだのだから、完璧じゃない 〉


「うん……」


〈わたしたちは超人じゃない。すべての人間を救うことなんてできないわ。もし一人を犠牲にして十人を救えるなら、迷う余地はない。見ず知らずの他人を救った実感がなくても、クイ兄やあの医者、それにゾゾやユユを救ったことは事実でしょう?〉


「でも、それは一時的なことで……」


 なるほど、たしかにこれが一番危惧したことだ、消沈した原因はこれか。


〈ええ、一時的よ。でも、もし今日努力して救わなければ、明日の結果なんて望めないわ。感情論を抜きにすれば無駄足かもしれないけれど、やらなければ結果はゼロなのよ 〉


「……クイ兄たちは、明日死ぬとは限らないってこと?」


〈不可能じゃないわ。あんたが指揮官に恐怖を植え付けたおかげで、北部は資源を回復し、経験を積んだ。次に備える時間を得たのよ〉


「うん……」


〈それに、わたしたちの状況を忘れたの?ここに居続ければ、北部はますますわたしたちに依存し、そのうち南部に攻め込めと言い出すわ。この戦争はわたしたちには無関係。深入りすれば任務に支障が出るし、佐佑さゆうという強力な味方を失うかもしれない。氷人との誤解を解かなければ、また刺客が来るわ。だから出航を急いだのでしょう? 〉


「イーちゃん……本島に行っても、またこんなことが起きるのかな」


〈気休めは言わないわ。可能性は極めて高い。本島は戦争状態にある。澎湖ほうこのような内輪揉めとは規模が違うわ。何千、何万という異能者が殺し合う戦場かもしれない。異星人ともいえる氷人が敵になる可能性だってある。この程度で怯えないことね〉


「……こんなはずじゃなかった。ただ宝探しをして、大金を手に入れて、一生楽して暮らせると思ってたのに。……初めて人を殺した。でも、一番怖いのは……あの時、あたし、すごく興奮してたの、まるで自分じゃないみたいで」


 ……興奮?

 思い返せば、あの時のユエはわたしの指令を迷わず遂行し、微かに微笑みさえ浮かべていた。天性の戦闘才能……あるいは資質なのか。危機や戦闘状態において、彼女は異常な高揚感を見せ、同時に冷徹なまでの冷静さを保つ。思考も身体反応も加速する。あのロボットの少年と対峙した時の衝動的な反応も、これで説明がつく。

 18歳の少女としては、いささか異常だ。


〈昔からそうなの? 〉


「うん……学校で、友達が彼氏の自慢を延々と聞かせてきた時、殺してやりたいって衝動に駆られたことがあるかな」


 天性的な殺人狂か!?


「ふふ、冗談だよ! あたしみたいな可愛い子が、そんな狂暴なわけないでしょ?」


 どうやら気分が晴れてきたらしい。自画自賛が始まった。自分の外見に対する自信は相当なものだな。


〈とにかく、目的は任務遂行よ。内部紛争に深入りしても面倒が増えるだけ。できるだけ避けることね。今回は避けられなかっただけよ〉


 これがイヴ・システムの影響なのかはまだ分からない。継続的な観察が必要だ。けれど、今回のようなことは今後も必ず起きる。観察の機会には事欠かないだろう。


 #


 C.E.2063_04/30_09:09


 朝の9時。航程は意外なほど平穏だった。

 結局、ユエは一睡もできなかったようだ。


 この船は原始的な造りだが、意外なほど安定している。風や波が穏やかだったこともあるだろう。澎湖に到着して以来、波瀾万丈だったこれまでの日々に、天がささやかな休息を与えてくれたかのようだ。


「お嬢さん、到着しましたよ」船長が顔を出して声をかけてきた。


「ゾゾ、ユユ、起きて」船長の話を聞き、ユエは優しく二人を叩き起こした。


「ん……もう? 寝た気がしないよ……」ユユの消耗は少し激しかったようだ。さっきまでいびきをかいていた。一度に大量のものを動かしたのは相当な負担だったのだろうし、その前には太陽まで作り出したのだから無理もない。


「姉貴、ここはどこ? 俺、澎湖を出るのは初めてなんだ!」一方、ゾゾの方は平気なようだ。


「ここは嘉義かぎ東石とうせき港だよ」ユエが船長の方へ視線を送ると、彼はそれを察してユエの代わりに答えた。


「起きなさい。上陸したら、まずは安全な宿を探すわよ」そう言いながら、ユエは立ち上がった。


 ゾゾとユユもゆっくりとベッドから降り、一行は船長に続いて船室を出た。

 暗い船室から外へ出た瞬間、強烈な太陽の光が差し込み、眩しさで全員が思わず目を細めた。


「わあぁっ!姉貴、姉貴! 見てよ!」ゾゾが真っ先に駆け出していく。


 ユエもそれに続いて甲板に出た。そして、その光景がすぐさま目に飛び込んできた。

 これが……台湾本島?

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