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探偵は記憶喪失。犯人だけがわかってしまう。  作者: 一 偏次
序章 チュートリアル

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第三話 羊很狼貪

「誰だ」


 虚呑(このみ)の、精一杯の低い声。

 彼女の長い耳は、少し後ろに倒れた。

 目の前の狼族の男は、その一言で血の気を失った。彼女の顎を持ち上げていた手の力がぶらんと抜けて、視界が白んだ。


「……え」


 男はあまりにも気の抜けたような声を出した。




「そっか。記憶喪失、ね」


 彼女が目覚めたときの話を聞くあいだ、彼は彼女にあまり目を合わせなかった。

 一度深く息を吐いたあと、それから急に顔を上げた。


「じゃあ、改めて自己紹介をしよう。僕は 柚原 此岸(ゆずはら しがん)掟期(おきてぎ)くんと同じ、特級探偵だ」


 先ほどまでの狼狽はどこへやら、彼は陽気な笑顔を浮かべた。


 特級探偵。

 彼女は口をぽかんと開けた。

「すごい」らしい資格。この資格を持つ者は、自身を含めて15人。

 まさか、その一人がさっそく訪ねてくるとは全く思っていなかった。


「さっそくだが、掟期(おきてぎ)くん。あなたには不倫調査の仕事を……」


 小さい鞄の中から出たほどとは思えない量の書類。

 テーブルの上はすでに他の書類だらけで置き場がなかったので、此岸(しがん)はそれを床に置いた。

 どうやら彼は、切り替えの早さだけは確かのようだ。


「おい」


 覇方(はかた)は我慢ならなかったようだ。

「彼女」にとって、初めての彼のドスの効いた声。

 覇方(はかた)此岸(しがん)を睨みつけた。


「あはは、助手くんってば、怖いなぁ……」


 此岸(しがん)はわざとらしく両手をあげた。


「浮気調査は苦手なんだ。だって僕はイケメンで目立つだろ?そういったことには向かない」


 下手なウインク。というよりも強く目を閉じただけ。


 彼女はじっと此岸(しがん)を見た。

 整った顔立ち。無駄に高い身長。

 わざわざ下から見上げさせられるのが、うっとうしく感じた。


「そうやって仕事を押し付けて。彼女は病み上がりなんだ、だから」

「だから、デート。じゃないか?」


 覇方(はかた)が言い切る前に、此岸(しがん)が言葉を被せた。


「はぁ!?」


 覇方(はかた)の声が裏返るほど激昂した。

 此岸(しがん)は胸ぐらを掴まれても、ただ困った顔で彼女を見つめた。

 その視線から逃げるように、彼女は目を逸らした。


「ところで掟期(おきてぎ)くんは、なにを忘れたんだ?」


 此岸(しがん)は胸ぐらを掴まれたまま、彼女を見て言った。

 目覚めてからというもの、彼女は何を忘れたなんて考えたことはなかった。

 名前、知人の名前、探偵のこと。

 よく使うものは忘れていることに気づける。


 では、それ以外は?


「わからない。ほとんどが忘れたことさえ忘れている」


 気体の形を無理やり探る感覚。

 虚無感だけが彼女の中に残された。


「その通り!街に出て、無秩序に色んなものを見たほうがいい」


 そう言って、此岸(しがん)は彼女へにっこりと笑った。


「俺も行く」


 短く、拒絶を許さないような圧。

 覇方(はかた)此岸(しがん)の襟をより強く引っ張った。

 あの温厚な雰囲気を、全てとっぱらったような視線。


「ダメだ。助手くんは過保護だ。見せたくないことは見せない、それじゃあなんの意味もない」


 此岸(しがん)は人差し指を左右に振り、覇方(はかた)の「庇護欲」をあっさりと切り捨てた。


「危ないだろ。見過ごせない」


 覇方(はかた)は彼女へ、どこか試すような視線を向けた。


「私は『お出かけ』に行きたい。昔の自分を取り戻したいから」


 ふたりの視線がぶつかり合う中、彼女の淡々とした声が響いた。

 覇方(はかた)の手が、迷うように、わずかに震えた。


掟期(おきてぎ)くんのためだと言っても、わかってくれないのかな」


 此岸(しがん)はわざとらしく肩をすくめた。


「……危ないことはさせるなよ」


 彼は、襟から突き放すように手を緩めた。

 何か言いたげな表情は隠さなかった。


「悪いようにはしない。無茶もさせない。今日の夕飯までには返すさ」


 此岸(しがん)はそう言って、またあの「ウインク」をした。




 賑やかな通り。

 彼女は、この整備された道が歩きやすいと感じた。

 人の行き交いが途切れないような場所。

 探偵事務所のボロさには不満があった。

 それでも、この立地に構えていることの意味を、彼女はなんとなく理解した。



「はぁ、掟期(おきてぎ)くんの事務所を出たら早速事件か」


 掟期(おきてぎ)探偵事務所の目の前の、活気ある公園。

 狸族の少年と狐族の少女が、なにやらお互いを殴りあっていた。


「どうしたんだ?」


 彼女は視線が合うよう、屈んで尋ねた。


「お前には関係ないだろ!というか誰だよお前!」


 彼女は大きく眉をひそめた。

 少年は今、「誰だよお前」と言ったのか?

 私は特級探偵の掟期 虚呑(おきてぎ このみ)だ。

 彼女は大きく目を見開いた。

 あの病院でも、転院先でも、みんな私を知っていた。

 私は有名人なはずだ。


「私はおきて……」


 此岸(しがん)に口を塞がれた。

 彼女は抵抗も虚しく、もごもごと声を上げるしかなかった。


ここ(D区)では探偵はアングラな仕事なんだ。教育に悪いことは子どもに教えられないだろ?」


 此岸(しがん)は彼女の耳元で告げた。

 アングラ?どういうことだと尋ねようとしたが、彼の目線に口を閉じた。


「こんなところで喧嘩してちゃ危ないだろ?お兄さんとお姉さんに、なにがあったのか教えてくれるかな?」


 彼は極めて穏やかな、作り物の笑顔を見せた。


「うるさい!だまれジジイ!」


 少女の言葉に、彼は心臓を押さえ膝をついた。

 虚呑(このみ)此岸(しがん)の言葉を無視するように、また殴り合いが再開した。子どもたちの会話は成立していなかった。


「はぁ、僕たちはそもそもこの事件がなんなのか、調べる必要がありそうだ」


「うちのシール返せぇぇ!」「おれのキラシールないぃぃ!」


 調べる間もなかった。

 2人の泣きわめいている声が、ホイッスルのように聞こえた。

 虚呑(このみ)此岸(しがん)の目が、互いに合った。


「シール、見つけてやるから。いつ、どこで無くなったのか教えてくれるかい?」


 彼は困ったような笑みで尋ねた。


「さっき!ここで!あったのに!このおばさんじゃないおばさんとぶつかったら、消えた!」


 2人は笑顔を消した。

 スリだ。


「まだ近くにいるはずだ。ここは見通しがいい。申し訳ないが、掟期(おきてぎ)くん」


 彼は息を少し吸った。


「犯人は誰だ?」


 あの時の感覚。

 音が何重にもなり、視界は黒へと変わる。全ての情報が、彼女の中に入っていく。

 なにが起きているのか、わからない。


「あの人だ」


 そう言って、彼女は指をさした。

 ベビーカーを持った、妙齢の羊族の女。通りを過ぎていくところ。


 地面へ向かって、ぽたぽたと鼻血が垂れていた。

 彼女は、胃からせり上ってくるなにかを呑み込んだ。喉が焼けるように痛んだ。

 真相を追わないといけない。それなのに、脚が引きずるように重く感じた。


「変わらないな、ほんと……。ほら、真相を知りたいんだろう?」


 此岸(しがん)はそう言い、彼女の鼻を押さえていないほうの手を引くように走り出した。

 身体は苦しいはずなのに、彼女の顔はどこか緩んでいた。



「お前だな。あの少年少女のシールを盗んだのは」


 彼がその言葉を言ったとたん、羊族の女は、ベビーカーを滑るように押し出しながら逃げ出した。

 身動きが取れないよう、彼はその女を地面へ押さえつけた。


 彼女がベビーカーの覆いをめくった。

 赤子の重みはなかった。柔らかい毛布が1枚。

 その下。


「これか」


 大量の化粧品、鎮痛剤、栄養剤。

 そして、2枚のキラシール。


「それ、怪獣一億面相の……!おほん、そのシールは市場で高く取引されているものだ。それを窃盗、しかも子どものものを」


 此岸(しがん)は一度咳払いをして、改めて女を見下ろした。


「罪は平等に裁かれ……って、もう警察来たのか!?」


 この様子を見ていた人が、既に通報していたのだろう。

 彼の決めゼリフは中断されてしまった。

 警察により、シールは証拠品として押収された。

 子どもたちは、警官の前でも案の定泣きわめいていた。自分たちのシールがなぜ手元に戻ってこない、と。


「ほんっと警察は融通効かないなぁ!」


 彼がわざとらしく大声で言ったので、後の事情聴取が長引いた気がした。



 警察署での事情聴取から解放された帰り道。

 日が沈み始めて、空はパステルカラーになっていた。

 道中のコロッケ屋で、彼女はお惣菜をいくつか彼に買ってもらった。

 揚げたての匂いに、彼女は気持ちが一瞬だけ浮き足立った。


「ところで、なぜ私は犯人がわかったのだろうか。前からそんな推理ができたのか?それとも私は超能力者、なのか?」


 彼女の真面目な顔から出た超能力という言葉に、彼は吹き出した。


「昔の掟期(おきてぎ)くんは、一時的に発動する超的な推理力だって自慢してたよ。でも、そのロジック(理屈)は忘れちゃうとも言ってたね」


 彼はどこか懐かしむように語った。

 その姿を見て、彼女は目を伏せた。


「それでも犯人がわかるようなものなのか?」


 彼女にとっては、証拠が全く足りていないように思えた。


「ベビーカーっていうスリとして安直な記号があった。それに、子を載せたベビーカーにしては重さのある押し方じゃない」


 彼女は無意識に、ぽかん、と口が開いていた。

 重さがないというのは、全く気づかなかった視点だった。

 ベビーカーは隠しやすいから、ということだろうかと、今更彼女は納得した。


「性別も一応わかってた。子どもたちの証言が正しいなら、だけど。だから、犯人候補としては上位に入るだろう」


 たしかに、証言が常に正しいとは限らない。

 見間違えたり、犯人にそう思わされた、なんてこともあるだろう。

 彼女は頭をひねった。


「骨格や体型は?」


 彼女が思い返すと、犯人は出産を経験したと思えないほどに細身で、若々しすぎると感じた。

 もちろんそういった人もいるにはいるだろうが。


「最近は荷物カート代わりに使う人もいる。まあ、推理以上に、あんなに人がいたなかでよく見つけたなって思うよ」


 どんな道筋で犯人を見つけたのか分からないせいで、無駄に頭を悩ませていた。

 冤罪の可能性もあったのだろうか。


「あんまり、事件のことは考えすぎないほうがいい。もう解決したんだし。それより、事情聴取は大丈夫だった?」


 彼は困ったように笑った。

 事情聴取。彼女にとってはこれこそ忘れたい記憶だった。

 怒りに彼女の手が震えてきた。


「大丈夫じゃない。なんなんだあの警察は」


 連行される前は証拠品をひったくられるように取られ、事情聴取は脅すように聞かれ。

 お前たちがやったんじゃないかとも言われ。


「あはは、そりゃそうだ。さっきも言ったけど、探偵はアングラな仕事。法的に認められてるとはいえ、僕たちは警察に嫌われてるんだ」


 アングラで、法的に認められて、警察に嫌われている。直感に反するようなことだ。

 彼女は黙って彼の話を聞いた。


「探偵は無駄に捜査権限があって、少人数で動く。しかも無法者ばっかり。そんなのに手柄を取られて、警察は示しがつかないだろ?」


 昔の私も無法者だったのだろうか。彼女はどこか上の空で、的外れな心配をした。

 それと同時に、彼女の中で引っかかったことがあった。


「でも、私に推理を依頼してきた警官がいた」


 あの狐族の警官───澱片 横哲(おりかた よこさと)

 彼は、例の病院の事件で彼女に助けを求めてきた。


「きっとその警官はよっぽどの無能か───」


 彼女は此岸(しがん)の目を見た。


「───捜査一課 特殊収束室の人間だ」


 特殊収束室。どこか不気味で、不安を感じる名前。

 あの狐族の警官は捜査一課の室長だと言った。

 しかし、どこの室長だとは言っていなかった。

 彼女は、煙に巻かれたような感覚があった。


「特殊収束室は何をしている部署なんだ?」


 彼は立ち止まって、少し上を見た。

 意味ありげな沈黙。

 彼女は固唾を飲んだ。


「正直言って、よくわからない」


 期待はずれの言葉に、彼女の足が道路の石でつんのめり、彼に手で支えられた。


「あいつら、なんでもやるからね。一見すぐ片づく事件もやるし、とんでもなくこんがらがってるのもある」


 歩きながら、彼は少し考えるそぶりを見せた。


「ああ、でも……」


 鳥が鳴いていただけで、それ以外の音は何もなかった。

 二人だけの足音が余計に響いていた。


「彼らが担当した事件は、どれも証拠が改ざんされているって噂はある」


 彼女は冷や汗を垂らした。

 その噂が本当なら、あの病院の事件の顛末は?

 横哲は何者なんだ?

 私を探偵として呼んだのは何か理由があったのか?

 そもそも、私があの場所に入院していたのは偶然だったのか?



 口へ、顎へ何かが垂れた。

 赤い。


「鼻血出てる。さっきの、上手く止まってなかったのか」


 一度立ち止まり、彼はティッシュを彼女に手渡した。

 彼は急かしもせず、少し慌てた様子の彼女を見つめていた。

 夕日の影になって、彼女には彼の表情が見えなかった。


「昔のきみも、毎回、こうやって証拠集めの前に犯人を当てて。それで鼻血を出したり、酷いときは倒れてみたり。推理の代償かな?」


 彼女は何も言わなかった。

 昔の自分を想像してみても、いまいち人物像がつかめなかった。


「そんな状態なのに、犯人を捕らえても推理(答え合わせ)を続けるって聞かなくて。犯人は百発百中とはいえ、ほんとに迷惑な子だったよ」


 はぁ、と大きなため息をつきながら、彼は苦笑した。

 彼女にはまだ、さっきの言葉が頭にこびりついていた。

 証拠の改ざん。特殊収束室の室長。あの病院。

 脚の震える感覚が残っていた。



「私ときみは、どういう関係だったんだ?」


 彼女は今すぐに話題を変えたかった。

 単なる好奇心で、恐怖心を上書きしたかった。

 彼を通して、昔の自分を近くで見ているようだったから。


掟期(おきてぎ)くんと僕は幼なじみなんだ。僕の方が年上だけど、今の今まで、つかず離れず。でも見失ったことはなかった」


 彼の声が少し震えていた。

 どう答えればいいのか、どう受け止めればいいのか彼女はわからなかった。


「……ごめん」


 彼女は反射的に謝った。

 そう言ってしまったあと、俯いて、その言葉が正しいのか考えた。

 彼女には幼なじみという、長い付き合いを失った感覚すらなかった。

 ただ記録を書いた紙が消えてしまったのと同じ。


「謝るなら、今すぐ思い出してくれ」


 その通り、今すぐ思い出せたらよかったのに。

 ずっと、そう言われるのが怖かった。

 できるなら、彼女もそうしたかった。後悔することもできなかった。


「ねぇ、なんで。僕はずっときみのことで頭がいっぱいなのに。なんで、きみには僕がいないんだ?」


 彼女は彼の手に、顎をすくわれた。

 この距離で、ようやく焼け付いてしまうような彼の視線に気づいた。

 離れたいのに、離してくれない。呑み込まれてしまいそうで、逃れられない。


「ずっと苦しくて、悲しくて、つらいんだ。やっときみが目覚めて、やっとこうやって話せたのに。上手く取り繕えない」


 彼女が感じてしまったのは、乾いた木の温もりと、行き場を失った重い甘さ。

 香水の香りが体温を持っているかのようだった。

 どうか赦してほしいと、彼女は思った。


「でもね、きみが僕の大切な掟期(おきてぎ)くんなのは変わらない。たとえ思い出せなくとも僕が……」


 彼女は息を不規則に吸って、吐いていた。

 彼は彼女の震えるまつ毛を見た。

 彼の手には、ぽつぽつと冷たくなるような感覚があった。

 思い出せなくなる「もしも」なんて、言ってはいけないことなのに。


「変なこと、言った。ごめんね」


 彼は手を下ろした。

 ゆったりとして落ち着いた声なのに、上ずっていて、喉が詰まるようだった。



 しばらくの静寂も気にとめないほど。

 考えて歩いているうちに、事務所の前に来ていたのも、気づかなかったほど。


「じゃあ、ここで。今日は本当にごめん。あ、助手くんにも代わりに謝っておいてくれるかな?約束破って、きみを無茶させちゃったこと」


 彼女はこくりと頷いた。

 彼は彼女に目を合わせなかった。

 べつに無理なんてしていない。そう言おうとした。

 彼は彼女が頷いたのを見て、既に背を向けていた。

 彼に二度と会えなくなりそうで。


「また、出かけよう」


 彼女は去ろうとする此岸(しがん)に、そう告げた。

 彼はゆっくりと振り向く。数秒口を開けては閉じを繰り返し、ようやく言葉を紡いだ。


「うん。……次はちゃんと、デートコース考えてくるから」


 柔らかい街灯の灯りに照らされた彼の顔。

 彼女が手に持っていた惣菜の袋は、まだ暖かかった。




「ただいま」


 覇方(はかた)は入口で彼女を迎えた。しかし、彼のおかえり、という声はあまりにも暗かった。

 帰りが遅くて怒っているのかと、彼女はすばやく姿勢を正した。


「探偵会の本部に行かないといけなくなった。ほんとに、突然なんだけど」


 彼は真っ青な顔を床へ向けた。

 彼女が想定していたのとは違う回答。


「探偵会?」


 腑抜けた声で言葉を復唱した。

 彼女は思い返すと、探偵免許証なるものに「D区探偵会」という字面を見た気がした。

 怒っていないとわかると、少し脱力したように息を吐いた。

 覇方(はかた)はしばらく唸りをあげ、突然何か思い立ったように顔を上げた。


「明日、早起きしてほしい。10時。できるかな?」


 彼女は、10時は早起きではないと言おうとした。しかし、彼の深刻な顔を見て、言葉を引っ込めた。


「それ以上は何も聞かないで。ちょっと、考える時間がほしいんだ」


 彼は彼女の返事を待たず、廊下へ向かおうとしていた。


「おかず、此岸(しがん)に買ってもらったんだ。晩御飯にしよう」


 彼女は、手に持った惣菜の袋を掲げてみせた。せっかくのお惣菜が冷めてしまうから。それだけじゃないが、彼女はそう言うことにした。



 翌日。朝9時。既に2人は身支度を済ませていた。

 10時に目覚める予定だったが、なんとなく、彼女は早く目が覚めてしまった。

 覇方(はかた)はずっと黙っていた。立ったり座ったり、落ち着かない様子の彼を、ただ眺めていた。



 突然、インターホンの音が聞こえてきた。「ピンポン」という音が鳴り止む前に、次の「ピンポン」が鳴る。

 彼へ出るべきか伺う気にもなれなかった。彼女はわけもわからず、扉を開けた。


「誰もいない」


 イタズラだろうか。

 その代わり、場違いのように長い高級車が家の前を占有していた。


「し〜た!下だよ!このロバ!」


 アイドルのような服に身を包んだ、鼠族の小柄な少女。

 背伸びをして、顔を真っ赤にしていた。


「ロバ?私は兎族だが」


 彼女は反論した。さすがに兎族としてのアイデンティティは……


「い!い!か!ら!どーせ意気消沈したなよなよ助手いるんでしょ?あいつも連れて早く車に乗って!」


 少女に無理やり押し込まれて向かったのは、探偵会本部。

 そこで待ち受けていたのは、「殺人事件」だった。

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― 新着の感想 ―
記憶を失った主人公が特級探偵と呼ばれる存在であり、連続殺人事件の唯一の生存者であることなど、謎に満ちた始まりにとても引き込まれました。 異世界感が漂う雰囲気も印象的で良かったです。 連続殺人事件の真相…
Xの方から伺わせていただきました! ミステリーという括りの中では本格派というよりキャラクター文芸的な要素の強さを個人的に感じています! どことなく設定周りから特にライトなノリが感じられて、まだ序盤か…
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