第68話「今は、どうしたい?」
「今は、どうしたい?」
好代は、初めてそう聞いた。
閉店後の店で、ドナルゥトゥの前に水を置く。その横へ三枚のカードを並べた。
《ここに置く》
《片づける》
《分からない》
最後に、昨日作った包みを置く。《あなたの分》。
「これ、私が作りました。みんなから材料とか、やり方とか、いろいろもらいました。でも、全部は使ってないです」
包みを開く。焦げた端。酸味のあるソース。焼いた玉ねぎ。少し苦い匂い。
「私は好きです」
ドナルゥトゥの手が伸びかけて、止まった。
好代は待った。それから、自分の方を先に話す。
「食べてもいいです。食べなくてもいいです。分からなくてもいいです」
手は動かない。
「あと、私の意見も言います。食べてほしいです。私が作ったので」
喉の奥が少し痛んだ。
「それと、前みたいに何か戻るかもしれないって、少し思ってます。戻すために食べてほしいわけじゃ……」
言い切る前にやめた。
「……違います。戻ったら嬉しいです」
ドナルゥトゥは動かない。
◇
好代は机の下から古い記録を出した。
《呼ぶ》
《運ぶ》
《食べさせる》
その横に、前に残した別の記録も置く。
《与える/受け取る/運ぶ/摂取する動作が同一個体に併存》
「あなたの昔かもしれないし、違うかもしれないです。どれが本当か、まだ分かりません」
ドナルゥトゥの指が《食べさせる》へ触れた。離れる。《運ぶ》へ移り、また離れる。《呼ぶ》にも触れたが、そこにも残らなかった。
好代は三枚を重ねなかった。
「私が一つに決めることもできます。でも、しません」
少し離れた席で、真意がペンを動かしている。口は挟まない。
好代はバーガーへ視線を戻した。
「食べたら何か変わるかもしれません。変わらないかもしれません。食べなくても、このままかは分かりません」
言い終えて、自分で並べた三枚のカードを集めた。
机の上から選択肢が消える。
バーガーだけが残った。
「今は、どうしたい?」
◇
ドナルゥトゥが手を伸ばした。
バーガーではなく、水だった。
コップを持ち、一口飲む。しばらく持ったまま、それを好代の方へ押した。
「これ、私に?」
返事はない。
好代はコップを受け取った。
その時、ドナルゥトゥの手が上がった。
好代の袖へ近づく。
止まった。
布には触れない。
好代も動かなかった。
しばらくして、その指が横へずれた。袖ではなく、バーガーの包みをつまむ。
自分の前へ引いた。
◇
紙が鳴る。
ドナルゥトゥは包みを開き、焦げた端へ顔を寄せた。
一口。
噛む。
飲み込む。
好代の手の中で、さっき渡されたコップが少し温かい。
二口目には行かなかった。
ドナルゥトゥは包みを閉じる。
「もういい?」
返事はない。
包みも戻ってこない。
自分の側へ置いたまま、手を離した。
好代はそれ以上聞かなかった。
◇
真意が記録を一度だけ好代へ向けた。
《バーガー:一口摂取》
《残部:ドナルゥトゥ側に保持》
《旧接触反応の復旧:なし》
「選んだ、でいいですか」
「一口食べて、残りを自分の側に置いた。そこまでは確認できる」
「それ以上は?」
「解釈は後」
好代は記録ではなく、ドナルゥトゥの前の包みを見る。
「じゃあ、それで」
◇
帰る時間になっても、包みはそこにあった。
好代は冷蔵庫へ戻さなかった。保存もしない。明日には乾くかもしれないし、味が落ちるかもしれない。最後まで食べられないかもしれない。
店を出る前、一度だけ振り返る。
ドナルゥトゥは包みのそばにいる。
袖は掴まれない。
それを何かの代わりだとも、新しい関係だとも、まだ呼ばない。
昨日まで好代の手にあったものが、今はドナルゥトゥの側にあった。
それだけは、もう戻っていなかった。




