第66話「食べたい」
目の前に、三十一個あった。
好代は、一個だけ取った。
閉店前。冷蔵庫の三十一番が点いている。
《試食可能》
その下に、小さなバーガーが三十一個。焦げた匂い。甘い匂い。雨上がりみたいな匂い。金属みたいに冷たい匂い。鼻だけで分かるものの間に、知らない匂いがいくつも混じる。
画面には、もう一行あった。
《全品摂取:適合》
好代は二度読んだ。
全部食べても死なない。
千姿化した今なら、通り過ぎた異常情報も身体へ残せる。
昔は胃袋が先に止めた。四個、五個、六個。もっと食べられたらと思っていた。食べれば知れる。使える。消える前に、もう一つ。
今は三十一個とも食べられる。
◇
好代は一番近いものを持ち上げた。匂いを嗅いで戻す。
二個目。甘い。戻す。
三個目。酸味。昨日までの試作品に少し似ている。でも違う。これも戻した。
「能力、確認しないんですか」
真意が聞く。
「確認した方がいいです?」
「必要性はまだ別」
「ですよね」
四個目、五個目。好代は食べない。
七個目を持ち上げた。
焼いたバンズ。肉。少し苦いソース。その奥に、知らない匂い。
能力かもしれない。別の世界線かもしれない。
そこまで嗅いだところで、腹が鳴った。
ぎゅるるる。
好代の手が止まる。
昔は、能力が消える前に鳴った音だった。
もう一度。
ぎゅるるる。
今はただ、腹が減っている。
「……お腹すきました」
七個目を鼻の前へ戻す。
今度は能力の匂いを探さなかった。
「これ、食べたいです」
◇
一口。
最初に苦い。
噛むと肉の甘さが出て、最後に知らない香りが鼻へ抜けた。
何かが身体へ入る。消えずに残るものが増えたのも分かる。
好代は調べなかった。
二口目。
三口目。
半分で手を止める。
「全部食べない?」
「今は、これでいいです」
「残りは?」
好代は半分の断面を見る。まだ温かい。
「後で食べたくなったら食べます」
画面が点滅した。
《未取得:30》
好代はバーガーより長く、その文字を見た。
昔なら損をした数に見えたかもしれない。
今は、三十個がそこに残っている。
「これ、事実ですか」
「三十個を摂取していない、という意味なら」
「言い方を変えてもいいです?」
「意味を変えないなら」
好代は端末へ触れた。
《未取得:30》
文字を消す。
《未選択:30》
真意が画面を見る。
「選ばなかった?」
「今日は」
「今後は?」
「分かりません」
◇
残り半分を包む。
三十個は冷蔵庫へ戻した。
閉店後、ドナルゥトゥの水は一口だけ減っていた。
好代は今日は何も差し出さない。自分の包みを持ったまま、その前を通る。
「今日は、私の分です」
返事はない。
帰り道、包みからまだ少し苦い匂いがした。
好代の腹が、もう一度小さく鳴る。
今度は立ち止まらなかった。
全部を持っていない。
だから、帰ってから食べるものが残っていた。




