第65話「断っていい」
好代は、三日かけてバーガーを作った。
食べてもらえなかった。
試作品には、まだ名前がない。少し薄いバンズにパティを一枚。酸味のあるソースと、香りを残した焼き玉ねぎ。
前に客が「酸っぱいけど好き」と言ったのを覚えている。でも、その客に合わせたわけではない。
PANDEMONIUM側の材料だけで作ったそれを、好代は一口食べた。
「……好きです」
もう一口。
能力は増えない。知らない記憶も入ってこない。ただ、おいしい。
だから、誰かにも食べてほしくなった。
◇
最初に来たのは常連の女性だった。
「酸味が強めです。玉ねぎの香りも残ってます。私は好きです」
「新作?」
「試作です。よかったら」
女性はバーガーを見て、少し考えた。
「今日はいいかな」
好代の返事が一拍遅れた。
「……はい」
女性はいつもの商品を頼む。会計して、袋へ入れて、渡す。いつも通り全部できた。
ドアが閉まると、試作品だけが作業台に残った。
「理由、聞けばよかったかな」
隣で真意が記録から顔を上げる。
「改善のため?」
「はい」
「断った理由を説明する義務は?」
「ないです」
「なら、そこは分けて」
好代は試作品を見る。
食べてほしい。改善したい。理由を知りたい。断った人に説明してもらう。
同じ気持ちから出てきても、同じことではなかった。
◇
二人目の若い男性は、一口食べて顔を曇らせた。
「苦手かも」
胸の奥が、ちくっとした。
「どこがです?」
聞いてから、好代は続けた。
「言いたくなければ、大丈夫です」
男性は少し考えた。
「玉ねぎかな」
「ありがとうございます」
レシピ帳へ《玉ねぎ:苦手という回答一件》と書く。その下へ《玉ねぎを減らす》まで書いて、消した。
三人目は「おいしい」。四人目は「酸っぱすぎる」。五人目は「玉ねぎもっと欲しい」。
揃わない。
好代は、消した一行を見て少し安心した。
◇
夕方、最初の女性が忘れ物を取りに戻った。
「まだあるんだ。売れなかった?」
「試食はしてもらいました」
「どうだった?」
「ばらばらでした」
女性が笑う。
「じゃあ、よかったじゃん」
好代は試作品と女性を交互に見た。
「さっき、なんで断ったんです?」
口から出て、すぐに気づく。
「……答えなくていいです」
「お腹いっぱいだっただけ」
好代は固まった。
味でも、見た目でも、自分でもなかった。
「……そっか」
「そんな顔する?」
「三日かけたので」
「それは知らないよ」
「ですよね」
今度はちゃんと笑えた。
◇
閉店後、残った試作品を半分に切った。
片方を好代が食べる。冷めても、やっぱり好きだった。
もう片方をドナルゥトゥの前へ持っていく。
《ここに置く》《片づける》《分からない》。前から残している三枚のカードには触れない。
「私が作りました。酸っぱいです。玉ねぎの匂いがします。私は好きです」
皿を置く前に、一つ足した。
「食べなくていいです」
ドナルゥトゥは見る。
手を伸ばさない。
好代も動かない。
一分。
二分。
皿の上でソースの艶が少しずつ鈍くなる。
食べてほしかった。
自分でも驚くくらい。
店内を整理したあの日から、袖を掴まれなくなった。水だけは減る。もしこのバーガーを食べてくれたら、何かが戻ったように思えるかもしれない。
好代の手が皿へ伸びた。
ドナルゥトゥの方へ押すのではなく、自分の方へ引く。
「分かりました」
それだけ言って片づけた。
厨房で残りを食べる。
冷めていた。
それでも好きだった。
◇
その日の記録には、五件の試食評価が揃わなかったことと、拒否理由が味以外にもあったこと、ドナルゥトゥが食べなかったことだけを書いた。
最後に一行。
《断っていい》
好代はその紙を壁へ貼らなかった。
自分のレシピ帳を開き、消した《玉ねぎを減らす》のページの隣へ挟んだ。




