第61話「揃えないで」
「揃えれば、違いを見やすくできると思います」
世籟が言った。
好代はすぐには断れなかった。
昨日のノートも持ってきていた。左に《忘れていない》。右に《私のものかは、分からない》。二列を開いたまま、机の端へ置く。
翌日。公園の記憶はまだ鮮明だ。赤い滑り台。辛い味。娘の笑い声。
自分が行った覚えのない公園なのに、思い出すと胃のあたりまで懐かしくなる。
真意が机へ証言、録音、防犯映像、好代の記述、心拍ログを並べた。
「通常比較では一致点が多すぎます」
「違うところは?」
「ある。でも、取得経路の差か、内容の差かは分けられない」
世籟が机を三回叩く。
短い。短い。長い。
好代の肩が硬くなった。
「ライ・ライ・ル?」
「似ています。でも今回は、私が鳴らしています」
「FOCUSなら?」
「周期のあるものを一つずつ強くできます。違いは追いやすくなると思います」
「本物が分かる?」
真意が先に言った。
「そこまでは言ってない」
好代は机を見る。
店内を整理して関係を失った。返そうとして記憶まで薄くした。昨日は消さなかった。
今回は消さない。比べるだけ。
そう思えた。
「少しだけ、お願いします」
◇
世籟がFOCUSを始めた。
最初に好代の心臓。
どく。
録音の中の娘の笑い声が、その次の拍へ寄る。
防犯映像で女の手が袋を開く。
どく。
公園の赤い滑り台。辛さ。ベンチ。
ばらばらだったものが、同じ拍へ近づいていく。
冷蔵庫の唸りまで遠くなる。
「見えます」
公園が鮮明になった。
女の視線。娘の声。自分の胃が縮む感覚。全部が同じ速さで動く。
「もう少し強くします」
世籟の声と一緒に、景色が滑らかになった。
娘が振り向く。
好代を見る。
昨日は、見ていなかった。
「辛い!」
娘が笑う。
好代も笑いそうになった。
嬉しかった。
その嬉しさが、自分の思い出として自然すぎた。
「待って」
真意が記述を指で押さえる。
「視線が変わってる。昨日の記述では女客を見ている」
好代の胃がもう一度縮む。
「同期の影響ですか」
世籟はFOCUSを保ったまま答える。
「可能性はあります」
「戻せます?」
「CUTで共鳴から外せます」
「元の記憶に?」
「そこまでは言えません」
目を閉じても、公園は消えなかった。
むしろ綺麗だった。
女の記憶。好代の身体。映像。記録。全部が同じ一日に収まりつつある。もう少し続ければ、矛盾のない思い出になる気がした。
その時、好代は気づいた。
今ほしいのは答えではなく、楽な記憶になりかけている。
「揃えないで」
「CUTします?」
「はい」
音がほどけた。
冷蔵庫。換気扇。外を走る車。好代の心臓。
全部が別々の速さへ戻る。
公園で娘が誰を見ているのか、また曖昧になった。
元通りかどうかは分からない。
◇
「失敗ですか?」
好代が聞く。
「操作は成功しています」
真意はFOCUS前の記述と今の記憶を並べた。
世籟も頷く。
「同期もCUTも、動作は正常です」
真意が残した表示は一つだけだった。
《同期前状態への完全復帰:未確認》
好代は前に残した三拍子の紙を出す。
《三拍子の一致を確認》
《意味の一致は未確認》
「あの時と同じでした?」
世籟が聞く。
「違います。あの時は、調べる前に止めました」
今回は始めた。娘がこちらを向くところまで見た。
その差は消さなかった。
夜、ドナルゥトゥの席へ行く。
水はまた一口減っていた。袖は掴まれない。
昔の接触の感覚と、今の距離。世籟なら揃えられるかもしれない。
好代は頼まなかった。
返品棚には《八一七》。半液体も残っている。公園の記憶もある。ドナルゥトゥとの反応は戻っていない。
どれも一つの話にはならなかった。
好代は閉店作業を続けた。
冷蔵庫、換気扇、外の車、心臓。
四つの音は、最後まで揃わなかった。




