第52話「盗まれた一個」
三十一個あるはずだった。
冷蔵庫には、三十個しかなかった。
開店前。好代は白いトレーを端から数え直した。
十五、十六。
次だけ、白い底が見えている。
十八、十九。
「十七番です」
昨夜の閉店時にはあった。クルー一人につき一個、同条件で味を見るための限定試作。番号札も一から三十一まで揃えていた。
秩序が冷蔵庫の前へ立つ。
「同一ロットを保留します」
「全部ですか?」
「欠損原因を確認するまで」
三十個がその場で封鎖された。
監視映像を戻す。
午前二時十三分。扉は閉じている。
二時十四分。閉じている。
二時十五分。閉じている。
二時十六分。
十七番だけがない。
扉は、一度も開いていなかった。
「盗まれた?」
「持ち出し主体を確認していません」
「消えた?」
「消失過程も確認していません」
好代は空いたトレーを見る。
「じゃあ、《一個欠損》」
「それで十分です」
◇
昼を過ぎても十七番は見つからなかった。
冷蔵庫の裏からは、袋が擦れたような音の残りだけが拾えた。持ち出した音にも、落とした音にも聞こえる。
材料はある。
レシピもある。
好代は同じバンズ、同じパティ、同じソースで一個作った。
重量差、一グラム未満。
番号札《17》を差す。
冷蔵庫へ戻す。
三十一個。
きれいに揃った。
好代は扉を閉めかけて、もう一度開けた。
さっきまで空いていた場所が、見た目では分からない。
「……これ、十七番にします?」
秩序は答えを返さず、好代を見る。
好代は新しい一個を抜いた。
番号札を外す。
別のトレーへ移す。
「これは、新しく作った一個です」
《17:欠損》
《追加試作A:新規》
そこまでは、うまくいった。
好代は三十個の前で待った。
十七番が見つかれば、全員を同じ条件で試せる。
十分。
二十分。
一時間。
厨房から甘酸っぱいソースの匂いが少しずつ弱くなる。
一個の端で、焼いた玉ねぎが乾き始めた。
「保留継続しますか」
秩序が聞く。
「もう少し」
その間に、一人が休憩を終えて持ち場へ戻った。
もう一人は別作業へ呼ばれた。
最初の一個を作った時に聞こえていた、包装紙の内側のかすかな擦過音も消えた。
好代は時計を見る。
「同じ条件じゃ、なくなってきてますね」
「はい」
「待ってるのに」
「待機も条件を変化させます」
好代は十七番の空白を見る。
欠けた一個を守るために、残っている三十個まで昨日の状態へ固定できるわけではない。
「封鎖、全部じゃなくていいですか」
「安全確認と原因調査は分けられます。残存三十個に危険兆候は確認していません」
「じゃあ、試食は再開します」
「十七番は?」
「欠けたままで」
好代は追加試作Aを半分に切った。
足りない一人分は、それで分ける。
《全員同時試食》の欄には線を引いた。
《中止》
代わりに、
《欠損調査:継続》
《残存運用:再開》
と書いた。
三十個は冷蔵庫から出ていった。
十七番の白いトレーだけが残った。
◇
夕方、冷蔵庫の裏から番号札の端が見つかった。
《17》
好代はしゃがんだまま、それを受け取った。
証拠は増えた。
十七番は戻らない。
持ち出した人も、落ちた場所も、それだけでは決まらない。
秩序が記録を開く。
《17:欠損》
《番号札断片:冷蔵庫裏》
《欠損調査:継続》
「閉じますか?」
「閉じないです」
「運用は?」
好代は空になった試食トレーを見る。もう味見は終わっている。
「止めません」
翌朝、冷蔵庫には十七番の空いた場所だけが残っていた。
追加試作Aは別の棚。
小さな札を二枚立てる。
《欠損中》
《運用中》
好代は少し離れて見た。
空白は残っている。
昨日の味は、もう残っていない。
「埋めない、だけじゃ足りなかったです」
秩序が隣で確認する。
「空所の保存と、全体の停止は別です」
好代は頷いた。
冷蔵庫の扉を閉める。
十七番が戻るまで、店まで止めておく理由にはならなかった。




