第51話「運んだもの」
住所は、二つあった。
箱の表には、古い方。
配送端末には、新しい方。
至誠は薄い木箱を抱えたまま、どちらも消さない。
古い住所は木へ焼き付けられている。今は存在しない町名。
その上に、新しい配送票。
現在の住所。現在の名前。
「一個しかないですよね」
好代が聞く。
「一個です」
「どっちへ運びます?」
至誠は端末を見る。
「現在の受取人は確認できます。古い届け先も配送条件として残っています」
彷徨が地図を覗き込んだ。
「古い方、行けるかもしれませんねぇ」
「町、ないんですよね?」
「ない場所ほど、着くことありますよねぇ」
「安心していい話です?」
「私は安心しませんねぇ」
新しい配送票の女性へ電話すると、すぐ本人が出た。
祖父の家を片づけていて、古い注文票のような紙を見つけたという。
「届くわけないと思って送ったんですけど」
届いてしまった。
古い住所は、祖父が子どもの頃に住んでいた町だった。区画整理で町名も道も消えている。
「そこに届けてほしいって意味だったんでしょうか」
「そこは確認できません」
好代は木箱を見る。
「箱、開けてもいいです?」
「私が受け取ってからなら」
その返事で、現在の受取人だけは一つ増えた。
古い宛先は消えない。
好代は至誠を見る。
「先に、古い方へ行けます?」
至誠は箱を抱え直した。
「商品は保全します」
◇
三人で、町があった場所へ向かった。
今は広い道路と集合住宅。番地は途中で切れている。
彷徨が一本の細道へ入った。
「こっちだった気がしますねぇ」
「知ってるんですか?」
「知りませんねぇ」
曲がる。
また曲がる。
地図の現在地表示が道路から外れた。
至誠は止まらない。箱は傾かない。
十三段の古い石段が、集合住宅の裏に残っていた。
上は小さな空き地。
家はない。
至誠の端末が鳴った。
《届け先到達》
「ここが?」
「配送系は到達と判定しています」
至誠は箱を置かなかった。
風だけが空き地を抜ける。
受け取る手がない。
「ここへ置けば、古い住所には届いたことになります?」
「受領ではありません。商品を放棄します」
好代は石段の上を見る。
昔、ここに家があったのかもしれない。
祖父が待っていた時期があったのかもしれない。
箱の焼き文字は、新しい配送票よりずっと古い。
だから正しそうに見える。
「……戻りましょう」
至誠が端末を示す。
「旧届け先への到達記録は残ります」
「残してください」
「配送先を変更する記録は作りません」
好代は少し考える。
「はい。古い方を間違いにしたいんじゃないです」
石段を下りながら、彷徨が振り返る。
「道って、終わった場所から続くことありますねぇ」
◇
女性は玄関で、箱を両手で受け取った。
至誠の端末がもう一度鳴る。
《受領》
箱の中には、紙袋が一つ。
乾いている。
食べ物の匂いはない。
紙袋から出てきたのは、小さな木の皿だった。
裏側に文字がある。
《いつか、食べられる日に》
女性の指が止まった。
「祖父、病気で食事制限があったんです」
木皿を裏返す。
「子どもの頃からだったって」
好代は何も言わない。
女性が皿の縁を撫でる。
「本人には、届かなかったんですね」
その言葉にも、好代は答えなかった。
届かなかった。
でも、今は届いている。
どちらかを消せば、きれいになる。
女性が顔を上げた。
「これ、使っていいと思います?」
「私に聞きます?」
「なんとなく」
好代は木皿を見る。
古い宛先で、受け取る人はいなかった。
今、この人の両手にある。
「私は、使っていいと思います」
「祖父のなのに?」
「お祖父さんのだったことは、変わらないです」
好代は一度そこで切る。
「でも、今持ってるのは、あなたなので」
女性は少し考えた。
「じゃあ、今日の夕飯に使います」
その夜、至誠の端末には二行が並んだ。
《旧届け先:到達/受領なし》
《現受取人:受領》
片方を訂正しなくても、配送は終わった。
「配送終了です」
帰り道、彷徨が違う角を曲がった。
「店、こっちでしたっけ」
「違います」
「やっぱりですかねぇ」
好代も至誠も、その後を追った。
少し遠回りして店へ戻る。
至誠の端末には、二行とも残ったままだった。




