第50話「最初の顔」
紙の王冠の裏に、穴があった。
昨日の創業祭でレジ横へ置いた王冠を持ち上げると、棚板に指先ほどの丸い窪みがある。
好代は王冠を持ったまま止まった。
「昨日、ありました?」
真意が棚を見る。
「映像を確認します」
昨日の映像では、王冠が邪魔で棚板までは見えない。
窪みの中には、小さな金属片が嵌まっていた。
表には顔らしい線。
笑っているようにも、泣いているようにも見える。
裏には三本の溝。
好代が端を持ち上げると、店の奥で椅子を引く音がした。
振り向く。
誰も座っていない。
それでも、椅子の背だけが薄く二重になる。
誰かを座らせる。
皿を置く。
何かを差し出す。
布越しに抱くような腕。
食べ物を口元へ押し込む手。
皿を置き、背を向ける。
六つ。
顔はない。
どれも最後まで続かず、途中で薄れる。
「人物ですか?」
「行為しか確認できません」
真意は金属片に触れず、位置だけ撮る。
棚の窪みには三つの突起があった。
金属片を合わせられる向きも三つ。
一つ目では、顔の線が笑って見える。
二つ目では怒って見える。
三つ目では目を閉じて見える。
好代は三つを順番に覗いた。
「最初の顔、どれでしょう」
「最初だと確認できる材料はありません」
「でも、どれかだった可能性はありますよね」
「あります」
それが余計に触りたくなる答えだった。
好代は一つ目を窪みへ合わせた。
押し込まない。
金属と突起が触れただけだった。
椅子を引く残像が急に濃くなる。
その向こうで、皿を置いて背を向ける動きが透けた。
「待って」
好代は手を離した。
濃くなった椅子は元へ戻る。
薄くなった最後の動きは、戻らなかった。
六つあったはずの行為が、五つになった。
真意が昨日ではなく、数分前の映像を再生する。
画面には六つ目が残っている。
棚からは出ない。
好代の指先に、金属の冷たさだけが残った。
「触っただけなのに」
「接触前後で一件減っています」
「これが本当に最初の顔だったら?」
「その場合でも、今消えた一件が不要だったことにはなりません」
好代は金属片を見る。
笑って見える向き。
誰かを座らせる行為が濃くなった。
優しい始まりに見える。
食べ物を口へ押し込む手より、ずっと選びやすい。
好代はもう一度、窪みへ近づけた。
今度は触れる前に止めた。
「私、こっちが最初だったことにしたいだけかもしれません」
真意は答えを訂正しない。
「なら、そこは記録できます」
好代は金属片を透明袋へ入れた。
三本の溝が全部見える向きにする。
《向き未確定》
《接触一回》
《残像一件消失》
最後の一行は、好代が書いた。
《最初の顔:未確認》
◇
閉店前。
装置には触れていない。
それでも客席から、ぎ、と椅子の脚が鳴った。
朝に濃くなったのと同じ椅子が、誰もいないテーブルから少し引かれている。
好代は入口で止まった。
残像ではない。
本物の椅子だった。
「昨日の創業祭で使いました?」
「使っています」
真意が答える。
好代は椅子の背へ手を置いた。
朝の金属片より温かい。
元の席へ押し戻しかける。
入口の壁際には、何もない。
昨日、立ったまま待っていた客がいたことを思い出す。
好代は椅子をそちらへ運んだ。
壁へぴったり付けず、人が一人座れるだけの隙間を残す。
「そこが最初の場所だったんですか?」
真意が聞く。
「違います」
好代は椅子から手を離した。
「今日、ここにあったら使えるので」
翌朝。
椅子には誰も座っていなかった。
代わりに、その横へ薄い木箱が置かれていた。
表には、今は存在しない町の住所。
その上から、新しい配送票が貼られていた。
好代は、古い焼き文字から先に読んだ。
それでも、剥がせる新しい方を剥がさなかった。




