第39話「同じでした」
バーガーは、普通だった。
透明な容器。
紙の帯。
《未摂取》
昨日から冷蔵保存されていた検体を、規定どおり温め直した。
好代は封を切る前に手を洗った。
一度。
蛇口を閉める。
もう一度開いた。
二度目を洗う。
摩天が見る。
「怖いならやめろ」
「怖いです」
好代は手を拭いた。
「でも、食べたいです」
救命室には、バーガーの匂いが似合わなかった。
真意。
摩天。
万寿。
輪廻。
通常の救命設備が一番近い。
PANDEMONIUM側の手段は、その後ろ。
順番は決めてある。
最初から異常能力で結果を潰さない。
真意が確認する。
「中止するなら今です」
好代はバーガーを持つ。
温かい。
バンズが指の腹へ少し沈む。
ソースの匂い。
焼いた肉。
何度も食べたかった、普通の匂い。
「食べます」
一口。
バンズが潰れる。
肉が切れる。
ソースが舌に広がる。
塩気。
脂。
少し甘い。
好代は目を開いた。
「おいしい」
嬉しかった。
そのまま二口目へ行きそうになった。
喉が閉じた。
息が入らない。
バーガーが手から落ちる。
床へ着く前に摩天が取った。
「時刻」
真意の声。
通常救命が始まる。
気道。
循環。
投薬。
除細動。
好代は床ではなくベッドにいる。
いつ移されたか分からない。
胸が跳ねる。
空気が入らない。
誰かが名前を呼ぶ。
返事をしたい。
口が動かない。
一度、心拍が戻る。
数字が上がる。
また落ちる。
通常救命は止まらない。
音が遠くなる。
最後に見えたのは、摩天の手だった。
半分以上残ったバーガーを、潰さないように持っている。
それがおかしくて、少し笑いたかった。
できなかった。
◇
心拍停止。
呼吸停止。
反応なし。
通常救命継続。
戻らない。
もう一度確認する。
戻らない。
時刻が記録された。
死亡。
その一語が記録へ入ってから、万寿が前へ出た。
「ここからは、崩さないようにしたいわ」
死を取り消さない。
止まった身体が、その先で失われていくのを固定する。
皮膚。
臓器。
神経。
死亡後の好代を、死亡していないことにはしない。
ただ、これ以上遠ざからないように留める。
輪廻が首元と胸部を確認する。
「壊れたところから考えよう」
元の好代を呼び戻すのではない。
止まった身体を、もう一度機能できる構成へ組み直す。
気道。
循環。
神経。
一度目。
心臓が動く。
止まる。
二度目。
動く。
呼吸が続かない。
「ここ、つながってるのに働かない」
輪廻が指す。
真意が記録する。
構造上は接続。
機能だけが一致しない。
そこだけ、千姿系統の再同期を使う。
全身ではない。
過去の好代へ戻すのでもない。
破綻している局所だけを、今の身体で働く設定へ合わせる。
心臓。
一回。
二回。
三回。
呼吸。
浅い。
もう一度。
続く。
万寿はすぐに保存を解かない。
輪廻も触らない。
「急がなくていい。続いてるか見よう」
誰も「生き返った」と言わなかった。
好代が目を開けたのは、ずっと後だった。
白い天井。
知らない。
知っている。
どちらか分からない。
「好代ちゃん」
摩天の声。
顔を向ける。
首が痛い。
喉も痛い。
「……バーガー」
摩天が眉を寄せる。
「そこか」
「落ちました?」
「落としてない」
好代は少し笑った。
首が痛んだ。
真意が質問する。
名前。
日付。
店。
最後に覚えていること。
「食べました」
「その後は?」
一口。
味。
おいしい。
喉が閉じる。
摩天の手。
その先がない。
「分かりません」
輪廻がベッド脇へ来る。
「昨日の自分から続いてる感じ、する?」
好代は目を閉じた。
店。
クレヨンのバーガー。
存在しない棚を避ける癖。
千姿という名前。
普通のバーガーが好きだったこと。
全部ある。
「します」
少し間を置く。
「でも、証明はできないです」
「うん。そこは分けておこう」
身体を確かめる。
首の下に薄い線。
触る。
自分の皮膚なのに、指先から少し遠い。
水を飲む。
温度が分かる。
味も。
最初の一口だけ、舌の左側が遅れる。
二口目には揃う。
真意が記録する。
《死亡前から死亡後までの記憶:連続せず》
《本人の主観:自己連続感あり》
《完全同一性:確認不能》
試験バーガーは、透明な容器へ戻されていた。
最初の歯形が残っている。
《未摂取》
その文字に線が引かれる。
《摂取:致死反応》
好代はベッドから見る。
「治ってなかったですね」
「摂取条件については、以前と同じでした」
真意が答える。
好代はバーガーを見る。
嫌いにはなっていない。
怖い。
でも、最初の一口がおいしかったことも、もう知っている。
夜、容器は別室へ移された。
ベッド脇には水だけが残る。
好代は首の線へ触れた。
自分の皮膚。
少し遠い感触。
廊下の向こうから、配膳ワゴンの音がした。
明日の朝食は、おかゆだった。




