第38話「治ったかもしれない」
「治ったかもしれない」
好代が言った。
真意は返事をしなかった。
摩天は腕を組んだ。
テーブルの中央に、ハンバーガーが一個ある。
白い紙に包まれている。
店名も、異常な記号もない。
開けば、パンと肉と玉ねぎとソース。
どこにでもあるもの。
好代には、ずっと食べられなかったもの。
「根拠は?」
真意が聞く。
「二十九話から、身体の動きが変わってます」
食べた能力が消えなくなった。
食べていないのに保存現象が出た。
複数地点が見えるようになった。
千姿との系統一致も出た。
「だから、普通のバーガーを外側として弾いてた仕組みも、変わってるかもしれないです」
「可能性はあります」
「食べれば分かります?」
「摂取反応については」
摩天が被せた。
「今日は食うな」
好代はバーガーを見る。
「はい」
返事はした。
目は離れなかった。
包みを開く。
匂いは普通だった。
パン。
肉。
玉ねぎ。
ソース。
能力の匂いがしない。
知らない世界線もない。
誰かの記憶も、声も、残響もない。
ただ、昼食の匂いがした。
好代はそこでもう一度見た。
「これ、食べたら何も起きないんですよね。本当なら」
真意が訂正する。
「一般的な食品としてなら、異常現象を期待する根拠はありません」
「それがいいです」
摩天が好代を見る。
「能力が欲しいんじゃないのか」
「今日は、いらないです」
好代は少し笑った。
「食べて、おいしくて、お腹に入って、あとでお腹が空く。それだけのを食べてみたいです」
分解する。
上のパン。
少量食べる。
問題なし。
肉。
問題なし。
玉ねぎ。
問題なし。
ソース。
問題なし。
これは以前から同じだった。
危険なのは、組み上がった時。
「ハンバーガーだと身体が認識した時だけ」
「現状の仮説では」
真意が言う。
「はい」
好代はもう一度組む。
パン。
肉。
玉ねぎ。
ソース。
パン。
ただのハンバーガーになる。
胃が動いた。
ぎゅ。
三人とも止まる。
痛くない。
吐き気もない。
胸も苦しくない。
「今のは?」
「……お腹が鳴っただけだと思います」
「思う、で食うな」
摩天が皿ごと遠ざける。
好代は手を伸ばさなかった。
以前の記録と比べる。
近づけた時の硬直。
吐き気。
脈の変化。
身体が先に拒む反応。
今日は弱い。
触る。
問題なし。
唇へ近づける。
問題なし。
舌には触れない。
匂いだけ取る。
焼いた肉の脂が少し冷えている。
それでも、おいしそうだった。
真意が記録する。
《外見・匂い・近接時の拒絶反応:低下》
好代が覗く。
「治癒?」
真意はその語を書かない。
「摂取時反応を確認していません」
好代は記録からバーガーへ目を戻す。
「一口だけなら」
摩天が皿をさらに遠ざけた。
「一口で死ぬ条件なら、一口は小さくない」
「はい」
今度は、すぐ答えられた。
怖い。
それでも食べたい。
でも、前までの「食べたい」と少し違った。
PANDEMONIUMのバーガーなら、食べれば何かが入ってくる。
匂い。
記憶。
能力。
世界。
このバーガーには、何も入っていない。
少なくとも、そう見える。
だから欲しかった。
「試したいです」
摩天が何も言わない。
好代は続ける。
「今日じゃなくていいです」
バーガーへ手を伸ばさないまま言う。
「救命手段を揃えて、記録して、失敗した時の順番も決めて。それでも試したいです」
真意が聞く。
「危険が残ることを理解していますか?」
「はい」
「結果が治癒ではない可能性も?」
「はい」
「食べられた場合、何を確認したいですか?」
好代は少し考えた。
治ったこと。
普通になったこと。
千姿との接続が身体を変えたこと。
どれも浮かんだ。
でも、一番先に口から出たのは違った。
「……味です」
真意が瞬く。
「味?」
「普通のハンバーガーって、ちゃんとおいしいのかなって」
摩天が鼻から息を吐いた。
「それを確かめて死ぬな」
「だから、帰り道を作ります」
摩天が好代を見る。
「違う。帰り道は私たちが作る」
一拍。
「お前は途中で怖くなったら、食わない方を選べ」
好代は頷いた。
バーガーは透明な容器へ戻された。
《未摂取》
封をする。
好代はラベルを見る。
能力名もない。
保存対象もない。
明日食べても、何も残らないかもしれない。
それが、食べたかった。
帰り道。
駅前の店から焼いた肉の匂いがした。
店先で男の子が、包み紙を両手で持っている。
一口食べる。
母親に何か言う。
母親が笑う。
それだけだった。
好代は少しだけ歩く速度を落とした。
立ち止まらない。
明日、食べるかもしれない。
今日は食べなかった。
翌朝、透明な容器の中のバーガーは、昨日と同じ形で待っていた。




