第30話「まだある」
朝。
好代は昨日のノートを開かなかった。
新しいページへ書く。
《好きだったから、来た。》
句点。
次。
《十三時二十分》
《窓際から二番目》
書いてから、昨日のページを開いた。
同じだった。
発注表の数字も、覚えている範囲を書いて照合する。
三週間分。
合っている。
好代はペンを置いた。
「……まだある」
でも、これは記憶だった。
昨日まで知らなかったことを覚えている。
それだけでは、今まで食べて借りていた能力まで変わったとは言えない。
PANDEMONIUMへ行く。
摩天がいた。
「顔が実験する顔だな」
「そんな顔あります?」
「最近はある」
好代は笑いかけて、すぐ真面目になる。
「前に何回も食べたやつ、ありますか?」
「条件を揃えるのか」
「はい。消え方まで分かってるものがいいです」
選んだのは、落下するものの軌道が少し早く分かるバーガーだった。
何度も食べた。
何度も消えた。
だから、今日だけ違えば分かりやすい。
八時四十二分。
一個だけ食べる。
十分後。
摩天が紙コップを落とした。
好代は取る。
「いつも通りです」
「なら、いつも通り終わるまで待つ」
午前。
働く。
二個目は食べない。
皿。
紙袋。
トレー。
落ちる前に、行き先が少しだけ先に分かる。
能力そのものは強くなっていない。
十二時半。
昼食。
普通に腹へ入る。
十四時。
胃の重さが減る。
十五時三分。
ぎゅるるるる。
好代と摩天が同時に時計を見る。
「来た」
「はい」
今までなら、ここからだった。
輪郭が薄くなる。
先読みが遅れる。
最後は普通の落下に戻る。
好代は手を開く。
何も感じない。
十五時十二分。
摩天がスプーンを落とした。
好代の手が先に動く。
受け止める。
二人とも黙った。
摩天がフォークを持つ。
「もう一回」
落とす。
取る。
丸めた紙。
取る。
紙コップ。
取る。
「……まだあります」
「見え方は?」
「朝と同じです。少なくとも、私には」
「腹は」
好代は手を当てる。
「空いてきました」
能力が残っているのに、腹は減る。
その組み合わせが変だった。
前は、腹が空くことと能力が消えることが、ほとんど同じ時計だった。
今は時計だけが二つに割れている。
十六時。
トイレへ行く。
用を足す。
手を洗う。
鏡を見る。
何も特別ではない。
昨日までなら、この辺りは能力の終点だった。
好代は蛇口の横へハンカチを置く。
押す。
落ちる。
先に位置が分かる。
取る。
「……まだある」
もう一度。
石鹸の空箱。
落とす。
取る。
好代は自分の腹を見る。
出した。
空いている。
でも、消えていない。
怖くなって、少し嬉しくなった。
順番が自分でも分からなかった。
戻る。
摩天が待っている。
「どうだ」
「まだあります」
「食ったものは」
「全部確認したわけじゃないです。でも、少なくとも前みたいに、胃に残ってる間だけではなさそうです」
摩天は紙コップを落とす。
好代が取る。
「そこまでだな」
「固定ですか?」
「知らん。一日残ったのと、ずっと残るのは別だ」
「はい」
好代は記録する。
《食事 08:42》
《ぎゅるるる 15:03》
《15:12 能力反応あり》
《16:07 排泄後も能力反応あり》
《16:21 能力反応あり》
その下へ。
《固定?》
書く。
昨日の《残したい》を思い出す。
消す。
《少なくとも、今までの消え方ではない》
摩天が聞く。
「もう一個いくか」
好代はメニューを見る。
別の能力。
二個目も残るのか。
何個まで残るのか。
試せる。
知りたい。
昨日までなら、食べた能力は今日のうちに片づいた。
今日は、それを期待できない。
「やめます」
「理由は」
「消えないなら、増やす前に明日まで見たいです」
摩天が頷く。
「それでいい」
閉店。
好代は紙コップを一つ落とす。
取る。
まだある。
帰宅。
玄関で靴を脱ぐ。
鍵を棚へ置く。
夕食を食べる。
腹が満ちる。
能力はある。
風呂へ入る。
髪を洗う。
身体を洗う。
昨日のソース汚れが袖口に少し残っていた。
湯と洗剤で落ちた。
「……これは消えるんだ」
指でこする。
布の汚れはなくなった。
好代の中の落下軌道はなくならない。
風呂を出る。
歯を磨く。
机に座る。
二十三時四十八分。
消しゴムを机の端へ置く。
昨日なら、ここで落として確かめた。
今日は指で押さない。
しばらく見る。
能力があるか確かめたい。
確かめなくても、あるかもしれない。
好代は消しゴムを中央へ戻した。
ベッドへ入る。
目を閉じる。
胃は空ではない。
昨日食べたものも、今日食べたものも、身体の中でいつものように変わっていく。
その流れから、能力だけが外れた。
朝まで残るかは、まだ知らない。
好代は眠った。
翌朝。
目覚まし時計が落ちた。
床へ着く前に、好代の手が取った。




