第28話「消える人」
その人は、来なかった。
火曜日。
十三時二十分くらいになると、好代は窓際から二番目を見る癖があった。
毎週来る客だった。
注文はだいたい同じ。
バーガー。
少し癖のあるソース。
飲み物だけ、その日の気分で変わる。
十三時二十分。
来ない。
十三時二十五分。
来ない。
十三時四十分。
好代は時計を見てから、初めて気づいた。
「あれ」
窓際から二番目には、別の客が座っていた。
好代はその客の空いたグラスへ水を足す。
それで火曜日は終わった。
水曜日。
十三時十五分。
好代は窓際から二番目を拭いた。
拭き終わってから、まだ汚れていなかったことに気づく。
布巾を見る。
「……何してるんだろ」
十三時二十分。
若い男性が座った。
「ここ、いいですか?」
「はい。どうぞ」
普通の席だった。
誰かのために空けておく理由はない。
好代はメニューを渡す。
その人ではない。
木曜日。
世達が在庫表を持ってきた。
「このソース、残数が一つ多いですね」
好代は棚を見る。
一本。
いつもなら、もうない時間だった。
「発注ミスですか?」
「直近三週と比較します」
端末に履歴が出る。
火曜から木曜。
十三時台。
毎週、一つずつ減っている。
今週だけ減っていない。
好代は画面を見る。
「いつも来る人が、今週来てないです」
「その方が使用していた商品ですか?」
「たぶん。いつもこれを頼んでました」
「予約客ですか?」
「違います」
「取り置きの依頼は?」
「ないです」
世達は在庫数を確認する。
「では、現在の一個は余剰ではありません。未消費在庫です」
「はい」
言葉としてはその通りだった。
でも好代には、一個多く見えた。
金曜日。
その人の顔を思い出そうとした。
ソースの袋を開ける指。
トレーを少し右へ寄せる癖。
飲み物を置く場所。
顔。
顔だけが、思ったより曖昧だった。
名前も知らない。
会員情報もない。
住所も電話番号もない。
好代は検索欄を開いて、閉じた。
入力するものがない。
「名前、聞いてなかった」
聞く必要がなかったから聞かなかった。
今になって、その判断を間違いだったことにはしたくなかった。
ただ、来なくなった時に探せない。
その二つは同時に本当だった。
十三時二十分。
窓際から二番目に親子が座る。
子どもが椅子へ膝をつき、窓の外を見る。
母親が言う。
「ここ、空いてましたよね?」
「はい」
好代は答えた。
空いている。
誰かの席ではない。
その日の閉店前、世達が来週分の発注画面を開いた。
「このソースは一つ減らします」
好代は反射的に聞いた。
「来週も来なかった前提ですか?」
世達は画面を見たまま答える。
「直近の実消費に合わせます。必要数が戻れば、その時点で再調整します」
「もし来たら?」
「在庫があれば提供します。なければ代替をご案内します」
好代は棚の一本を見る。
「その人用に、一個残しておくのは」
世達が顔を上げる。
「予約はありません」
「……ですよね」
残しておけば、来た時は渡せる。
来なければ、また一個余る。
何週間残せばいいのかも分からない。
好代は発注数を戻さなかった。
一つ減った。
翌週の火曜日。
十三時二十分。
来なかった。
好代は時計を見た。
今度は十三時四十分まで待たなかった。
十三時二十五分。
レジの番号が進む。
四十六。
次。
四十八。
好代の指が止まる。
「四十七は?」
世達が端末を見る。
「発行履歴がありません」
「欠番ですか?」
「表示上はそう見えます。原因は確認します」
直後に四十九が出る。
四十七は出ない。
好代はメモ用紙を取った。
《常連客――》
そこまで書いて止まる。
注文番号四十七と、その人を結ぶ証拠はない。
線を引いて消した。
《注文番号47:未発行/原因未確認》
それだけ残す。
昼のピークが終わる。
窓際から二番目には、子どもが座っていた。
紙ナプキンへ何か描いている。
好代は隣のトレーを下げる。
テーブルの裏に、小さな擦り傷を見つけた。
指を当てる。
前からあったかもしれない。
常連客が付けたかもしれない。
別の誰かかもしれない。
好代は写真を撮りかけて、やめた。
その人の痕跡だと分からないものを、その人の痕跡にはしない。
代わりに、確かなものは残っていた。
先週、ソースが一個余ったこと。
今週、発注数が一個減ったこと。
十三時二十分になると、自分が時計を見ること。
注文番号四十七が発行されなかったこと。
最後の一つだけは、たぶん関係ない。
だから関係あることにはしない。
夕方。
好代は窓際から二番目を拭いた。
今度は本当に汚れていた。
椅子を引く。
床のパンくずを拾う。
椅子を戻す。
予約札は置かない。
花も置かない。
いつものソースも置かない。
誰かの席にはしない。
数分後、別の客が座った。
「注文いいですか?」
「はい」
好代は注文を取った。
その人がいなくても、席は使われる。
在庫は減る。
発注は直る。
店は、その人が来なくなったことに適応していく。
好代も働ける。
困らない。
そこが、少し嫌だった。
閉店後。
世達が古い発注表を新しいものへ差し替える。
好代は一瞬だけ、旧表のソース欄を見る。
一つ多かった週の数字。
「それ、どうします?」
「保管期限内は旧記録へ回します」
「期限が来たら?」
「通常どおり処分します」
好代は頷いた。
まだ、止めなかった。
翌週。
新しい発注表には、最初から一個少ない数字が印刷されていた。




