第20話「まだ、ここにいる」
二個目は、鍵だった。
真鍮色。
好代の小指より少し長い。
左右で歯の形が違う。
紙札には、誰かの字で。
《用途不明の鍵》
その横には、昨日つくったばかりの小さな四角。
中に、ボタンが一個。
《未処理》
一個だけ残すための場所は、一晩で足りなくなった。
世達が保管表を見る。
「増設しますか?」
秩序は鍵へ触れない。
「増設すると、未処理が通常の保管区分になります」
「では落とし物として登録しますか?」
好代が鍵を見る。
「落とし物かも、まだ分からないですよね」
秩序が答える。
「はい。登録名が先に対象を決めます」
世達は空欄のまま時刻だけ書いた。
《09:11 発見》
鍵はボタンの四角へ入れない。
別のトレーに置く。
二つの分からないものを、同じ分からないものとしてまとめなかった。
昼。
鍵はまだある。
客が来るたび、好代は入口を見た。
誰も鍵の話をしない。
一時を過ぎる。
好代は休憩へ入る。
未処理のボタン。
トレーの鍵。
厨房のバーガー。
三つを順番に見る。
「これ、食べられたら早いんですけどね」
世達が在庫表から顔を上げる。
「鍵をですか?」
「違います」
好代は笑ってから、厨房を見る。
食べれば、知らない感覚が身体へ入る。
場所。
動き。
声。
まだ自分が知らない何か。
「この鍵に関係あるバーガーがあれば、何の鍵か分かるかもしれないなって」
「該当商品は特定できていますか?」
「できてません」
「持ち主の確認より先に必要ですか?」
好代は鍵を見る。
「……今は、必要じゃないです」
世達は在庫表へ戻る。
好代も休憩へ戻る。
でも、頭には残った。
食べれば分かるかもしれない。
この店では、それが空想ではない。
午後三時二分。
鍵の横を通った時、匂いがした。
乾いた木。
雨。
古い油。
好代は戻る。
鼻を近づける。
同じ。
その奥に、焼いたバンズの匂い。
腹が鳴る。
ぎゅる。
今はただ、昼が軽かったせいだ。
それでも、匂いにつられて厨房へ行く。
棚を一段ずつ嗅ぐ。
奥から一つ見つけた。
商品札がない。
試作番号もない。
包みの隙間から、雨と油と木の匂いがする。
鍵に似ている。
完全には同じではない。
好代は包みを持って、鍵のところへ戻った。
「似てます」
秩序が二つを見る。
「何を確認しますか?」
「食べたら、鍵のことが分かるかもしれません」
「可能性の評価ですか。摂取許可ですか」
好代の指が包みの折り目へかかる。
「……両方、です」
腹は空いている。
知りたい。
しかも、食べる理由まで目の前にある。
鍵のため。
そう言えば、きれいだった。
好代は包みを半分まで開く。
焼いたバンズが見える。
匂いが強くなる。
口の中に唾液が出る。
「これ、私が知りたいからですよね」
秩序はすぐ答えない。
「その要素はあります」
「鍵の持ち主のため、ではない」
「持ち主は未確認です」
好代は包みを見る。
食べたい。
知りたい。
二つとも本当だった。
でも、今この二つを一緒にすると、食べたい方まで調査の顔をする。
好代は包みを閉じた。
「持ち主、もう少し待ちます」
「記録します」
「食べなかったことは書かなくていいです」
秩序が好代を見る。
「理由を確認します」
「まだ何もしてないので」
秩序は記録しなかった。
十六時四十八分。
「すみません」
入口から男性が入ってきた。
「あの、鍵の落とし物ってありませんでした?」
好代の身体が先に鍵の方を向く。
世達が立つ。
「特徴をお願いします」
「真鍮っぽい色で、小さいやつです。歯が左右で違ってて」
「用途は?」
「古い倉庫です」
世達が追加で形状を確認する。
一致する。
鍵を透明トレーごと見せる。
男性の顔が緩んだ。
「あ、それです」
好代の口から質問が出かかる。
どこの倉庫ですか。
何を入れているんですか。
雨と油の匂いがする場所ですか。
飲み込む。
本人確認は終わっている。
世達が受領記録を取る。
男性は鍵を受け取った。
「助かりました。昨日から探してて」
「見つかってよかったです」
好代が言う。
男性は帰った。
扉が閉まる。
鍵のあったトレーだけが残る。
好代は少し拍子抜けした。
あれだけ分からなかったものが、普通に持ち主へ戻った。
食べなくても。
調べなくても。
知らない倉庫を知らないままでも。
世達がトレーを回収する。
「処理完了です」
好代は厨房を見る。
雨と油と木の匂いがする包みは、まだ棚にある。
調査理由はなくなった。
好代は休憩時間ではない時計を見る。
「これ、あとで食べてもいいですか?」
世達が確認する。
「業務用途ですか?」
「違います」
「鍵との照合ですか?」
「もうしません」
「では目的は?」
好代は少しだけ笑った。
「食べたいです」
閉店作業の前、休憩を取る。
包みを開く。
温め直してもらったバンズから、雨の匂いはまだした。
一口。
知らない倉庫は見えない。
鍵の持ち主の顔も出てこない。
代わりに、両腕へ重さが来た。
濡れた木箱を抱えているみたいな重さ。
三歩ぶん。
床が滑りそうな感覚。
消える。
好代は噛む。
味は少し甘い。
二口目。
また何か来るかと思った。
来ない。
三口目。
普通においしい。
好代はそこで、少し安心した。
全部が答えにならなくても、食べ物として食べられる。
食べ終わる。
記録には、摂取時刻と身体反応だけを書く。
《17:36 摂取》
《一口目後、両腕に重量感/約三歩》
《由来:未確認》
《鍵との関係:未確認》
《おいしかった》
最後の一行だけ、業務記録ではなく自分のノートに書いた。
閉店後。
裏口へ行く。
小さな四角。
ボタンが一個。
朝と同じ位置にある。
鍵はもうない。
鍵の方は、持ち主が来た。
ボタンには、まだ誰も来ない。
好代はしゃがむ。
「まだ、ここにいる」
返事はない。
昨日までなら、分からないものは全部同じに見えたかもしれない。
今日は違う。
分からなくても帰れるものがあった。
分からないまま残るものもある。
好代はボタンへ触れない。
翌朝。
口の中に、食べた覚えのない甘さがあった。
焦げた砂糖。
そのあと、柑橘。




