第18話「残骸」
窓際の椅子が、まだ斜めだった。
昨日、好代が休みの日に座っていた椅子。
立つ時に戻し忘れた角度。
開店前、直そうとして手をかける。
少し迷う。
昨日ここにいた跡だ。
でも、客が座る。
好代は椅子を正面へ戻した。
脚が床を擦る。
跡は消えた。
昨日まで消えたわけではない。
「よし」
仕事を始めた。
午前十一時四十六分。
ゴミ袋を持って裏口へ出る。
壁に、ドアがあった。
好代は止まった。
銀色の取っ手。
灰色の板。
札はない。
昨日までは壁だった。
少なくとも、好代が知っている昨日までは。
「……またですか」
ゴミ袋が腕に食い込む。
先に捨てる。
戻る。
ドアには触れない。
世達へ報告する。
「裏口横に、知らないドアがあります」
「業務導線ですか?」
「分かりません」
「開閉確認は?」
「してません」
「周辺を止めます」
黄色いテープ。
《未確認》
それだけ貼る。
昼の営業は続く。
ドアの向こうが分からなくても、ポテトは揚がる。
十三時二十一分。
好代が確認へ行くと、ドアが開いていた。
誰が開けたかは分からない。
向こうは暗い。
入口から一歩も入らず、目を慣らす。
床に物が積まれている。
紙袋。
制服。
トレー。
看板。
割れた食器。
手前に、黄色い包み。
好代の喉が動く。
第十五話で半分残した試作と同じ包み。
《本人予約》
その下に、好代。
昨日、残りを食べた。
今日はもうないはずのもの。
でも、そこにある。
好代は触れない。
視線だけ奥へ送る。
十二話で付けた修理板と同じ大きさの板。
中央に穴。
現在の板には穴がない。
さらに奥。
注文表示。
十一件。
十六話で消えたはずの注文数。
ただし。
黄色い試作が残っていることと、修理板に穴があることと、十一件が残っていること。
三つが同じ経路から来た証拠はない。
好代は店へ戻る。
現在の修理板を見る。
穴なし。
注文表示。
新しい注文の前に一秒だけ《注文なし》。十六話の再起動後から残った癖。
黄色い包みはない。
現在は現在のままだ。
裏の部屋だけが、現在と噛み合わない。
二諦が通りかかった。
好代は呼び止める。
「二諦さん、ちょっと見てもらっていいですか」
二人で黄色いテープの外へ立つ。
二諦は中を見た。
長く見ない。
「今の店にはないものがあります」
「はい」
「今の店にあるものに似たものもあります」
「はい」
「同じだと思いますか?」
好代は黄色い包みを見る。
「最初は」
「今は?」
「同じに見える、までです」
二諦が頷く。
「その方が境界を残せます」
「これ、別の未来とかですか?」
二諦はすぐには答えなかった。
「そう見える部分はあります」
「違う部分も?」
「一つの未来として繋ぐには、足りません」
好代はノートを開く。
《黄色い試作に似た包み/未食状態に見える》
《修理板に似た板/穴あり》
《注文表示に似た機器/十一件表示》
最初に書きかけた、
《食べなかった場合》
を消す。
代わりに、
《相互関係:未確認》
と書いた。
二諦はそれを見ている。
「何も決めないんですね」
「決められるところまで来てないので」
「いいと思います」
午後。
部屋の奥で、がしゃん、と音がした。
好代はテープの前まで走る。
何かが崩れている。
入口近くまで紙が滑ってきた。
自分の字。
《六個目も食べる》
次。
《今日は帰る》
次。
《壁を壊す》
次。
《十一件を捨てる》
好代はしゃがむ。
拾わない。
自分の字に見える。
書いた記憶はない。
「……私のですか」
後ろの二諦へ聞く。
「字は似ています」
「内容は?」
「あなたが選ばなかったものに見えます」
好代が振り向く。
二諦は続ける。
「見える、です」
「断定しないんですね」
「あなたもしていません」
紙の奥に制服が積まれている。
全部、好代の身体に合いそうな大きさ。
一着は袖が焦げている。
一着は新品。
一着は名札がない。
一着には文字がある。
《好代》ではない。
読もうとすると滲む。
目を細める。
文字の形が変わる。
好代は読むのをやめた。
読めない文字を、知っている名前へ寄せたくなかった。
その時、厨房から呼ばれる。
「好代さん、レジお願いします!」
振り返る。
客が並んでいる。
部屋はまだある。
中には、自分だったかもしれないものが山ほどある。
好代は店へ戻った。
「はい、今行きます」
十五分後。
列が切れる。
ドアはまだ開いていた。
中身もある。
好代は少し安心した。
待ったせいで消えなかった。
同時に、少し困った。
今すぐ見なくても残っているなら、いつまで見るのかを自分で決めなければならない。
閉店前。
好代は入口へ戻る。
中へは入らない。
紙も拾わない。
制服も取らない。
黄色い包みも開けない。
世達が横で確認する。
「廃棄しますか?」
「しません」
「保管しますか?」
好代は部屋を見る。
「店の保管物には、まだしないです」
「分類は?」
少し考える。
DRAFT-01では《残骸》と呼んだ。
けれど残骸と言えば、何かが壊れた後だと決めてしまう。
好代は札へ書く。
《現在と一致しない物品群》
その下。
《由来未確認》
世達が読む。
「暫定ですか?」
「はい。名前じゃなくて、今見えてることだけにします」
もう一枚。
《中のものを現在の記録へ混ぜない》
「現在の記録とは?」
「在庫とか、制服の数とか、注文履歴です。ここに十一件あるからって、十六話の注文を戻ったことにしない」
「了解しました」
二諦は少し離れた場所から札を見る。
「残骸とは呼ばないんですか」
好代は部屋を見る。
「残骸かもしれないです。でも、何の残骸か分からないので」
閉店後。
好代は裏へ行く。
ドアはなかった。
壁。
黄色いテープだけが壁へ貼りついている。
《未確認》
《現在と一致しない物品群/由来未確認》
《中のものを現在の記録へ混ぜない》
札だけが残っている。
部屋はない。
黄色い包みも。
穴の板も。
十一件も。
選ばなかったように見える紙も。
制服も。
好代は少しだけ、見ておけばよかったと思った。
もっと奥まで。
もっと細かく。
でも、レジへ戻ったことを後悔しているわけではなかった。
床に、黒いものがある。
制服のボタン。
一個。
好代はしゃがむ。
触らない。
部屋から残ったのか。
最初から床にあったのか。
札のどれかと関係するのか。
分からない。
新しい札は作らなかった。
黄色いテープの内側に、そのまま置いた。
翌朝。
窓際の椅子は、誰かが少し斜めにしていた。
好代は直した。
裏口へ行く。
ボタンはまだあった。
今度は、直さなかった。




