第17話「休みの日」
休みなのに、店へ来た。
入口の前で、好代は立ち止まった。
今日はシフト表に名前がない。
配送もない。
確認表もない。
昨日消えた十一件の注文について、追加で書くこともない。
帰っても困る人はいない。
ドアには《押す》。
好代は押した。
今日は、本当にただのドアだった。
「好代ちゃん、休みじゃなかった?」
渾沌が客席から顔を出す。
「休みです」
「じゃあなんでいるの?」
「それを今考えてます」
「帰る?」
好代は開けたばかりのドアを見る。
外は晴れている。
家へ帰ってもいい。
買い物へ行ってもいい。
「……まだ帰らないです」
「じゃ、なんかする?」
好代は反射で厨房を見る。
渾沌が笑う。
「休みなのに?」
「そうでした」
「じゃあ何もしないでみよー」
「それ、渾沌さんが言うと怖いです」
「なんで!」
好代は窓際へ座った。
いつも立っている側から、三歩ずれただけ。
それだけで店の形が変わった。
注文表示は柱に半分隠れる。
厨房奥は見えない。
代わりに客の手元がよく見える。
子どもが紙袋を頭へ載せている。
母親が一度外し、子どもがまた載せる。
老人はバーガーを半分食べ、残りを包み直した。
二人組はポテトの最後の一本を互いに押しつけている。
誰も、昨日消えた注文の話をしない。
誰も、好代が何個食べたか知らない。
それでも昼になる。
レジが鳴る。
油が弾ける。
ドアが開いて閉じる。
好代の腹も鳴った。
ぎゅる。
今日は能力が切れる音ではない。
何も食べていないから、ただ空腹だった。
十二時五十八分。
レジ前に列ができた。
好代は立ちかける。
椅子の脚が鳴る。
世達がこちらを見る。
「好代さん、本日は非勤務です」
「見れば分かります」
「では座っていてください」
「混んでますけど」
「勤務者で処理します」
「一人くらいなら」
「勤務開始として記録しますか?」
好代は止まった。
「……しません」
「では、休んでください」
座る。
落ち着かない。
レジの列は四人。
三人。
五人。
また三人。
好代は手を膝に置く。
自分がいなくても、列は動いた。
一時十二分。
世達が伝票を一枚持ってくる。
「これは業務依頼ではありません」
「先に言うんですね」
「好代さんが立つので」
テーブルへ小さな紙。
《本人予約》
昨日、半分残した黄色い試作。
「品質保持の期限は十五時です。摂取するか、廃棄するか、期限までに意思確認が必要です」
「休みでも?」
「食品の期限は休みません」
「ですよね」
「今決めますか?」
好代は黄色い包みを見る。
昨日は、明日も食べたいから残した。
今日になった。
腹は減っている。
でも、今すぐ開けたいほどではない。
「あとで決めます」
「十四時四十分に再確認します」
「そこまで決めるんですね」
「期限がありますので」
世達は戻る。
包みだけがテーブルに残った。
好代はそれを見ながら、水を飲んだ。
十三時半。
客がトレーを落とした。
がしゃん。
好代の身体が先に動く。
立つ。
二歩。
店員がもう駆け寄っていた。
好代は止まる。
「大丈夫ですか」
客が言う。
「すみません」
「お怪我ないですか?」
そこまで言って、好代は自分が何をしているか気づく。
床を片づけるのは勤務者が始めている。
好代は椅子へ戻った。
手伝わない。
心配しない、ではない。
十四時。
摩天が外から戻ってきた。
好代を見る。
「何してる」
「休んでます」
「ここで?」
「はい」
摩天は窓際を見る。
「邪魔か?」
好代は周囲を見る。
通路は空いている。
「たぶん、してないです」
「ならいい」
摩天は厨房へ向かう。
好代は呼び止める。
「休みなのに来るの、変じゃないですか」
摩天が振り向く。
「帰りたきゃ帰れ」
「いたかったら?」
「いればいいだろ」
それだけ。
好代は背もたれへ身体を預けた。
店にいる理由を、仕事へ変換しなくていいらしい。
十四時四十分。
世達が時計を見てから来る。
「再確認します」
「食べます」
「今ですか?」
好代は腹を触る。
「はい。今は食べたいです」
黄色い包みを開く。
冷えている。
昨日より香りは弱い。
バンズの表面も少し乾いている。
一口。
塩気が遅い。
甘さも薄い。
最後の苦みだけ長い。
昨日とは違う。
「昨日の方がおいしかったです」
世達が伝票へ書こうとする。
好代が笑う。
「もう書くんですか」
「品質評価です」
「じゃあ、もう一個」
「何ですか?」
好代は二口目を食べる。
能力は出ない。
視界も変わらない。
ただ、昨日残した半分を今日食べている。
「食べてよかったです」
世達のペンが一度止まる。
「味は低下しています」
「はい」
「能力反応もありません」
「はい」
「それでも?」
「昨日、明日も食べたいって思って残したので」
世達は少し考え、書く。
《本人評価:前日比で味低下》
《能力反応:確認できず》
その下に、
《本人:食べてよかった》
「業務記録に要ります?」
好代が聞く。
「本人予約を設けた判断の結果として残します」
「じゃあ、お願いします」
最後まで食べる。
包み紙を畳む。
能力は何も残らない。
満腹感だけが少し残る。
十五時過ぎ。
店内がまた混む。
好代は今度は立たなかった。
窓際から見る。
渾沌がトレーを一枚、なぜか頭に載せて運んでいる。
世達が即座に外させる。
子どもがそれを見て笑う。
摩天が入口で大きな荷物を避ける。
知らない客が「ここ空いてます?」と好代の向かいを指す。
「空いてます」
客が座る。
好代は少し椅子を引く。
それだけで、同じテーブルを使う人になる。
夕方。
帰る客へ「ありがとうございました」と言いかける。
口を閉じる。
今日は店員ではない。
でも、隣の席の人が紙ナプキンを落とした。
拾う。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
それは仕事ではなかった。
外が暗くなる。
好代は時計を見る。
六時間近くいた。
働いた時間は、ゼロ。
食べたバーガーは、昨日自分で残した半分だけ。
新しい能力は、ゼロ。
異常の答えも、ゼロ。
なのに、早く帰ればよかったとは思わない。
立つ。
「帰ります」
厨房から渾沌の声。
「また明日ー?」
「明日はシフトです」
「じゃあ来るね!」
好代はドアへ向かう。
途中で振り返る。
明日は仕事だから来る。
今日は仕事じゃないのに来た。
その二つが、同じ店へ続いている。
「……うん。また明日」
外へ出る。
今日は何も持ち帰らなかった。
能力も。
仕事も。
謎の答えも。
ただ、昨日残したものを食べて、ここにいただけだった。
翌朝。
窓際の椅子が一脚だけ、少し斜めだった。
昨日、好代が立つ時に戻し忘れた角度。




