↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/69

第12話「使わない方が早い」

こん。


好代は振り向いた。


厨房の奥。

昨日まで何もなかった壁が、中央だけ少し膨らんでいる。


もう一度。


こん。


今度は内側からだった。


「離れろ」


瑠志の声。


好代が二歩下がる。


壁が割れた。


石膏の粉が噴く。

棚の上の紙カップが倒れる。


割れ目から、黒いものが押し出されてきた。


肉にも見える。

濡れた鉄にも見える。


表面に紙が貼りついている。


《持ち帰り》

《急ぎ》

《まだですか》

《違います》


注文票だった。


黒い塊が床へ落ちる。


重い音。


這う。


棚の脚へ触れた。


金属が内側へ折れた。


瑠志が前へ出る。


「殴れます?」


「殴れる」


「終わります?」


「これだけなら」


瑠志は割れた壁の奥を見る。


「でも後ろが在庫庫だ」


好代も覗く。


黒い塊の向こうに、保管棚の端が見える。


昨日確認した材料。

期限の近いソース。

包み紙。

補充前の箱。


「殴ったら?」


「まとめて壊す可能性がある」


「……じゃあ、今はやめてください」


「分かった」


瑠志は拳を下げる。


一撃で終わらせられる人が、一撃を使わない。


塊が弱いからではない。


後ろに残したいものがあるからだった。


好代は今日、二個食べている。


一つは厨房の動線。

もう一つは、物と物の境目が見えやすくなるもの。


黒い塊を見る。


線が多い。


壁材。

注文票。

棚。

箱。

配管。


巻き込んだもの同士の境目が、薄く光って見える。


「右上、線があります」


「何との境目」


「壁と配管です」


「切れば?」


好代は目で追う。


「配管側まで行きそうです」


「じゃないな」


下。


「床との間にも」


「その下、冷蔵管」


「駄目ですね」


黒い塊が縮む。


次の瞬間、跳ねた。


好代の方へ。


「下がれ」


瑠志が前へ入る。


好代は反射的に後ろへ飛ぶ。


黒い塊が作業台へぶつかる。


天板が歪む。


瑠志は殴らない。


身体で好代との間を塞いだまま、塊を見る。


「大丈夫か」


「はい」


好代は床へ手をついて起きる。


「今なら殴った方が早いですよね」


「早い」


「でも在庫も?」


「位置が悪い」


好代は息を整える。


速い答えが、欲しい答えとは限らない。


その時、新しい注文票が厨房のプリンタから吐き出された。


一枚。


床へ落ちる前に、黒い塊の表面へ吸いついた。


塊が膨らむ。


好代は見る。


「今、大きくなりました」


「紙か?」


「たぶん」


もう一枚出る。


吸いつく。


また膨らむ。


好代は十一話の窓際の客を思い出した。


自分が近づくたび、見えていた次の動きが変わった。


目の前のものも、こちらの行動で変わっている。


なら、塊だけ見続けても足りない。


「注文票、止めます」


「確かめるか?」


「はい。一回止めて、増え方を見ます」


好代は厨房へ走る。


「紙の出力、止めてください!」


「注文は!?」


「画面と口頭で残してください。紙だけ止めます!」


プリンタが止まる。


黒い塊は動く。


止まってはいない。


でも、一分待っても膨らまない。


好代は時刻を書く。


《紙出力停止 14:08》

《停止後一分、体積増加を目視確認できず》


「紙が原因ですか?」


瑠志が聞く。


「増える条件の一つかもしれません」


「十分だ。増やすな」


塊の表面には、何十枚もの注文票が重なっている。


好代には紙と黒い表面の境目が見える。


「剥がせるかもしれません」


「触るな」


瑠志が即答する。


好代の手が止まる。


「危ないですか」


「分からない。分からないものへ素手で行くな」


好代は頷く。


トングを取る。


長いもの。


一番外側の注文票を挟む。


引く。


紙が裂ける。


黒い塊が震えた。


好代は止める。


「今、反応しました」


「続けるか?」


「一枚だけ、最後まで取ります」


少しずつ。


裂けた紙を残さないよう、端を持ち直す。


剥がれた。


黒い塊が、ほんの少し小さくなる。


「減りました」


「なら候補にはなる」


「全部やります?」


瑠志は在庫庫を見る。


「他に早い方法が見つかるまでな」


好代は二枚目へ行く。


十枚。

二十枚。


紙を剥がすたび、黒い塊は少しずつ縮む。


簡単ではない。


途中で塊が跳ねる。


好代は下がる。


瑠志が進路へ入り、好代が距離を取る時間を作る。


塊が止まれば、またトングを伸ばす。


殴れば一瞬だった。


殴らないので、時間がかかる。


十七分。


好代の腹が鳴った。


ぎゅるるる。


境目の光が薄くなる。


「まずい」


「何分」


「分かりません。消え始めてます」


残りの注文票は九枚。


ここで追加のバーガーを食べれば、境目を見る時間を延ばせる。


でも胃には朝から二個入っている。


まだ余裕はある。


好代は冷蔵庫を見る。


昨日、自分で《食べたい》に丸をつけた新作も残っている。


仕事用を追加すれば、今日の三個目になる。


食べられる。


ただし、それは《能力が切れそうだから反射的に補充する》選択でもある。


好代は残り九枚を見る。


もう境目の位置は分かっている。


一枚目から同じ場所だった。


「追加、しません」


瑠志が好代を見る。


「見えなくなるぞ」


「見えなくなる前に、位置を覚えます」


好代は紙へ簡単な図を描く。


トングの角度。

引く方向。

紙の重なり。


能力が完全に消える。


普通の黒い塊になる。


「続けます」


三枚。


境目は見えない。


一枚、途中で破れた。


時間を取る。


四枚。

五枚。


好代の手が汗で滑る。


瑠志が言う。


「交代するか」


好代はトングを見る。


「お願いします。角度、ここです」


瑠志が受け取る。


「これか」


「はい。引くのは床と平行に近く」


瑠志は一枚剥がす。


好代より速い。


でも、力任せには引かない。


二枚。

三枚。


最後の一枚が取れる。


黒い塊が沈んだ。


壁材。

折れた棚。

潰れた箱。

焦げた紙。


混ざっていたものが床へ崩れる。


時計を見る。


十四時三十五分。


二十七分。


在庫庫は残っている。


全部ではない。


入口近くの箱は潰れていた。

配管も一本曲がっている。

最初に棚が倒れた時の破損もある。


奥の材料は無事だった。


好代は床へ座る。


腕が疲れている。


「殴った方が早かったですね」


「早い」


「追加で食べた方も、たぶん早かったです」


「そうかもな」


「じゃあ、遅い方ばっかり選びました」


瑠志は残った在庫を見る。


「何を終わらせたかった?」


「これを止めることです」


「それだけなら殴ればいい」


好代は潰れた箱と、残った棚を見る。


「……人と、在庫を残して止めたかったです」


「なら、それが目的だ」


閉店後。


割れた壁へ大きな修理板が当てられた。


新品の壁には戻さない。


今日中にできるのは、穴を塞いで安全を確認するところまでだった。


好代は確認表を書く。


《紙出力停止 14:08》

《解体完了 14:35》

《二十七分》

《在庫 一部損傷/大半維持》

《負傷者なし》


少し考える。


《最速ではない》


瑠志が横から見る。


「それ、何の記録だ」


「反省……じゃなくて、比較です」


「何と」


「一発で壊すのと」


「目的が違うなら比較にならない」


好代はペンを止める。


《最速ではない》に線を引く。


その下へ書く。


《残したかったもの 在庫》


もう一行。


《人》


さらに迷って、


《壁は残らなかった》


と足した。


全部を残せたわけではない。


瑠志が読む。


「それでいい」


好代は修理板を見る。


昨日までなかった板。


守れたものの証拠でもある。


壊れたものの証拠でもある。


片づけのため、好代が床へ雑巾を置く。


板の下を一度拭く。


二度目。


鼻が止まった。


知らないにおいがした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。