第10話「新作」
新作は、朝からずっと厨房の端にいた。
小さい。
丸い。
包み紙だけ黄色い。
好代は三度、その前を通った。
一度目は補充箱を持って。
二度目はトレーを持って。
三度目で、足が止まった。
甘い。
少し焦げている。
その奥に、炭酸飲料の蓋を開けた時みたいな刺激がある。
「これ、何ですか」
渾沌が振り向く。
「新作!」
「それは見れば分かります」
「じゃあ分かってるじゃん!」
「何が入ってるんですか」
「食べられるもの!」
「範囲が広いです」
渾沌が笑う。
「嗅いでみよー」
「もう嗅いでます」
好代はもう一度鼻を近づける。
甘い。
焦げ。
刺激。
知らない組み合わせなのに、嫌ではない。
むしろ食べたい。
「これ、何ができます?」
「知らなーい!」
「作ったの、渾沌さんですよね」
「作ったからって、食べた後まで決めなくていいじゃん」
好代が手を伸ばす。
「待ってください」
世達の声。
伝票の束を抱えている。
「本日の補充、残数確認、閉店前配送が残っています。好代さん、今日は二個運用ですか?」
「そのつもりです」
「一つは厨房動線をお願いします。もう一つは在庫位置が使えると早いです」
好代は黄色い包みを見る。
「これは?」
「業務効果を確認していません」
「食べたら分かるかもしれません」
「分かった結果、在庫確認に使えない可能性もあります」
「はい」
正しかった。
一個目を食べる。
厨房の人の流れが、床の上へ薄い線として見え始める。
誰がどこを通るか。
トレーがどこで詰まるか。
熱い鉄板の前を横切らずに済む空き。
便利だった。
昼前。
二個目の候補を並べる。
在庫位置。
黄色い新作。
好代は片方ずつ嗅ぐ。
在庫位置の方は、乾いた段ボールと金属棚のにおい。
黄色い方は、甘くて焦げて、舌の奥が少し痛くなりそうなにおい。
「今日、在庫多いですか」
世達が伝票を見る。
「確認対象は多いです」
「足りてます?」
「まだ確認していません」
「私が在庫用を食べたら早いですか」
「早いと思います」
好代は在庫用を持つ。
包み紙の角まで開く。
黄色い新作を見る。
閉じる。
在庫用を元へ戻した。
黄色い方を取る。
世達が顔を上げる。
「理由を聞いてもいいですか?」
「食べたいので」
「業務上の理由は?」
「ないです」
渾沌が吹き出した。
「ないんだ!」
「ないです」
「じゃあ食べよー!」
世達は笑わない。
「在庫確認が遅れる可能性があります」
「はい」
「閉店前配送へ影響した場合は、途中で交代をお願いします」
「分かりました」
好代は包み紙を開く。
世達は止めなかった。
一口。
甘い。
噛む。
辛い。
もう一度噛む。
甘いはずだった場所が苦くなる。
辛かった場所に、果物みたいな酸味が出る。
好代は眉を寄せたまま、もう一口食べる。
渾沌が覗き込む。
「まずい?」
「おいしいです」
「その顔で?」
「何味か分からないです」
「最高じゃん!」
「そこは同意しません」
好代は手を見る。
店を見る。
厨房動線の線は残っている。
新しい線はない。
音も変わらない。
匂いも、食べる前より増えてはいない。
身体を少し動かす。
何かが軽くなったり、重くなったりもしない。
「今のところ、新しいのは分かりません」
「なんもなし?」
「確認できない、です」
好代は三口目を食べる。
「でも、当たりです」
「何も確認できないのに?」
「味は確認できます」
渾沌が数秒黙る。
それから、嬉しそうに笑った。
「そっち採用しよ!」
「何にですか」
「新作の理由!」
「理由は作った人が決めてください」
午後。
在庫確認は、きっちり遅れた。
好代は棚を一つずつ開ける。
しゃがむ。
奥へ手を伸ばす。
立つ。
隣へ移る。
「包み紙、下段二十六です」
「記録します」
世達が書く。
「赤ソース九。白十四」
「奥は?」
「今見ます」
好代は腕を奥まで入れる。
指先に三本触れた。
「白、あと三本あります」
「合計十七ですね」
「はい」
能力を使えば、棚を開ける前に分かったかもしれない。
今は膝が床につく。
段ボールの端が腕へ当たる。
一本ずつ日付を見る。
遅い。
十五分経つ。
注文が二件入る。
厨房動線の線を使って、好代は一度作業を中断する。
商品を渡す。
戻る。
どの棚まで見たか、一瞬分からなくなる。
「右から四つ目です」
世達が言う。
「ありがとうございます」
「予定より十一分遅れています」
「はい」
好代は次を開ける。
世達の声は怒っているというより、遅れを遅れとして置いている。
好代は少し安心する。
自分で選んだ遅れだった。
次の箱。
奥から白いソースが一本出る。
期限表示が今日だった。
「これ」
世達が受け取る。
伝票を見る。
「記録上は明日です」
「現物は今日です」
「確認します」
同じロットを出す。
三本。
一本だけ今日。
印字のずれではない。
世達が別の確認票を取る。
「先に使用へ回します」
「はい」
能力がなかったから見つかった、とは好代は思わない。
能力を使っていても見つけたかもしれない。
ただ今日は、自分の手で一本ずつ触ったから見つけた。
それだけだった。
閉店前。
在庫確認は最終的に十七分遅れた。
配送は交代せずに済んだ。
世達が処理表を読む。
「在庫確認、予定比プラス十七分」
「はい」
「期限表示相違一本。先行使用」
「はい」
「新作。摂取後の新規異常、現時点で確認できず」
「はい」
世達がペンを止める。
「味は?」
好代が顔を上げる。
「そこも記録するんですか」
「次に好代さんが選ぶ可能性へ影響しますか?」
「します」
「では、必要です」
「おいしかったです」
「程度は?」
好代は少し考える。
「また食べたいです」
世達が書く。
《新作:摂取後の新規異常・現時点で確認できず》
《本人評価:また食べたい》
好代は覗き込む。
「業務記録ですよね、それ」
「次回の選択条件です」
「私の?」
「はい」
渾沌が横から紙を覗く。
「じゃあ明日も作ろ!」
「同じの作れます?」
「たぶん無理!」
「新作とは」
翌朝。
厨房の確認表に欄が一つ増えていた。
《業務用途》
《安全確認》
《食べたい》
最後だけ、手書きだった。
世達の字。
好代は昨日の新作の行を見る。
新しい黄色い包みはない。
同じものは作れなかったらしい。
それでも《食べたい》の欄は残っている。
好代はペンを取る。
昨日の新作のところへ丸をつける。
食べ物がなくても、選んだ理由は残った。
その日の昼。
窓際の客へ視線を向けた時、好代には客の手が少し先まで動いて見えた。




