第59話 竜の巣の入口
翌朝、一行は夜明け前に野営を畳んだ。
空はまだ暗く、東の端がわずかに白み始めているだけだった。
「ミラ、どうだ?」
「ホゥ。」
レオンの肩の上で、ミラが北東を向いて首をかしげる。
羽根の先は、昨夜よりもはっきりと赤い。
「近づいてるな。」
「ああ。気を引き締めて行こう。」
アレスが先頭に立ち、三人と二匹は、斜面を登り始めた。
山道は、進むほどに険しくなった。
足元の雪は硬く凍りつき、ところどころに、獣の足跡とは違う、不自然な窪みが残っている。
「これは……。」
レオンは足を止めて、窪みを覗き込んだ。
深さは膝ほど。幅は大人の足の二倍以上。それが、一定の間隔で、斜面に沿って続いている。
「大きな何かが、歩いた跡だ。しかも、列になってる。」
「列?」
「同じ歩幅で、同じ方向に。一匹じゃない。何匹もが、揃って歩いた跡だ。」
アレスの顔が、険しくなる。
「統率された魔物の群れ、ってやつか。」
「ああ。ここを通ったのは、たぶん、昨日か一昨日だ。」
レオンは気配察知に意識を集中させた。
進化したばかりの感覚が、周囲の空気を、細かく解きほぐしていく。
「近くにはいない。でも、もう少し先に……いる。大きいのが、いくつか。」
「どのくらいだ?」
「正確には分からない。でも、数十は下らない。」
リリアが、小さく息を呑んだ。
「そんなにたくさん……。」
「迂回しよう。正面から行ったら、囲まれる。」
レオンは、ダンカンの地図を広げた。
竜の巣があるとされる谷を見下ろせる尾根が、東側にある。そこなら、岩陰に身を隠しながら、様子を窺えるはずだ。
「この尾根を回り込もう。ミラの警告が強くなったら、すぐに止まる。」
「分かった。」
◇◆◇
半日ほど、岩肌を縫うように進んだ。
途中、一度だけ、気配察知が小さな反応を拾った。
「止まって。……近くに、一匹いる。」
「方向は?」
「右手の岩の陰。小さい。でも、ただの獣じゃない。」
レオンは片眼鏡に魔力を込めた。
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【解析】
雪鬼(偵察個体)
氷の山で暮らす小型の鬼。
周囲を見張り、仲間に知らせる役目を持つ。
弱点:喉元
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「見張りだ。仲間を呼ばれると面倒になる。」
「俺が行く。」
アレスが、音もなく岩場を回り込んだ。
次の瞬間、短い呻きとともに、雪鬼が岩の陰から崩れ落ちた。
「……片付いた。」
「早いね。」
「声を出させなければ、問題ない。」
アレスは、剣を拭いながら言った。
その時、レオンの前に、見慣れた表示が浮かぶ。
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【雪鬼(偵察個体)・討伐】
+2Pt
【新種登録】
+5Pt
【今回の獲得】
+7Pt
【運命ポイント】
22Pt → 29Pt
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(29……。)
レオンは小さく頷いた。
先を急ぐ。
昼を少し過ぎた頃、風の当たらない岩の裏で、短い休憩を取った。
リリアが、ダンカンにもらった干し肉を、四つに切り分けていく。
「はい、アレスさん。」
「ああ、すまない。」
「フェンと、ミラの分もあるよ。」
「ワウ。」
「ホゥ。」
フェンは豪快に噛みちぎり、ミラは小さな欠片を器用に啄んだ。
レオンは、干し肉を齧りながら、岩の向こうの北東の空を見つめていた。
「……傷、どうなってるかな。」
「竜のか?」
アレスが、低く尋ねる。
「ああ。あの時、喉元に一撃入れただろ。治りきってないなら、そこが狙い目になる。」
「俺も、そう思ってた。」
アレスは、干し肉を飲み込んでから言った。
「あの一撃は、手応えはあった。ただ、鱗の下の肉までは届かなかった。もう一度同じ場所に入れられれば、今度こそ通る。」
「そのためには、竜を地上に降ろさなきゃいけない。」
「ああ。あの時と同じ手は、二度は通じないだろうがな。」
レオンは、少し考え込んだ。
空を飛ぶ竜を、地面に縫い止める方法。
手持ちの道具、スキル、仲間たち。
頭の中で、いくつかの案が、ゆっくりと形を取り始める。
「まずは、実際に見てからだ。」
「そうだな。」
リリアが、そっと二人の顔を見比べる。
「あの……無理は、しないでね。竜も、影のことも、見るだけ、って約束だよ。」
「分かってる。」
レオンは、はっきりと頷いた。
見るだけ。それ以上は、仲間と相談してから決める。
そう、決めていた。
午後も遅くなった頃、ようやく目的の尾根にたどり着いた。
岩の陰に身を伏せ、慎重に、谷の方を覗き込む。
「……ここだ。」
アレスが、低く呟いた。
◇◆◇
眼下に広がっていたのは、巨大な窪地だった。
山々に囲まれた、すり鉢状の谷。底には、黒く凍りついた岩場が広がっている。
その中央に、それはいた。
漆黒の鱗に覆われた、長大な体。
身を丸めるようにして、岩場の中央に横たわっている。
ゆっくりと上下する胸が、そこに生きているものの存在を、否応なく知らせてくる。
「あれが……。」
リリアが、声を殺して呟いた。
「ああ。砦を襲った竜だ。」
レオンは、収納鞄から遠見の水晶を取り出した。
王都へ向かう道中で手に入れた、遠方の景色を鮮明に映し出す道具。
水晶越しに、竜の姿が、はっきりと浮かび上がる。
体には、先日の戦いで刻まれた傷跡が残っていた。
アレスが刻んだ、喉元の傷。まだ完全には塞がっていない。
「傷は、癒えてないみたいだ。」
「なら、チャンスはあるな。」
アレスの目が、鋭く光る。
その時、ミラの羽根が、ざわりと逆立った。
「ホゥ……!」
羽根の先が、これまでにないほど赤く染まっている。
「何かいる。近くに。」
レオンは気配察知を研ぎ澄ませた。
谷の向こう側。竜の巣の、さらに奥。
そこから、これまで感じたことのない、冷たく、重たい気配が、じわりと滲み出している。
水晶を、そちらへ向けた。
水晶の向こうに、黒い岩の尖塔が浮かび上がる。
その頂に、人の形をした影が、静かに立っていた。
「……いた。」
レオンの声が、掠れた。
顔がない。
黒い靄が、人の輪郭を取っているだけ。
足元には、ダンカンの言った通り、足音も、影すらも落ちていない。
その周囲には、驚くべき光景が広がっていた。
「あれは……。」
アレスが、息を詰める。
尖塔の麓に、魔物たちが整然と並んでいた。
霜牙ウルフ、氷鴉、雪鬼、そして、見たこともない大型の氷の獣。
種族も大きさもばらばらな魔物たちが、まるで兵士のように、列を成している。
数は、ざっと見ただけでも、百を超えていた。
「軍だ。」
アレスが、低く言った。
「あれは、ただの魔物の群れじゃない。軍隊だ。」
「統率している奴がいる。……あの、影が。」
レオンの背筋を、冷たいものが這い上がった。
影は、動かない。
ただ、尖塔の頂から、魔物たちを見下ろしている。
その手が、ゆっくりと持ち上がった。
次の瞬間、整列していた魔物たちが、一斉に動き出した。
列が、左右に分かれ、陣形を変える。
まるで、見えない糸で操られているように、一糸乱れぬ動きで。
「訓練、か。」
「それとも、何かの準備か。」
アレスの手が、無意識に大剣の柄に伸びる。
「どちらにせよ、このまま王都に向かわれたら、まずい。」
「ああ。」
レオンは、水晶を握る手に力を込めた。
その時、ミラが、鋭く鳴いた。
「ホゥッ!」
羽根の先どころか、翼全体が、真っ赤に染まっている。
「え?」
リリアが、驚いて顔を上げる。
「ミラが……! どうしたの?」
「まずい……!」
レオンは、水晶を覗き込んだ。
尖塔の頂の影が、動いていた。
ゆっくりと、顔のない頭が、こちらを向く。
距離は、数百歩は離れているはずだった。
岩陰に隠れ、気配を殺しているはずだった。
それでも、影は、確かに、こちらを見ていた。
顔のない顔に、口の形をした裂け目が、ゆっくりと開く。
声は、聞こえなかった。
だが、レオンには、はっきりと分かった。
影が、笑っていると。
「――見ツケタ。」
頭の中に、直接、声が響いた。
男の声と、女の声と、子供の声が、幾重にも重なった声。
星を継ぐ者は、どこだ。
あの夜、集落で繰り返されていた、あの言葉。
影は、レオンを見つけたのだ。
(第60話へ続く)
【あとがき】
第59話を読んでいただき、ありがとうございました!
ついに辿り着いた、竜の巣。そこで目にしたのは、百を超える魔物を従える、顔のない影の姿でした。
運命ポイントは22Ptから29Pt。
そして、岩陰に隠れていたはずのレオンたちを、影が見つけてしまいます。次回、いよいよ「喋る影」との初接触です。
次回、第60話もお楽しみに!




