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冥花の婚約者~死んだはずのあなたを、私は香りで連れ戻した~  作者: 硝子細工の森


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3

第三話

 死者蘇生。


 その報せは、王城を震撼させた。


 死者を生き返らせるなど、神話の中にしか存在しない奇跡だ。


 古代の大魔導師ですら成し遂げられなかった禁忌。


 誰も実在を信じなかった奇跡。


 それが起きた。


 しかも、その中心にいたのは十七歳の令嬢クノエ・リスティアだった。


 誰も、何が起きたのか分からなかった。


     ◇


「――っ」


 シオンは咳き込みながら目を開けた。


 肺が痛い。喉が焼ける。身体じゅうが重く、ひどく生々しい。


 生きている。


 その事実だけが、まず容赦なく押し寄せてきた。


「殿下!」


 医師たちが駆け寄る声がした。


 けれどシオンの目は、別の場所を探していた。


 視界の端に、床へ座り込むようにして眠る少女が映る。


「……クノエ」


 掠れた声が漏れた。


 顔色が悪かった。


 白い唇。浅い呼吸。肩にかかった髪も、いつもよりずっと弱々しい。


 冥界で見た光景が、まざまざと蘇る。


『私の未来を差し出します』


 あの時、彼女は迷いもしなかった。


 自分の未来を。


 自分の幸せを。


 まるごと差し出して、それで自分を生かしたのだ。


 胸の奥が軋む。


 シオンはそっと手を伸ばしかけて、止まった。


 触れていいのか分からなかった。


 いや、違う。


 触れてはいけないのだ。


 あんなことをした自分が、今さら彼女に手を伸ばす資格などあるはずがない。


 その時だった。


 クノエの睫毛がかすかに揺れる。


 ゆっくりと目が開き、こちらを見た。


 数秒、何も言えない。


 やがて、先に泣きそうな顔をしたのはクノエだった。


「……生きてる」


 それだけで、涙が落ちる。


「よかった……」


 責める言葉はなかった。


 怒りも、怨みもない。


 ただ、生きていてくれて良かったと、そう言っているだけだった。


 その優しさが、シオンには耐え難かった。


 息が詰まる。


 自分はそんな目で見てもらえる人間ではないのに。


 伸ばしかけた手を、また引っ込めた。


 だが次の瞬間、細い指がその手をそっと掴んだ。


「殿下」


 クノエは泣き笑いの顔で、小さく息を吐く。


「おかえりなさい」


 シオンはとうとう顔を伏せた。


 視界が滲む。


 泣くつもりなどなかったのに、もう駄目だった。


     ◇


 三日後。


 王城の空気は、どこか落ち着かなかった。


 理由はひとつだ。


 シオンが、あからさまに変わっていたからである。


 以前のようにユリを見ない。近づかない。話しかけられても、必要最低限しか返さない。


 むしろ、避けている。


「シオン様ぁ……」


 廊下でユリが甘えた声を出した。


 誰が見ても、か弱い少女の声だった。


 けれどシオンの身体は、先に嫌悪を覚えた。


 ぞわりと背筋が粟立つ。


「……近寄るな」


 自分の声が低く、ひどく冷たく聞こえた。


 ユリが目を見開く。


「え……?」


 一歩、距離を詰めようとした、その瞬間。


 吐き気が込み上げた。


 耳鳴りがする。


 頭の奥がぐらりと揺れ、何かを思い出しかけては、無理やり引き剥がされるような不快感が走る。


 甘い声。


 涙。


 縋るような目。


 その全部に、かつて自分は弱かった。


 いや、弱かった、では済まない。


 自分から、すすんで沈んでいった。


 シオンは口元を押さえた。


「殿下!?」


 護衛騎士が慌てて前へ出る。


 だがシオンの視線は、ユリから離れない。


 ようやくはっきり分かった。


 あの女は、泣き方も、声の震え方も、距離の詰め方も、最初から知っていた。


 そして自分は、それを気持ち良いと感じた。


 利用されていたのに、利用されることを受け入れていた。


 その事実が、何よりも気持ち悪かった。


 シオンは踵を返し、その場を離れた。


    ◇


 ユリは内心で舌打ちした。


(なんなのよこいつ……!)


 おかしい。 完全に落ちていたはずだったのに。


 男なんて簡単なはず。気持ちよくさせて、依存させれば終わり。


 前世ではそれで生きてきた。


 客は皆、自分を求めた。


 だからシオンも同じだと思っていた。


 なのに今の彼は、まるで悪夢から醒めたみたいな顔をしていた。


(ふざけんな……)


 ユリは笑顔の裏で歯を食いしばった。


(ここまで来たのに……!)



     ◇


 その夜、シオンは洗面台にしがみついて吐いていた。


 胃液しか出なくなっても、吐き気が消えない。


 鏡の中には、酷い顔をした男がいた。


「……最低だ」


 誰に言うでもなく呟く。


 自分がしたことを思い出すたび、息が苦しくなる。


 婚約を破棄した夜のこと。


 大勢の前で、クノエを切り捨てたこと。


 その時の彼女の顔。


 思い返すだけで、胸が潰れるようだった。


「なんで……」


 額を壁に押しつける。


「なんで、お前は……」


 そんなに優しいんだ。


 そう言いかけて、やめた。


 優しい、では足りない。


 どうしようもなく、残酷なくらいに真っすぐだった。


 責めればいいのに、責めない。


 見捨てればいいのに、見捨てない。


 そのたびに、シオンの罪だけが増していく。


「私はもう、お前の隣に立てない」


 掠れた声だった。


「そんなことありません」


 静かな返事がして、シオンは顔を上げた。


 扉の前にクノエが立っていた。


「また一人で抱え込んでる」


「来るな」


「嫌です」


「クノエ」


「嫌です」


 珍しく、きっぱりした声だった。


 シオンは息を呑んだ。


 クノエは一度だけ視線を落とし、それからまた顔を上げた。


「殿下、逃げないでください」


 胸の奥が痛む。


「……洗脳されていたんでしょう?」


「分からない」


「分かります」


「分からないんだ」


 シオンは自嘲するように笑った。


「全部が全部、思考を奪われていたわけじゃない」


 言葉が出るたび、喉が焼ける。


「気持ち良かったんだ。頼られて、必要にされて、止まれなくて溺れた」


 クノエが目を伏せる。


「お前より、あの女を選んだ」


 シオンは続けた。


「泣いているお前を見ても、止まれなかった」


 息がうまく吸えない。


「そんな男、気持ち悪いだろ」


 しばらく沈黙が落ちた。


 それから、クノエは小さく息をついた。


「少しは」


 シオンの顔がこわばる。


 けれどクノエは、そこで言葉を切らなかった。


「……いっぱい怒りましたし、いっぱい泣きました」


 小さく眉を寄せる。


「だから、許してません」


 その言葉に、シオンは思わず目を見開いた。


 当然だった。そして、胸の奥は少しだけ軽くなる。


 クノエはそっと手を伸ばしシオンの手を握る。


「でも」


 その声は、ひどく柔らかかった。


「好きなのは、別です」


 シオンの呼吸が止まる。


 クノエは涙をにじませたまま、少しだけ笑った。


「私は、まだ殿下が好きです」


 沈黙が落ちた。


 シオンは何も言えなかった。


 言葉にした瞬間、全てが壊れてしまいそうだったから。


「だから」


 クノエは握った手に、ほんの少し力を込める。


「生きていてください」


 シオンの膝から力が抜けた。


 床に崩れるようにして座り込む。


 泣きたくなかった。泣く資格なんてないと思っていた。それでも駄目だった。


 肩が震える。


 息が途切れる。


 視界が滲む。


 もう一度死ぬ勇気すら、あの一言で失ってしまった。


 クノエは何も言わなかった。


 ただ傍らに腰を下ろし、泣き続ける彼の隣に静かにいてくれた。


 まるで、昔からそうしてきたみたいに。


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