第一王子と第二王子のお茶会
セドリックの一件が落ち着いて、数日が過ぎた。
その日、チヨは離れの応接間で、のんびりお茶を飲んでいた。春の陽射しが窓から差し込み、部屋の中はやわらかくあたたかい。
そこへ、控えめなノックの音がした。
「入っていいかな、先生?」
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、セドリックだった。手には、きれいな箱が抱えられていた。
「通りがかったついでに、城下で評判の菓子を持ってきたんだ」
「まあまあ」
チヨは箱をのぞき込んで、目を細めた。中には、一口大の焼き菓子がきれいに並んでいる。
「とっても綺麗ね」
「だろう。女性に人気なんだ。チヨもこういうのが好きなんだな」
セドリックは得意げに言う。
「ええ。仏壇に飾ったらとても映えそうだわ」
セドリックの笑みがぴたりと止まった。
「……仏壇?」
そのとき、また扉が開いた。
「やっぱりここか」
入ってきたのはレオンだった。部屋の様子をひと目見て、呆れたように眉を上げる。
「お前、最近ここに来すぎだろう」
「兄上だって来すぎじゃないか。毎回こうやって鉢合わせて」
「私はチヨとお茶仲間だからな。チヨの元を訪れるのは当然だ」
「なら俺だって先生の教え子なんだから。教え子が先生に会いに来たっていいだろ」
チヨは二人を見て、くすっと笑った。
「仲がいいのね」
「「どこがだ」」
声がきれいにそろって、チヨはますますおかしそうに笑う。
「でも、優しい子ね。わざわざ持ってきてくれるなんて」
そのひと言に、セドリックが一瞬だけ言葉をなくした。
軽口のひとつも返しそうなものだったのに、珍しく視線をそらし、少しだけ耳を赤くする。
「……まあ、ね。それに先生は放っておくと、その辺の固いパンでもありがたがって食べていそうで心配なんだ」
「まあ、失礼ね。固いパンも工夫すればおいしいのよ」
「そこを否定しないのか……」
レオンはこめかみを押さえた。
チヨはすっかり上機嫌で、焼き菓子を口に運ぶ。
「あら、おいしい。ほどよい甘さだわ。あなた、いいお店を知っているのね」
「だろう?」
セドリックは少し得意げに口元をゆるめた。その顔がどこか年相応に見えて、レオンは思わずため息をこぼす。
「本当に分かりやすいな、お前は」
「何のこと?」
「別に」
レオンは肩をすくめ、チヨに向き直った。
「先生、あまり甘やかさないでくれ。こいつは調子に乗る」
「兄上は厳しいなあ」
「お前が緩すぎるだけだ」
言い合いながらも、その声音には以前ほどの刺はなかった。
チヨは二人を見つめて、ふと目を細める。
兄は弟を心配していて、弟はそれを分かっていながら素直になれない。けれど数日前までの張りつめた空気に比べれば、ずいぶんやわらかい。
まるで、ぎこちないながらも少しずつ元の形に戻ろうとしている家族のようだった。
***
しばらくして、チヨは空になったポットを持って立ち上がった。
「お湯をもらってくるわ。二人とも、けんかしないで待っていてね」
「しない」
「子どもじゃあるまいし」
扉が閉まると、部屋はふっと静かになった。
レオンは少しの間を置いてから、セドリックを見た。
「……で?」
「何がだ?」
「チヨのところに通い詰めてる理由だ」
セドリックは肩をすくめる。
「別に、教え子が先生に会いに来てるだけだよ」
「礼を言いたいんだろう」
そのひと言で、セドリックの動きが止まった。
レオンは淡々と続ける。
「だが素直に言えない。だから菓子を持ってきて、言う機会を伺っている。違うか?」
セドリックはしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。
「……兄上のくせに、妙なところで鋭いな」
「弟が妙なところで分かりやすいだけだ」
セドリックは椅子の背に体を預けた。
「礼を言いたいのは本当だ。だけど、どう言えばいいのか分からない」
「そのまま言えばいい」
「それができないから困ってるんじゃないか」
レオンが眉を上げる。
「女を口説くのは得意なくせにか」
「チヨは、そのへんの女とは違う」
セドリックは小さく笑った。
「女を褒めるのも、距離を縮めるのも慣れてる。だが、まともに礼を言うのは勝手が違う。下手に飾れば軽くなるし、気の利いた言葉ほど嘘くさくなる」
「なら飾るな。『ありがとう』で十分だろう」
「そういうのが一番難しい」
「面倒なやつだな。女は口説けるのに、ありがとう一つ言えないなんてな」
少しの沈黙のあと、セドリックは視線を落とした。
「……チヨには、ちゃんと伝えたいんだ。上っ面な言葉で誤魔化したくない」
レオンは短く息をつく。
「なら、なおさらそのまま言え。チヨは肩書きも駆け引きも気にしない人だ」
「そういうところが厄介なんだよ」
「厄介?」
「まっすぐだからな。こっちの見栄が全部むなしくなる」
レオンは少しだけ口元をゆるめた。
「だが、そういう相手だから救われるやつもいる」
「そうだな」
セドリックは笑ったが、すぐにその笑みを薄くした。
「あれにも、彼女みたいなのが必要かもしれない」
レオンの表情が変わる。
「ルカとアルベールのことか」
ちょうどそのとき、扉が開いた。
「お待たせしたわ」
チヨが新しいお湯の入ったポットを持って戻ってくる。ふわりと湯気が立ち、部屋にまたやさしい香りが満ちた。
「まあ、急に静かね。何のお話をしていたの?」
セドリックが先に口を開く。
「弟たちの話さ」
「まあ。まだ会っていない子たちね」
レオンはうなずいた。
「第三王子のルカと、第四王子のアルベールだ」
「アルベールはどんな子なの?」
「反抗期だ」
レオンが即答する。
「声をかければ突っかかる。注意すればふくれる。この前は稽古を抜け出して、厨房でつまみ食いしていた」
「見つかったら窓を破って逃げたんだ。あれは見事だったな」
「感心するな」
チヨはくすっと笑った。
「元気なのね」
「元気で済ませていいかは怪しいがな」
「反抗できるのは元気の証よ」
チヨはカップにお茶を注ぎながら、続ける。
「それで、ルカは?」
部屋の空気が少し変わった。
今度はレオンが慎重に答える。
「ルカはアルベールとは逆だ。繊細で、人前にも出たがらない。そして、少し言いにくい問題をかかえている」
「兄上は真正面から行きすぎるし、俺は軽く触れすぎるんだよね」
セドリックが肩をすくめる。
「結局、どっちもあまりうまくいってないんだ」
「でも、ちゃんと気にかけているのね」
「……だが、どう接するのがいいのか分からない」
チヨは少し考えて、静かに微笑んだ。
「にぎやかな子も、黙って抱え込む子も、どちらも難しいわね。でも、そういう子って、根は素直だったりするのよ」
チヨはレオンとセドリックに目をやる。
「あなたたちみたいにね」
レオンとセドリックは顔を見合わせる。そして、小さく笑った。
「それなら、その子たちにも会ってみたいわ」
レオンは静かに言う。
「……会えば、チヨはきっと気にかけるだろうな」
「特にルカには、先生みたいなのが必要なのかもしれないな」
チヨはきょとんと瞬きをした。
「私みたいなの?」
「そうだよ」
セドリックは笑う。
「妙に図太くて、変に世話焼きで、平気で踏み込んでくるような人」
「それ、褒めているのかしら」
「褒めてるんだろう、たぶん」
レオンが静かに言うと、チヨはふふっと笑った。
「それなら、いつか会えるといいわね」
その穏やかな声のあと、ふっと部屋が静かになった。
窓の外では春の風が庭木を揺らし、やわらかな陽射しが卓の上に落ちている。
セドリックはその静けさの中で、珍しく視線を落としたまま、指先でカップの縁をなぞった。
レオンが何も言わずにいる。
さっき背中を押されたことを、セドリックはちゃんと分かっていた。
ひとつ息を吐いてから、セドリックは顔を上げた。
「……チヨ」
「なあに?」
チヨがいつもの調子で首をかしげる。
その何でもない仕草に、セドリックは一瞬だけ言葉を詰まらせた。けれど、今度はごまかさなかった。
「この前はありがとう」
短い言葉だった。
飾りも、気の利いた言い回しもない。ただまっすぐなひと言。
チヨはぱちぱちと瞬きをして、それからやわらかく微笑んだ。
「どういたしまして、セドリック」
拍子抜けするほど、まっすぐな返事だった。
セドリックは思わず苦笑する。
「それだけか?」
「それだけって、十分でしょう?」
チヨはくすっと笑った。
「ありがとうって言われたら、うれしいものね」
その声には飾りがなかった。
だからこそ、セドリックの肩から力が抜ける。
「……そうか」
「ええ」
チヨはうなずいた。
横で聞いていたレオンが、ようやく小さく息をついた。
「ほらな。最初からそう言えばよかっただろう」
「うるさいな。こういうのは初めてなんだってば」
不機嫌そうに返しながらも、セドリックの声はどこか軽かった。
チヨはそんな二人を見比べて、楽しそうに笑う。
「やっぱり仲がいいのね」
「「どこがだ」」
また声がそろって、今度は三人とも笑った。
その穏やかなやりとりをしながら、レオンとセドリックは同じことを思っていた。
――彼女なら、弟たちを変えられるかもしれない。
春の午後の光の中、三人の茶の時間は静かに過ぎていった。




