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4 第二王子との出会い

 王城の門が、重々しい音を立てながら、ゆっくりと開いた。

 その向こうに現れたのは、空へ伸びる高い塔と、陽の光を受けて白く輝く石壁だった。荘厳で、隙がな く、いかにも王家の威厳を示す立派な城だ。

 けれど、その城にはどこか沈んだ気配があった。

 城門の柱にも、塔の窓にも、回廊の壁にも、長い黒布が掛けられている。風が吹くたび、それらは音もなくゆるやかに揺れ、華やかなはずの王城に深い影を落としていた。


 チヨは馬車の窓からその光景を見上げ、首をかしげた。


「立派なお城だけれど……どうしたのかしら、この黒い布」


 その問いに、レオンはすぐには答えなかった。

 黒布の揺れる先を見つめてから、静かに口を開く。


「喪に服している」

「誰か亡くなったの?」


 チヨが聞き返すと、レオンは短く答えた。


「父王だ」


 風が吹き抜け、黒い布がふわりと持ち上がった。

 その様子を見ながら、レオンは淡々と続ける。


「先月、亡くなった。だからもうすぐ、私が王に即位する」


 その言葉は静かだったが、軽くはなかった。

 王になる。たったそれだけの言葉の中に、どれほどの責任と重圧が詰まっているのか、チヨにもわかった。


 彼女は隣のレオンの横顔をじっと見つめた。

 若い。まだ青年と言っていい年頃だろう。けれど、その表情には年齢以上の疲れが滲んでいた。


「それは大変ね」


 チヨがそう言うと、レオンは少しだけ遠くを見るような目をした。


「父は長く病に伏せっていた」


 その声には、懐かしむ響きよりも、長く続いた現実を語る疲労のほうが濃かった。


「政務は、ほとんど私が担っていた。国のこと、貴族のこと、軍のこと……気づけば毎日そればかりだった」


レオンは城を見る。


「そのせいで、弟たちにはずいぶん寂しい思いをさせてしまった。私は政治に追われて、彼らと向き合う時間もない。兄として情けない話だ」


「いいえ。あなたは立派よ」


 レオンがわずかに目を見開く。

 チヨは、言い聞かせるように続けた。


「誰かのために必死で働いてきた人を、情けないなんて言わないの。きっといい王様になるわ」


 まっすぐで、飾りのない言葉だった。

 だからこそ、レオンの胸に深く入った。

 彼は何か言いかけるように唇を動かす。


「……チヨ、私は――」


 そのときだった。

 廊下の奥から、場違いなほど楽しげな笑い声が響いてきた。


「まあっ、セドリック様!こんなところで……いけませんわ!」

「いけないことの方が、興奮するだろ?」

「まあ、悪いお方」


 若い男の声に続いて、女のくすくす笑う声が重なる。

 王の死を悼む黒布に包まれた城には、ひどく不似合いな明るさだった。

 やがて廊下の曲がり角から、二人の姿が現れる。


 金髪の青年が、派手なドレス姿の女を腰に抱いて歩いていた。青年の髪は陽を受けてやわらかく光り、整った顔立ちには人を惹きつける華やかさがある。だが、その口元には軽薄で、どこか人をからかうような笑みが浮かんでいた。

 青年はレオンの姿を見つけると、目を細めてにやりと笑った。


「これはこれは、兄上じゃないか」


 女もそれにつられて前を見た。

 そして次の瞬間、その顔から血の気が引いた。


「王太子殿下……!」


 彼女は慌ててセドリックの腕から離れた。


「も、申し訳ございません!」


 ぺこぺこと何度も頭を下げ、そのまま半ば逃げるように小走りで廊下の奥へ去っていく。

 足音が遠ざかると、廊下はしんと静まり返った。


 セドリックはその背中を見送り、肩をすくめる。


「あーあ。逃げられた」

「セドリック。父上の喪が明けていないうちに女遊びとは……お前は王族としての自覚がないのか」


 その叱責にも、セドリックはまるでこたえた様子がない。


「そんな怖い顔するなよ。「兄上だって女を連れ込んでるじゃないか」


 レオンの顔が、固まった。


「違う!」


 声が一段高くなる。


「彼女は王室付きの教育係だ!」


 セドリックの視線が、ようやくチヨへ向いた。


「教育係?」


 くすりと笑う。


「じゃあ、俺の先生ってわけだ」


 そう言うと、セドリックはためらいなくチヨの前まで歩み寄った。

 ひらりとその手を取り、指先に軽く口づける。


「はじめまして。第二王子のセドリックです、先生」


 その仕草は優雅で、慣れていて、いかにも女を口説き慣れた男のものだった。

 けれどチヨは少しもひるまない。


「チヨよ。よろしくね」


 その反応が意外だったのか、セドリックはほんのわずかに眉を上げた。普通なら、照れるか怯えるか、少なくとも何かしら反応がある。だが目の前の少女は、まるで近所の子に挨拶でもするような気軽さだ。


 セドリックは面白そうにチヨを見つめた。


「ねえ先生。俺、さっそく教えてほしいことがあるんだ」

「なぁに?」


 チヨが穏やかに問い返すと、セドリックは口元をゆがめて言った。


「この世で一番気持ちいいこと、とか?」


 廊下の空気が、ぴしりと凍った。

 騎士たちがそろって青ざめる。


「セドリック!」


 レオンの怒声が飛ぶ。

 だがセドリックは気にも留めず、むしろ楽しそうに笑う。


「そんなに兄上が熱くなるなんて珍しいな。まさか恋人?」

「違うと言っているだろう! お前は一体どうしてまた……!」


 怒りをあらわにするレオンとは対照的に、チヨは終始にこやかなままだった。

 そして、何でもないことのように言った。


「いいわよ。この世で一番気持ちがいいこと、教えてあげる」

「チヨ……!?」


 今度はレオンが絶句する番だった。

 セドリックも一瞬目を丸くしたが、すぐに楽しそうに笑い出す。


「へえ。面白い」


 その目が、すっと細くなる。


「ますます気に入った」


 チヨはそんなセドリックを見ながら、ちらりとレオンへ目をやった。

 そしてほんの一瞬だけ、口だけを動かす。


(ま)

(か)

(せ)

(て)


 レオンは眉を寄せ、いかにも止めたいという顔をした。だがチヨの表情が妙に落ち着いているのを見て、やがて観念したように口をつぐむ。


 チヨはあらためてセドリックを見た。


「じゃあ、部屋に案内してくれる?」


 そしてさらりと続ける。


「ベッドがある部屋がいいわ」


 騎士たちの顔色が変わった。


「えっ」

「ベ、ベッド……?」

「まさか本当に……?」


 だが、セドリックはむしろ愉快そうに笑みを深めた。


「ああ、案内するよ。君も、堅物な兄上より僕のほうがいいだろうし」


 そう言ってセドリックはチヨをエスコートし、そのまま二人は廊下の奥へと去っていった。


 残された騎士たちは、慌ててレオンを見る。


「殿下! よろしいのですか!」

「チヨ殿が連れて行かれてしまいましたが!」

「本当に止めなくてよろしいのでしょうか……!」


 レオンは腕を組み、深くため息をついた。


「心配するな。彼女には何か考えがあるのだろう」


 そしてぼそりと続ける。


「……どちらかというと、心配なのはセドリックの方だ」


 騎士たちは顔を見合わせた。

 しばし沈黙したのち、ひとりがぽつりと呟く。


「……確かに」


 別の騎士も真顔で頷く。


「チヨ殿、だもんな……」

「セドリック殿下、無事で済むだろうか」


 第二王子セドリックは、まだ知らない。

 自分が今、どれほど厄介で、どれほど強い相手に目をつけたのかを。


――彼女の、本当の恐ろしさを。

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