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3 おばあちゃんはお城に向かうことにしました

「そうだわ。あなたたちの分も、お茶をいれなくちゃ」


 チヨはそう言うなり、てきぱきと手を動かし始めた。石を寄せて作った簡易のかまどに、火はまだ残っている。竹の器を並べ、さっき摘んだ葉を指先でほぐしながら、湯の加減を確かめる。その手つきは慣れたもので、野外だというのに少しも慌てた様子がない。

 突然の展開に、騎士たちは顔を見合わせた。


「殿下、その方は……」


 ひとりが戸惑い混じりに尋ねると、レオンは短く答えた。


「命の恩人だ」


 そのひと言で、騎士たちの表情が変わった。驚きが走り、視線がいっせいにチヨへ集まる。こんな華奢な少女が、第一王子の命を救った。すぐには信じがたい話だったが、レオンが冗談を言うはずもない。

 当の本人は、そんな視線をものともせず、にこにこと竹のコップを並べていた。


「はい、お茶をどうぞ」


 差し出された言葉に、騎士のひとりが思わず聞き返す。


「……ここで、ですか?」

「そうよ。こういうときこそ、お茶なの」


 チヨは当然のことのように言った。


「長旅で疲れているでしょう。追いかけてきたなら、なおさらね。まずひと息つかなくちゃ」


 そう言いながら、葉を湯の中に入れる。ふわりと立ちのぼった湯気に、草の青さとやさしい香りが混ざった。さっきレオンに出したものと同じ、素朴で落ち着く香りだ。


「ほらほら、みんな座りなさい」


 年若い見た目には不釣り合いな、すっかり言い慣れた口調だった。騎士たちはまた顔を見合わせ、それからおそるおそるレオンを見る。


「殿下、よろしいのですか」

「かまわない。みな、彼女の言うことは聞け」

「は、はあ……」


 どこか釈然としない顔をしながらも、主命には逆らえない。騎士たちは鎧の音を立てつつ、その場に腰を下ろした。草の上に座るなど普段ならありえないことだが、不思議と逆らいづらい空気がある。チヨは満足そうに頷くと、ひとりひとりに竹のコップを配っていった。


「熱いから気をつけてね」


 受け取った騎士たちは、しばらくそのコップを見つめていた。竹の節を生かした即席の器は、質素なのに妙に趣がある。やがて、ひとりが意を決して口をつけ、目を丸くした。


「……うまい」


 その反応に、別の騎士も恐る恐る飲む。


「本当だ。なんだこれは……。こんなうまい茶は初めてだ」


 さらにもうひとり、またひとりと口をつけ、たちまちあちこちから感嘆の声が漏れた。


「香りがいいな」

「体に染みる……」


 鳥の声が、梢の向こうから聞こえてくる。風が吹くたび草がさわさわと揺れ、木漏れ日が騎士たちの鎧にまだらに落ちた。先ほどまで緊張に張りつめていた空気は、もうすっかりほどけている。


「こんな静かな時間は久しぶりです」

「ああ……故郷を思い出しますね」

「わかる。なんだか、田舎のばあちゃんに会いたくなってきたな」


 そんな取りとめのない会話まで始まり、騎士たちはすっかりくつろいでいた。レオンはその様子を眺めながら、自分のコップに口をつける。温かさが喉を通り、胸の奥までゆるめていくようだった。


「……こういう時間も、悪くない」


 その呟きは小さかったが、チヨの耳にはちゃんと届いたらしい。


「あらあら、王子様もすっかりお茶の魅力にとりつかれたわね」


 からかうように笑われ、レオンは少しだけ眉をひそめたが、否定はしなかった。


***


 それからしばらく、誰も急かさなかった。火のはぜる音。風に揺れる葉の音。遠くを流れる川の気配。誰かがコップを置く小さな音さえ、妙に心地よく響く。やがて、その静けさの中でレオンが口を開いた。


「チヨ」

「なあに?」


 チヨは竹のコップを両手で包んだまま、穏やかに首をかしげた。レオンは真剣な声で続ける。


「城へ来てほしい」

「お城?」


 意外そうに目を瞬かせるチヨに、レオンは真っすぐ視線を向けた。


「王室付きの教育係になってくれないだろうか」


 チヨはきょとんとした。


「教育係?」


 その言葉には覚えがある。長年、教師を仕事にしてきた。けれど、まさかこんな場所で、こんな姿で、またその言葉を聞くとは思わなかった。レオンは静かに頷く。


「私には三人の弟がいる」

「まあ、にぎやかそうね」


 チヨが素直に感想を述べると、レオンは微妙な顔になった。


「……にぎやか、というか」


 そこで一度言葉を切る。あまり人に聞かせたい話ではないのだろう。少し迷った末に、観念したように続けた。


「問題児ばかりだ」


 その場の騎士たちが、一斉に何とも言えない顔になった。否定できないのだろう。チヨはその反応を見て、くすりと笑った。


「あらあら、若い子はみんなそんなものよ」

「そんな可愛い言い方で済む相手ではないのだが……」


 レオンは思わず本音を漏らし、それから小さく息をついた。


「教師を何人もつけた。だが、全員辞めてしまった」


 それは軽い事態ではない。王族の教育係など、本来なら名誉ある役目のはずだ。それでも続かなかったということは、よほどなのだろう。


「だが、あなたなら」


 レオンはそこで言葉を止め、チヨを見る。


「あなたと話していると、なぜか安心する」


 チヨは少しだけ目を見開いた。


「あなたになら、弟たちも心を開くかもしれない」


 その言葉は、不思議と静かに響いた。周囲の騎士たちも、冗談ではないと察したのか、もう茶化すような空気ではなかった。チヨはしばらくレオンの顔を見つめ、それからやわらかく笑った。


「まあまあ、嬉しいことを言ってくれるじゃない」


 そう言うと、レオンは少しだけ視線をそらした。褒め言葉を口にするのに慣れていないのかもしれない。


「それから……」


 珍しく、少しだけ言いにくそうに言葉を継ぐ。


「たまにでいい」


 レオンは咳払いひとつしてから続けた。


「私とも、こうしてお茶をしてほしい」


 空気が固まった。騎士たちが、一斉にレオンを見た。


「えっ」


 誰かが、ぽろりと声を漏らす。


「い、今、殿下が……」

「女性を、お茶に……?」


 ひそひそ声が一気に広がる。


「信じられん……」

「あの殿下が……?」

「聞こえているぞ」


 レオンが低く言うと、騎士たちはびくりと背筋を伸ばした。


「い、いえ!」

「何でもありません!」


 一斉に姿勢を正す様子があまりに見事で、チヨは思わず声を立てて笑った。


「いいわよ。お茶くらい、いくらでも付き合うわ」


 その返事に、レオンの肩からわずかに力が抜けたように見えた。

 チヨはコップの中の茶を見つめながら、胸の内でそっと考える。

(そうね。天国に急いで行っても、やることもないわね。もう少し長生きしてみようかしら)

 不思議な話だ。ついさっきまで、自分は人生を終えたのだと思っていた。けれど今こうして、見知らぬ王子に頼られ、見知らぬ騎士たちに茶をふるまっている。ならば、もう少しだけこの先を見てみるのも悪くない。

 それに。

(教師なら、まだ役に立てるかもしれないわね)

 チヨは顔を上げ、はっきりと頷いた。


「教育係の話も、引き受けましょう」


 その言葉に、騎士たちの顔がぱっと明るくなる。レオンも、表には出さないが、目元がわずかにやわらいだ。チヨは胸の中で、遠い懐かしい人たちに語りかける。

(姉さん、ウメさん、フミさん。そちらへ行くのは、もう少し先になりそうよ)

 こうしてチヨは、王子たちの教育係になることになった。

 けれどこのとき、まだ誰も知らなかった。

 彼女が教えることになる王子たちが、そろいもそろって、とんでもない問題児だということを。


***


 城へ向かう馬車が、街道をゆっくりと進んでいた。車輪が石を踏む音が、規則正しく響く。左右には緑の木々が続き、その先に王都の城壁が少しずつ大きく見えてきていた。

 その一行の姿を、城の高い棟の上から眺めている者がいた。石造りの手すりにもたれ、退屈そうに顎を乗せている。陽の光を受けてきらめく金の髪に、整った顔立ち。けれどその口元には、品のよい微笑みではなく、いかにも面白がっている悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「へえ」


 青年は小さく呟いた。


「あの堅物の兄上が、女を連れて帰るなんて」


 細めた目で、馬車を見下ろす。


「珍しいこともあるもんだ」


 頬杖をつきながら、くすりと笑う。その声音には、興味と、退屈しのぎを見つけた子どものような気配が混じっている。


「ちょっと面白そうじゃないか」


 この青年こそ――第二王子、セドリックだった。

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