第29話:娘の気持ち
お父さんはあまりにも優しくて、思慮が深くて。
娘のことをたくさん、たくさん考えてくれて。
でももしかすると、結構不器用なのかもしれない。
「お父さんは、娘の気持ちを全然分かってないな……」
その言葉に反応し、ヒジリがわずかに顔を上げた。マコの方を、気まずそうにチラリと見る。
困り果てた、といった表情。さっきからずっと、お父さんはこんな顔ばかりする。
「小さい頃は、うちにお父さんがいない理由がよく分からなかった。でも……」
マコは父親の顔を直視するのがなんだか気恥ずかしくて、ふわりとその胸元に寄りかかる。
「私の家の環境は正直、あまりよくなかったよね。だから、お父さんは、家のことが嫌になって、それでいなくなっちゃったんだろうなって、ずっと思ってた」
「そんなことは……!」
「うん。今なら分かる。……全部分かってる」
ヒジリがなにか言おうとするのを、マコはすぐに遮った。
「お父さんは、うちのことが嫌になったわけじゃなかったから……。そうじゃなかったのなら……お父さんが自分から家を出ていったわけじゃなくて、ヒルデガルトに喚ばれて仕方なく日本からいなくなったのなら」
あの日、竜の谷で。
ヒジリが転移者だと聞いたときから、マコには漠然とした1つの願いがあった。
もしも、この人が本当の父親だったら。
私の本当のお父さんだったら。
「それなら私は、お父さんに捨てられたわけじゃなかったってことになるから。それは、私にとっては救いだと思った……」
父親と触れ合ったまま、マコは自分の思いを話し続ける。
「この間、仕事について少し教えてくれたでしょ?家からいなくなったお父さんは、この世界でとても大事な仕事をしていた」
ヒジリがこの世界で担っていた仕事は、死という概念のすぐ近くにあった。
魔物の脅威なんてない日本から突然召喚されたあと、ヒジリはこのヒルデガルトの最前線で危険な仕事を10年以上も続けていたという。巨大な魔物が飛び交う戦場で戦い続ける困難は計り知れない。
人を癒し助けるという形で、仲間とともに戦い続けていたヒジリは、ある意味でこの世界の救世主だったのだろう。
「……お父さんはすごいな、カッコいいなって思った」
一緒にいられなかったことはもちろん残念だ。
そういう運命だった、と納得するのも難しい。
それでも。
「尊敬すべきお父さんだなって思った」
今のマコは父親のことを、なによりも誇りに感じている。
「だから、お父さんは最初から、本当のことを言ってもよかったんだと思う」
ヒジリが髪を撫でてくれた。
「たとえ私を大混乱させたっていいから、言っちゃえばよかったのに」
大きな手で髪を撫でられるのは、とても心地がよかった。
「その方が、きっと私のためになったのに……」
「そうか……お父さんは、なんにも分かってないんだなぁ」
「うん。お父さんは分かってない」
泣きたいような、笑いたいような、変な気分だった。
+++
異世界に転移した最初の日。
お父さんはおそるおそる手を伸ばして、壊れやすいものに触れるみたいにそっと私を抱いた。
まるで、宝物を抱き寄せるみたいだった。
あのときお父さんはもう、マコのことを実の娘だと分かっていたのだ。
それならばこの人は、一体どんな気持ちで私のことを抱きしめたんだろう。
この世界で初めてお父さんが「マコ」と名前を呼んだ瞬間。
この世界で初めて私が「お父さん」と呼びかけた瞬間。
本当の父親だということを隠したまま、あんなに嬉しそうに微笑んでいた。
それは一体どんな気持ちだったんだろう。
穏やかな風が吹いている。
「お父さん……あの、お願いがあって」
蕎麦の花が、優しく揺れている。
マコが一面のお花畑に転移したあの日からずっとずっと。
いや、それよりも前から。
マコが生まれた日からずっとずっと。
この人はずっと、ずっとずっと、マコのことを想い続けてくれている。
「私のことを、ぎゅーっと、抱きしめてほしい。最初の日みたいに」
そう言った瞬間、ヒジリは肩を引き寄せるみたいにしてマコをその腕の中に抱いた。
最初の日よりもずっとずっと、強い力で抱いた。
この腕は13年以上前、遥か遠い遠い昔に、私のことを何度も抱きしめてくれた腕だ。
そう思ったら、どうしても我慢できなかった。
マコは声を上げて泣いた。




