075 古代竜の爪痕
拠点で槍を受け取り、隠れてもらっていた馬車に乗った私は、まっすぐ〝古代竜の爪痕〟に向かった。
ロヒカルメ村からの帰りと同じように最低限の休憩だけで街には立ち寄らなかった。
急いでいたというのもあるが、どうしても故郷である辺境伯領を通るからという理由が一番大きいかもしれない。
目の前に広がる大きな──そんな言葉では足りないほど広大で深遠な谷にたどり着き馬車を降りる。
そして馬車にはそのまま帰ってもらった。
待ってもらったところで、私が戻れる保証はないのだから。
待たせるだけ無駄になる可能性が高い以上、待機させるのも気が引けるのだ。
谷を覗き込めば、真っ暗で谷底は見えない。
降りるための道など当然あるはずもなく、どうやって降りれば良いのか考える。
すると、すっと私の横を緑色の光が通り過ぎた。
風の精霊だ。
精霊は私の目の前でふわふわと浮いている。
そしてその精霊に群がるように次々と精霊が現れる。
「──手伝ってくれるのかい?」
これだけの精霊が協力してくれるなら、多少無茶な降り方をしても大丈夫かもしれない。
流石に飛び降りるのはダメだろうが、滑り降りるぐらいなら耐えられるだろうか?
「丘陵地帯の事故を思い出すねえ……」
依頼で丘陵地帯を探索していたときに崖から落ちたのを思い出した。
あの時は土の精霊が知らせてくれた。
それに道案内までしてくれた。
あの時はただ教えてくれるだけだったが、今は違うように思う。
精霊の助力があれば身体強化スキルで……。
そこまで考えて頭を振った。いくら精霊が協力してくれるとはいえ危険すぎる。
谷の深さはわからない。
仮に思ったよりも浅かったとしても怪我をしては意味がない。
今の私は謝罪をしに行く立場だ。
たどり着いた時に大怪我を負っていては、謝る気があるのか疑われかねない。
──いや、命懸けで来た証明になるだろうか?
何を考えているんだと大きくため息をつく。
私には帰りを待ってくれている人がいるのだ。
命懸けだの大怪我だの論外だ。
安全に降りる方法を考えるべきだろう。
「どこか人が下りられる場所はあるかい?」
目の前に集まった精霊たちに訊ねる。
しばらく精霊たちはふわふわと浮いた後、一つの光がすうっと群から飛び出した。
きっと案内してくれるのだろう。
他に手はないので静かに精霊の後を追う。
精霊について行くことしばらく、かろうじて歩けそうな足場を見つけた。
どこまで続いているかわからないが、最初から捨て身よりはマシだろう。
一度深呼吸した後、私は足場に足を踏み入れた。
片足分しかない足場を崖壁に手をつきながらゆっくりと下りて行く。
自然にできた足場はどのような状態かは足を置くまでわからない。
なのでいつでも壁に掴まれるように慎重になっているのだ。
精霊たちは私の周りを浮いており、着いてきてくれているようだ。
それだけでも心強い。
それに弱いながらも真っ暗な谷を照らす明かりにもなっている。
こんな足場を魔法を使ったまま下りるなど無理なので非常にありがたい。
「結構下りてきたと思うんだけどねえ……」
幸いと言うべきか、足場はここまで途切れることなく続いていた。
おかげで怪我なく進めているのだが、生憎とどれぐらい下れたのかが分からない。
上も下も真っ暗だ。
谷の底までまだ大分ありそうだ。
「この辺りで一度休憩したいところだけど、そんな場所があるわけないよね……」
足場は相変わらず片足分しかない。
そんなところに座れる場所があるはずもなく、歩みを止めるわけにはいかなかった。
そのまま気が遠くなるほど歩き続けた。
空が見えないせいで、今が昼なのか夜なのかもわからない。
あるのは谷の暗闇と、精霊たちの微かな光のみだ。
「後どれぐらいかわかるかい?」
寂しさを紛らわすように訊ねれば、精霊はふるふると小さく震えるのみだった。
どうやら彼らでも分からないらしい。
そんなことをしたのも束の間、突如精霊たちがざわつきだし、ブルブルと身を震わせて消えた。
「えっ! ちょっと!」
精霊たちが消えた今、目の前は真っ暗で足元すら見えない。
さらには、内臓を直接掴まれたかのような不快感まで襲いくる。
気持ち悪さに膝をつきそうになったが、必死に耐えた。
今そんなことをすれば間違いなくバランスを崩して落ちる。
槍を杖代わりにして耐え、一歩、また一歩と歩みを進める。
歩みを進めるごとに、巨大な気配が現れる。
数はどんどん増えていき、不快感も増して行く。
私に向けられた視線も感じられるようになり、もう限界だと膝をつきかけ、そしてバランスを崩して谷底に向かって滑り落ちた。
無意識に槍を崖壁に差し込んだが、ガリガリと表面を削るだけで止まりそうもない。
そしてふっと槍から伝わる抵抗がなくなり、体が浮いた気がした。
直後打ち付けられたような激しい衝撃に襲われ、そのままゴロゴロと転がるようにして谷底に向かって落ちていった。




