ラィスという男
ある朝のことだ。
いつもより早く目が覚めたこともあり井戸水を汲みに外に出ようとして、既に外に誰かがいることに気付いた。
そっと扉を開けて様子を窺えば、ラィスが素振りをしていた。
一心不乱に振り続けるその姿は今日たまたまやっていたわけではなく、長いこと継続していることがわかるものだ。
だが——
「右肩が強ばってるよ」
いくら練習したところで正しい形でやらなければ意味がない。
それはどんな武器でも職業でも変わらないだろう。
「⁉」
突然話しかけられてラィスは目に見えて驚いていた。
うっかり剣まで落とす始末だ。
「ラィスでも継続していることがあるんだねえ……」
扉前の段差に腰を掛けそんなことを言えば否定の言葉が返ってきた。
だがその表情は照れくさそうだ。
「リーゼこそ、こんな時間にどうしたんだよ?」
彼なりの照れ隠しなのか、そう訊ねて素振りを再開した。
私は座ったままそれを眺める。
「たまたま目が覚めただけ。水を汲みに来たら見つけただけだよ。——重心が左に寄ってる」
「……それならさっさと井戸まで行けばいいじゃないか。やりづらいんだよ」
「剣は我流?」
「…………」
座ったまま立ち上がろうとしない私の問いを無視してラィスは剣を振り続ける。
しかし私に言われたことを意識しているのか、姿勢が乱れている。
これはあまり良くない。
「……もっと上達したいならちゃんとした指導を受けるべきだね」
そう言えば、ラィスはすっと剣を下ろして私に振り返った。
「——そんなことしたら、周りに知れてみっともないじゃないか!」
「…………」
こんな早朝に素振りをしていたのは、みんなに知られたくなかったということのようだ。
別に努力は隠す必要もないと思うが、なぜそれをみっともないと思うのか不思議だ。
「……うまくなるのと、みっともなくなるのとどっちが重要なんだい?」
こんな問いをしていることにため息をつきたくなる。
そもそも天秤に乗せているものが間違っているのだから。
「それは……」
「こんな時間にやっているのは、自分の努力を知られたくないんだろう? それはなぜ?」
「努力なんて新人がすることだ。Bランクになってこんなことをしていちゃいけないんだ……」
なんとなくラィスが考えていることがわかった気がした。
だからこそちゃんと言わなければならない。
「それは違うね」
「?」
「努力をしなくて良い、してはいけない、なんてことはない。それがまかり通るのはごく一部の天才ぐらいだよ。私たち凡人は、いくら努力したってしたりない」
ふぅ……、と息を吐く。少し熱くなりそうだったので、落ち着かせるように一拍置いて続ける。
「その努力の中には活かすための経験を積むことだって含まれるし、経験を活かすための知識を得ることだって努力だよ。自分が気づいていないだけで、努力は誰だってしている。それを誰かに知られたり見られたりすることは何も恥ではないよ」
それまで疑問を呈するような表情をしていたラィスは俯いた。
ラィスがどう受け取ったかは分からないが、言うべきことは言った。
そのあとの行動は彼次第だ。
それも含めて見守るとしよう。
立ち上がって伸びをし、井戸に向かおうとした。
のだが、そこでラィスから声がかかった。
「リーゼ。剣、扱えるよな?」
「何言ってるんだい。私の武器は槍だよ」
「でも、できるんだろ?」
「…………。……昔少しかじった程度だよ」
剣を使ったのはまだ七歳の頃だ。
その時に少し教えてもらってそれっきりだ。
答えるのも嫌だったので、嫌であることを全面に出して答えたのだが、あろうことかラィスは音がしそうな勢いで私に頭を下げた。
「頼む! 俺に剣の稽古をつけてくれ!」
ここまでの話でなぜこうなったのか理解できない。
私は確かにちゃんとした指導を受けるべきだと言ったのだが。
「人の話を聞いている?」
「もちろん理解している。でも、頼むならリーゼだって思ったんだ」
なおのこと理解できない。
理解しているのならば、適切な指導者を探すだろう、普通。
「ラィスの力量なら私よりも外で指導を受けた方が良い」
「……ないんだ。金が……」
ボソリとつぶやかれた言葉に唖然とした。
冒険者としての仕事で得た報酬は、エステラがきれいに分配している。
Bランクパーティともなれば選ぶ依頼のランクが高くなる分報酬もそれなりに高額だ。
当然個人で得られる分も多い。
なのに、ない?
一体どんな使い方をすればそんなことに——。
内側からふつふつと怒りが沸き立つ。
個人の金の使い方に口を出す権利はないが、いくらなんでもそれはないだろう。
口から漏れそうになるそれをなんとか抑え込んで嘆息した。
「……剣の稽古の前に、節制を覚えることを勧めるよ」
■■■
朝の一件から、私はラィスのあらゆる部分を指導することになった。
流石に寝食にまでなにかすることにはならなかったが、どこへ行くにもついていかなればならない。
どこにここまで世話を焼かせる大人がいるというのだろうか。
買い物に出かけるときもついていき、余計なものを買っていないか、値段をふっかけられていないかなどを逐一確認しなければならない。
誰かとの会話も確認対象だ。
交友関係が広く、中には人を財布としか思っていない輩がいるかもしれないからだ。
できれば人付き合いはある程度相手を見定めてほしいものだ。
しばらくそんなことをしていて、ラィスの交友関係に問題はなさそうであることがわかった。
中にはガラの悪そうな人物もいたが、それは見た目や口調だけの問題だった。
一番意外だったのは、困っていそうな人の押しには弱いことだった。
神殿の前に立ち寄って頼まれれば少額だが寄付をし、裏路地で子供が震えていれば持っていたパンを与え、屋根の張替えに手間取っている人を見かければ手伝う。
裏通りの薄暗い場所で神官の格好をした男に寄付しようとしたのは流石に止めたが。
「どれも無駄遣いって言い辛い塩梅なんだよねえ……」
単純に不要なものを買っているのならやめさせればいいだけなのだが、用途が善意なのでどうにも止め辛い。
私だって孤児や貧困層の支援は必要なことだと思っているのだから。
かといって、今の状態を継続して良いわけでもない。
ラィス個人の問題とはいえ、常に路銀がない状態でいられては困るのだ。
事あるごとにそれを理由に無心されたりしては敵わない。
その点、金が無いから剣の指導をしてくれという依頼はまだマシな方だろう。
——しかしどう改善したものか……。
「はあ……」
何度目かのため息をつく。
このところずっとこんな調子だ。
なぜ自分のことではないのにこれほど悩まねばならないのか。
できることなら誰か代わってくれ! と叫びたい。
しかしそんなことをしたところで代わってくれる善良な人はいないだろう。
本来は本人が解決すべき問題なのだ。
こんな時、あの人ならどうしただろうか……。
ふと脳裏をよぎるのは緑がかった銀髪の男。
思えば、あの人から教わったことが私の知識の大部分を占める。
戦い方だってそうだ。
「——仕方ない。少しは面倒を見てあげるか……」
きっとあの人も私に対して同じようなことを思っていただろう。
ならば私のやるべきことは一つしかない。




