058 家族
王都を出てからの旅路は順調だった。
魔物に会うことはなく、嵐に見舞われるようなこともなかった。
その代わり馬車は昼も夜も問わず動き続ける。
流石に馬の休憩はとるが、それも通常よりは圧倒的に少ない。
そして乗っている俺も、こまめにリーゼさんの体を聖水できれいに拭う。
こうでもしていないと、幸せだった頃のことばかり思い出して涙をこぼしてしまいそうなのだ。
道中、街に寄ることはしなかった。
リーゼさんの見た目が見た目なので、伝染病を疑われて謂れもない誹りを受けないようにするためだ。
伝染病なら一緒にいる俺も発症することぐらい少し考えればわかるものだが、パニックになれば短絡的になってしまうものなので仕方がない。
そうして普通では考えられない速さで故郷の山の麓までたどり着いてしまった。
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
山を降りたときから寸分違わない景色に懐かしさを覚えながら、馬車を進めてもらった。
馬車は街道よりも遅い速さで進む。
急勾配にギリギリの幅しかないから仕方ないだろう。急いで滑落してしまっては元も子もない。
のんびりとした動きに歯痒さを覚えながら必死に耐える。
今一番頑張っているのはリーゼさんなのだから。
ようやく村に辿り着いた時には夕暮れ時だった。
赤く染まる門をくぐり、慣れ親しんだ奥の家を目指す。
途中の田畑も夕焼け色に染まっていて、急に帰ってきたんだ、と懐かしさが込み上がる。
そして家の前で片付けをしている兄の姿を見た途端、全てが決壊したように涙が溢れ出てきてしまった。
──お義父さんが今度は二人で来なさいって言っていたよ。この子が生まれたら三人で行こう。
妊娠がわかってすぐの頃にリーゼさんが言っていたそんな言葉が脳裏によぎる。
大事そうに変わりのない腹を撫でて微笑む彼女を抱きしめた時の体温が鮮明に蘇る。
「──ユーリスか?」
「兄さん、助けてくれ!」
俺の叫びに兄は面食らったように固まる。
そしてすぐに険しい顔に変わり、家の戸を開けてくれた。
「それでここまで帰ってきたというわけか……」
リーゼさんを馬車から降ろして家に運び込んだ後、俺は事の経緯を父と兄に話した。
二人とも沈痛な面持ちで奥で横たわっているリーゼさんを見た。
「二人で来いとは言ったが、まさかこんなことになろうとは……。随分と酷い有様だ」
父の呟きに全員が押し黙る。まるで葬儀の前日のような雰囲気だ。
奥でリーゼさんを甲斐甲斐しく世話してくれている母もこのまま看取ることを覚悟しているような面持ちだった。
「村長、やっぱりあそこを頼るしか……」
兄の言葉に父は頷いた。
「それしかあるまい。……ユーリス、リーゼさんを背負って山を越える覚悟はあるか?」
「──はい」
山を降りるのではなく山を越える。
このロヒカルメ村においてそれは国境を越えることを意味する。
公にはされていないが、この山岳地帯の向こうは北側諸国に繋がっているのだ。
古代竜の爪痕を越えなければならない北側に、山を越えるだけで行けてしまうのだ。
当然山越えは厳しい道のりだ。
それも一人ではなく、リーゼさんを背負って行かなければならない。
並大抵に覚悟では成せないだろう。
そのための問いだ。
「……ヨースト、背負子と霊草を持ってきなさい。ユーリス、お前はもう休みなさい。酷い顔だ。それではリーゼさんが目覚めた時に驚かれるぞ」
言われてみれば、しばらくまともに休んでいない。
少しでも早く何かを掴むために寝る間も惜しんでいた。いつの間にか顔もガサガサになっている。
確かにこれは驚かれそうだ。
俺は大人しく父に従って休ませてもらった。
翌朝、久しぶりにぐっすり眠れたのか気持ちよく起きることができた。
そのまま外に出れば、ちょうど朝日が登るところで、その眩しさに手を翳した。
一度大きく伸びをして深呼吸をする。
やはり故郷と王都では空気が違う。
そんなことを考えながら家に中に戻った。
「少しはマシな顔になったな。この後のことを話そう」
今で座っていた父が俺を見つけてそう言った。
俺は迷うことなく昔から座っていた場所に座った。
「ユーリス、記録に残してはいけない約束になっているので、これから話すことはしっかり覚えておきなさい」
座ってすぐに父は神妙な面持ちで口を開いた。
それに俺は頷いて同意を示した。
「村を出て北へ進みなさい。途中で小さな石をいくつか積んだ目印がある。そこを左に進むんだ。うっすらとだが道がある。あとは道なりだ」
「小石を積んだ目印って、子供の頃よく遊んで怒られたやつ?」
確か子供の頃、兄とよく北の道に行って遊んでは、仕事から帰ってきた人に怒られた気がする。
「ああ、そんなこともあったな。あの頃は本当に周りからは苦情をもらった……」
父が遠い目になった。余程文句を言われたらしい。
少し申し訳ない気持ちになった。
「あとは道なりってことだけど、その先は何を目指せば良い?」
「ああ。まずは森だな。道の先に鬱蒼とした森がある。そこを目指しなさい。森に入ったら白い花を目印にして進むと良い。その先に木でできた家がある」
言われたことをしっかりと頭に叩き込む。
目印、森、白い花。重要そうなことは念入りに。
俺が迷子になってはリーゼさんが危険なのだから。
「わかった。誰を訪ねればいい?」
「家にいる者なら誰でも構わない。リーゼさんを見せれば、適任な人が出てくるだろう。日長の一族なら何かしら打てる手があるはずだ」
父に頷く。
薬に長けた日長の一族ならきっとリーゼさんを治す方法を知っているはずだ。
そんな期待を持って立ち上がり、出発の準備を整えた。
「ユーリス。終わったらちゃんと家に寄りなさい。お前も積もる話があるだろう。たまにはお前もゆっくりすれば良い」
背負子にリーゼさんを乗せ、村を出ようとしたところで父がそう声をかけた。
その顔は二人で戻ってくることを確信しているものだ。
それが今の俺にどれほど心強いことか。
「ああ、必ず!」
手を振り見送る家族に手を振りかえして、俺は北へと向かった。




