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053 逃げ帰る

 何が起こったのか、目を開ければ目の前で赤い髪が舞っていた。

 それはゆっくりと下に落ちた。


 ぼうっとした頭のまま、ぼんやりとその先を見れば、すぐとなりでリーゼが倒れていた。

 腹からは夥しい血が流れている。

 その状況に一気に頭から血が引く。


「おい! リーゼ! 返事をしろ!」


 起き上がって肩を揺するが反応はない。

 出血は多そうだがかろうじて息はあることに安堵した。

 腹の怪我が致命傷となっているのは間違いないが、一体なぜこんな事になっているんだ。

 確か、リーゼが叫んだ直後に大きな岩が降ってきて——


「——っ! ファイドロ! エステラ!」


 唯一下りの階段になっている方に向かって叫んだが反応はない。

 それに落ちてきたはずの岩も無くなっている。

 気を失っている間に何があったんだ。

 それを確かめるためにも南の階段に走った。


 体の至る所が痛むが、幸い耐えられないほどではない。

 服が血まみれだが、どこかを怪我した感じはしない。

 もしかしたらリーゼのものかもしれない。


「……くそっ——!」


 そこにあったのは無惨な姿に変わり果てた二人だった。

 階段という不安定な場所にいるのが不憫だったので、一人ずつ中央に運び出す。

 華奢なエステラはともかく、俺よりも大きなファイドロを運ぶのには苦労した。


「……二人ともごめん。後で絶対迎えに来るから……!」


 床に並ぶ二人に向かって誓って、走る。

 今はとにかくリーゼだ。

 ファイドロたちと違ってリーゼにはまだ体温があった。

 急げば間に合うかもしれない。


 駆け寄った時点でリーゼの出血はかなり減っていた。

 いや正確には俺の見間違いで、既にある程度止血していたのかもしれない。

 彼女から伸びている赤い筋に勘違いしたのだろう。


 赤い筋は階段を上った先に続いている。

 この先に止血するためのものがあったのだろうか。

 状況を良くできるものがあるかもしれないと俺も階段を上った。


 階段の先の部屋に並べられた薬瓶はどれも古そうだった。

 どれもきれいに並べられてはいるが、すべて埃をしっかりと被っていた。

 しかし何もしないよりはマシかもしれない。回復薬を持てるだけ持ってリーゼの元へ戻る。


 一度階段下に動かしたリーゼに回復薬をかける。

 じわじわと傷口が小さくなっているように見えるが、おそらく先程の部屋にあった薬瓶をすべて使っても完全には塞がらないだろう。

 急いで神殿に連れていく必要がありそうだ。


 とにかく遺跡から連れ出すためにリーゼを背負い、目印のスコップがある階段を上る。

 ずれ落ちそうになるリーゼを何度も背負い直しながら遺跡を出て、採掘場を抜ける。

 横穴を出た時にはちょうど朝日が昇るところだった。

 かなり頑張らなければならないが、日が沈むまでには馬車までたどり着けるかもしれない。


 そこからは一心不乱に山道を駆け下りた。

 魔物が出なかったのが救いだったが、何度か滑り落ちそうになったり転びそうになりながらも、とにかく走った。

 途中の岩場が視界に入ったとき、ここで休憩したときのことが思い起こされたが、もう二度と訪れない光景に視界が滲んだ。




 そしてようやく馬車までたどり着いた時には日が完全に沈んでいた。

 暗がりの中、休憩していた御者を急かして、荷台に飛び乗る。


「急いで近くの集落に向かってくれ! 急いで!」

「し、しかし他の方はよろしいので……?」

「緊急なんだ! とにかく出してくれ!」


 俺の剣幕に狼狽えながら、御者は休ませていた馬に鞭を打ち動かし始めた。

 動き出した馬車は俺の要望通り、今までとは比べ物にならない速さで進む。

 暗がりを走っているのもあって車体が何度も跳ねる。

 今の俺にできるのは、その揺れでリーゼが振り落とされないように押さえておくことだけだった。


 真夜中にルッツの集落にたどり着いた俺は、なりふり構わずにルッツの家の戸を叩いた。

 寝ていたに違いないルッツが恐る恐るといった様子で戸を開け、俺の様子に酷く驚いた。


「一体何があったんだ⁉」

「——頼む、傷薬でもなんでも良い。リーゼを助けてくれ!」


 自身でランタンで照らし出したリーゼの姿に息を呑んだルッツは、慌てて俺たちを家に入れてくれた。

 そして真っ暗になっていた家の中に明かりを灯して、使えそうなものを一通り出してくれた。


「とりあえず、うちにあるのはこれが全部だ。役に立たなくてすまない……」

「いや、助かったよ。裂き布があるだけでもぜんぜん違う」


 布ものなど、このあたりでは貴重なものだろう。

 それを両手で抱えるほど渡してくれたルッツには頭が上がらない。

 貰ったそれをリーゼの傷口を塞ぐようにあてて縛る。

 傷口を晒し続けるよりは良いはずだ。


「……しかし一体何があった。いくら危険だとはいえこんな怪我をするなんて……」

「————わからない。俺も気づいたらこんな事になっていたんだ」

「……じゃあ残りの二人も……?」


 言いづらそうに訊ねたルッツに俺は首を振った。

 それだけで伝わったらしく彼はそっと目を伏せた。


「済まないが、二人を迎えに行ってやってくれないか? リーゼをできるだけ早く神殿に連れていきたい。明日の朝からでも構わないから……」

「…………わかった。場所を詳しく教えてくれ」


 ルッツに道順や場所を教えた俺はすぐにリーゼを背負って馬車に戻った。

 ファイドロとエステラには申し訳ないが、俺が往復するよりもルッツに任せたほうが良い。

 遺跡の中に置き去りにしているこの状況のほうが俺は耐え難いのだから。


 そして御者に無茶を言って休むことなく馬車を走らせて王都に戻ったのだった。









5章完結です。

多くの犠牲を払い、かろうじて南部地域を脱出したアルシウスとリーゼ。

ボロボロになった妻を前に、ユーリスはこの事態をどう受け止めるのか──。


次回、第6章。愛する者を救うために立ち上がるユーリスの勇姿を、ぜひ見届けてください。

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