039 体調不良
翌朝、義父と義兄に見送られながら私たちは村を発った。
「次に来る時は二人で来なさい。結婚式に呼ばなかったことについてゆっくり話そうと伝えてくれ」
最後の挨拶のときに、あまりにも真剣な表情で義父が言ったので思わず笑みをこぼした。
一体どんな話をするのだろう。
ちょっと興味がある。
「はい。必ず」
私の返事に義父が満足そうに頷いた。
この仕事が終わったらちゃんとまたここに来よう。次はユーリスと一緒に。
その後はまっすぐ山を降りる。
帰り道も結局魔物退治をしながらだったが、目的が一つ達成できたことで心に余裕ができたのか苦戦することなく麓までたどり着けた。
「素敵なところでしたね」
馬車に乗り込んでエステラが言った。
彼女は夜の騒ぎの間ずっと子どもたちの相手をしていた。
どうやら子どもたちに相当気に入られたらしく、解散となった頃には家に帰りたくないと子どもたちに泣きつかれていた。
彼女が家庭を持てばきっとあんな感じになるのだろう。
「そうだねえ。ユーリスはなにもないところだって言ってたけど、良いところじゃないか」
思い出すのは王都の外れにある小高い丘での話。
あの時見た夜景は未だにしっかりと思い出せる。
「意外とあっさり手に入ったから驚いたけどな」
そう言うアルシウスの手には〝大地の聖草〟がある。
上手に加工されているのだろう。受け取ってから一晩経っているのにきれいな色合いはそのままだ。
彼はそれを大切に荷物の中にしまった。
「次は北東部の辺境伯領だったか?」
「ああ。あそこも調べられていないからな」
現状、知人を頼って調べているのはセレディアを中心とした南西部地域とエステラの故郷がある東部地域だけだ。
二度手間となってしまうが、ロヒカルメ村がある北西部地域は義父たちからの返事を待ってからにして、その他の地域を回ることになっている。
まずは一番近い北東部地域だ。
「あー、行きたくねえ……。あの辺境伯に会うわけじゃないにしても、やつが管理している地域に行くだけで嫌だ」
うなだれるようにアルシウスが言った。
一度行っただけなのに相当嫌な思いをしたようだ。
「我慢しろ。それに目的は探しものだ。情報収集の面でも地元民との関係は大事だぞ」
思えば〝大地の聖草〟が簡単に手に入ったのは、ユーリスが間を取り持ってくれたからだ。
他の地域ではそれができないので、ファイドロの言い分は正論だ。
「——あれ……」
突然せり上がってくるような吐き気を覚えた。
馬車を停めてもらって、慌てて近くの茂みに駆け込んだ。
おかしなものを食べた覚えはなく、酒も飲んでいない。馬車に酔ってしまったのだろうか。
「大丈夫ですか……?」
付き添ってくれたエステラがいつかと同じ様に背をさすってくれる。
しかし不快感は収まらない。
心配そうな表情にいたたまれず、不快感を押し殺して平気だと答えていた。
行程を遅らせてしまったことを謝りながら馬車に乗り込み、移動を再開した。
しかし、この吐き気はこの一回だけではすまなかった。
事あるごとに吐き気に襲われ馬車を停めることになってしまった。
それが数日続き——
「——一度神殿に行こう。このままじゃ進めない」
ついにアルシウスがそう決断した。
すでに予定から大幅に遅れている。
その判断も当然だ。
「ごめん……」
「このあたりからだと一番近いのは王都か……。ついでに手紙の返事が来ていないか確認するのもいいだろう」
数日前から謝り続ける私を見ることなく、ファイドロたちは言った。
■■■
予定を変更して王都に戻ってきた私たちは、真っ直ぐ神殿に向かった。
小部屋で待たされることしばらく、ようやくやってきた神官が至って健康そうに見える私を訝しむように見た。
「……数日前から吐き気、ですか……。なにか悪い物を食べたのでは? 遠出されていたのなら、その地域の食材が合わなかったのかもしれませんよ」
多忙だからなのか、神官は目に見えて状態が悪くないとこうやって遠回しに帰れと言う。
右腕の治療の時もそうだった。
結局見てもらったら治療に一週間もかかる大怪我だったわけだが。
「それなら何日も続かないだろ?」
「……分かりました。付き添いの方はご退室を」
アルシウスに睨まれた神官はため息混じりに言った。
食あたり如き治療するのは嫌だということなのだろうか。
いくら否定しようとも、見た目で判断できない以上信じてもらえなさそうだ。
神官は私の背に手を当て魔力を流し込む。
触れられた箇所から感じる違和感は何度経験しても慣れることはなさそうだ。
「……………………」
神官は手を離して押し黙った。
余程状況が悪いのだろうか。
右腕の時もこんな感じだった気がする。
「先ほどの付き添いの方はご家族ですか?」
「いや……」
私が口を開いたと同時に小部屋の扉が派手な音をたてて開かれた。
扉を開けたのはエステラで、走ってきたのか肩で息をしている。
「リーゼさん! ユーリスさんを呼んできましたよ!」
「神殿内ではお静かに」
興奮気味に話したエステラに神官はすかさず注意した。
神聖な場所であると同時に、さまざまな症状を抱えた患者がいるので当然だ。
エステラは注意を受けて神官に謝りつつ、扉から少し離れた。
代わりにそこにユーリスの姿が現れ、彼は私に駆け寄った。
そのまま私の手を取って少し潤んだ目で私を覗き込んだ。
「ご家族の方ですか?」
「──はい」
神官に訊ねられ、ユーリスは神官に向かって頷いた。
すると神官は恭しく頭を下げた。
先ほどまでの嫌そうな態度はどこへ行ってしまったのだろうか。
「おめでとうございます。ご懐妊です」
言われた瞬間、言葉が理解できず呆然とした。
え? と訊ねることすら思いつかないほど、頭の中は真っ白だ。
それはユーリスや【アストラ】のメンバーも同じようで、立って神官を見たまま固まっている。
「……懐、妊?」
そんな呟きと共に私はユーリスに抱きしめられた。
泣き出しそうな吐息を漏らして、震えていた。
「──よかった! エステラさんに話を聞いた時は、何か悪い病気に罹ってしまったんじゃないかって不安で……」
エステラよ、ユーリスになんて伝えたんだ……。
そんな感想を抱きながらも、神官の言葉を噛み締める。
私の中に新しい命が……。
そう思えば途端に愛おしくなって、普段と変わらない腹を撫でた。
小部屋の外ではアルシウスたちが力無く床に座り込んでいた。
余程気を使わせていたのだろう。申し訳ない限りだ。
「しばらくは安静にされたほうが良いでしょう。馬車での遠出もしばらくお控えください」
神官はそう言って小部屋から出ていった。
代わりに外に出されていたアルシウスたちが中に入ってきた。
「馬車での遠出が駄目となると、アルシウス、どうする?」
「しばらくって話だろ? ならその間は俺たちだけで進めるしかない。幸い辺境伯領は危険な場所もないし大丈夫だろ」
ファイドロの問いにアルシウスは肩を竦める。
そしてエステラも力強く頷く。
普段なら私がいないことに反対するのに珍しいことだ。
「みんな、悪いね……」
「気にすんな。俺たちが辺境伯領に行っている間、王都で情報を集めてくれないか? できるだけ訪問先を減らしたい」
「わかったよ。手紙の件も私の方で確認しておく」
アルシウスは一つ頷いて神殿から出ていった。
ファイドロとエステラもそれに続く。
「──えっ⁉︎」
全員が出ていくのを見計らっていたかのように、ユーリスが私を抱き上げた。
突然の浮遊感に思わず声を上げてしまった。
「ユーリス、歩けるから降ろしてくれないかい」
「ダメです。こういう時ぐらい甘えてくださいよ」
軽々と私を持ち上げる逞しさに驚きつつ、そんな事実に恥ずかしくなって抗議したが聞いてはもらえなかった。
結局、久しぶりの自宅に着くまで抱き上げられたままだった。
自宅まで運ばれてようやく下されたのは居間の椅子だった。
いつも使っていた物だが、久しぶりに座ったせいかなんとも居心地が悪い。
「ユーリス、仕事はいいのかい?」
エステラに呼ばれたからとはいえ、仕事中のはずだ。
戻らなくていいのだろうか。
「心配だったので休みにしちゃいました」
ユーリスは苦笑いを浮かべて、「食事にしましょう」と席を立った。
準備をしてくれている間に家の中をぐるっと見回す。
王都を出る前と変わらず綺麗に片付けられた室内から、不在の間いかにユーリスが頑張ってくれていたのかがわかる。
騎士としての務めだけでなく、農地や改革で路頭に迷った人たちの対応もあるのだ。
一人で家のことまで手が回らないはずだ。
「……頑張りすぎだよ」
そんな私の呟きなど、キッチンで真剣になっているユーリスには聞こえていないだろう。
席に着いて一息ついたところで、扉がノックされた。
ユーリスに用がある人かもしれない。
仕事を休んだことで何かあったのだろうかと思いながら扉を開けた。
「ご主人、奥さんが大変だって──」
やって来たのは、先日の夫婦だった。
誰が出たのかも確認せず男が口を開いたが、私を認めるなりポカンと口を開けて固まった。
男の後ろでは妻が何かを抱えて控えている。
「──奥さん、無事だったんですか⁉︎」
男はしばらく後そう叫んだ。
一体私のことはどう伝わっているのだろうか。
それに話が広がるのも早すぎだ。
「ご覧の通りね。……それで何の用だい?」
「いやあ、さっき奥さんが大変だって聞いたので何か手伝えないかと思ったんですが……要らなかったようですね……」
「気を使わせて悪かったね。こんなところで立ち話もなんだし、中に入りなよ」
扉を開け放てば、迷いながらも二人は中に入ってくれた。
その時にちらっと見えた妻が抱えているものが赤子だったので無事に産まれたことに安堵した。
今はぐっすり眠っているようだった。
「あの、奥さん、先日はありがとうございました。無事出産できました。神官様からは神殿に来なかったら危なかったと言われまして……。馬車を呼んでくださって本当にありがとうございました」
椅子に座ってもらってすぐに妻はそう言って頭を下げた。
神官にそう言われたということは余程危ない状態だったのだろう。
素人ではわからないことだから、本当に無事で何よりだ。
「無事で何よりだよ。子供の名前は決まったのかい?」
私の問いに二人は顔を見合わせた。
目線で何かを相談しあっているように見える。
「そのことなのですが、──その、奥さんに名付けをお願いしたいなと……。奥さんが動いてくれたからこの子も生まれてこれたんですから、ぜひ」
再び二人は頭を下げた。
しかしそんな大事なことを赤の他人である私に任せてしまっていいのだろうか。
名前となるとその人が一生背負い続けるものだ。
安易に決められることではない。
「私でいいのかい? 碌でもない名前になるかもしれないよ?」
「奥さんならそんな適当なことはしないって知っていますよ。だからお願いしてるんです」
「良いじゃないですか。リーゼさん、決めてあげましょうよ」
迷う私に、キッチンから出て来たユーリスが言った。
話を聞いていたらしい。
「わかったよ……。でも嫌な名前だったら迷わずに自分たちでつけるんだよ。──それで、男の子かい? 女の子かい?」
「女の子です」
女の子の名前──。
きっと二人に似て素朴ながらも優しい子になることだろう。
そんな印象から出て来たのは……。
「……メリア、はどうだろう?」
訊ねれば二人はぱっと顔を輝かせた。
そして揃って腕の中で眠る赤子の顔を覗き込む。
「メリア……! ありがとうございます! とても良い名です。この子も喜んでいますよ」
二人を肯定するように、短く赤子の声が響いた。
それに全員が揃って笑顔になる。
子供はただそこにいる、それだけで偉大だ。
夫婦は私に赤子を少しだけ抱かせた後、満足げな笑顔で帰っていった。
「赤ん坊ってあんなに小さくて壊れそうで、温かいものなんだねえ」
僅かな時間ではあったものの、抱き抱えたときの感覚はまだ腕に残っている。
私もいずれあの妻のようにずっと抱き抱える日が来るのだろう。
そんな日が待ち遠しい。
「俺もこの前初めて抱かせてもらったのですが、同じ様に思いました。だからこそ守っていかなきゃいけないなって、背筋が伸びる思いでしたよ」
「そうだねえ。この子のためにも安心して暮らせる場所を守らないとね」
夫婦を見送っている間に、食卓には簡単な料理が並べられていた。
食べやすいように固形物が少ないものばかりだ。
ちょっとだけ間違っている思いやりに微笑む。
そんなところもユーリスらしい。
「……そうだ、ユーリス。私はあの子に名付けたんだから、この子の名前はユーリスが考えてよ」
「えっ⁉ 俺がですか? ……責任重大ですね……」
そんな調子で二人で笑い合いながら一日を過ごした。




