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035 追い出された時点で気づけって

 ある晴れた日の早朝。

 急かすように荒々しく扉を叩く音に飛び起きて、慌てて扉を開いた。


「朝早くにすいません。家内が……、家内が!」


 やって来たのは支援所を任せている男だ。

 相当慌てているらしく、何を言おうとしているのかわからない。

 彼の妻のことを伝えようとしているようだが、彼女の身に何か起きたのだろうか。


「どうしたんだい? なにか問題でも?」

「家内が、——生まれそうなんです!」


 どうすれば良いのかわからない、といった様子で叫ぶ男の言葉に私は頭の中が真っ白になった。


 彼の妻は腹が出てきてそれなりに経っているので、生まれるのも時間の問題だろうとは思っていた。

 臨月が近づいてきたら仕事のことは気にせず神殿に行くよう伝えていたのだが、行かなかったようだ。

 残念ながら彼らが暮らしている環境は出産に適していない。

 急いで連れて行った方が良い。


「ユーリス! すぐに士爵に馬車を出してもらって! 私は彼の家に行くから!」


 中に向かって叫べば、ユーリスは一つ頷いて走っていった。

 私も間に合わなかったときに備えて持てるものを持って家を飛び出した。


 久しぶりに走ったせいか、息が上がるのが速い。

 呼びに来た男はついて来ているが、もうだいぶ距離が離れてしまっている。

 私にできることなどないに等しいが、わざわざ呼びに来たのだ。

 行くことに意味がある、そう信じて日が昇ったばかりの眩しさの中、男の家へ急ぐ。


「近くにお産を経験した人は⁉」

「あ——えっと、いないです」


 家について無遠慮に中に入り込む。

 すると、かなり苦しそうなうめき声が聞こえてきた。

 声を頼りに進めば、額に脂汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返す男の妻がいた。


「陣痛はいつからだい?」


 妻の手を包み込みながら、男に訊ねた。

 男は視線を彷徨わせながら身振り手振りでなんとか伝えようとするが、やはり伝えたいことがわからない。

 何かしなければと思っていても、何をすれば良いのかわからないのだろう。


「えっと、日の出前……そう、日の出前からです!」


 まだ日の出からそう時間は経っていない。

 何事もなければ、馬車を使えば神殿に間に合うはずだ。


「奥さん……すみません、お忙しいのに——」


 相当辛いはずなのに、彼女は私を見ながら必死に言葉を紡ぐ。

 そんな彼女を安心させたくて、包んでいた手に力を込める。


「気にするんじゃないよ。今馬車を呼んでるから、すぐに神殿に行けるよ」

「ありがとうございます……。でも私たちには神殿に行くだけのお金が——」

「それも気にしなくていいから。今は生まれてくる子のことだけ考えなよ」


 まるで恐ろしいものを見るかのような表情になった彼女を安心させるように微笑む。

 今は本当に未来のことだけを考えて欲しい。神殿に行かなかった理由はこの際些末なことなのだから。


 夫婦を落ち着かせている間に馬車が到着した。

 体に響かないよう慎重に馬車まで連れていき、男も一緒に馬車に乗せた。

 士爵も同行していたので、後のことは任せてしまえば安心だろう。

 このところ頼りっぱなしだ。


 夫婦を乗せた馬車を見送り、馬車に乗ってきたユーリスを見る。

 相当頑張ってくれたのだろう。汗で髪が額に張り付いている。

 そんな髪を払って労った。


「ユーリス、最近このあたりのことでなにか話を聞いたかい?」


 問いに対してユーリスはきょとんと私を見つめるだけだ。何も知らないらしい。

 そうなるとあの夫婦が私たちに気を使って黙っていたのだろうか。

 些細なことでも頼ってもらえないとは私もまだまだということだ。


「——なにか気になることでも?」


 首を傾げながら訊ねるユーリスに私は、あの夫婦が言っていたことと私の考えを伝えた。

 もしかしたらあの夫婦が神殿に行かなかったのは——。


「……本当に行かなくて良いんですか? もし荒事にでもなったら……」

「大丈夫。それぐらいどうにでもできるよ。それよりもユーリスがそんな現場に居合わせたら何もしないわけにもいかなくなるだろう?」


 騎士の務めには人々の喧嘩の仲裁も含まれる。

 喧嘩の原因をどうにかすることまではしないが、その場を収めるのは義務に近い。

 例え非番であっても、その場にいて何もしなかったとなれば彼の立場が危うくなるかもしれない。

 それなら、知らぬ存ぜぬが通用する状態であるべきだ。


「ですが……」

「——ユーリス。今の私たちにとって、ユーリスの収入は命綱だよ。今集まってきている人たち全員を背負っていることを忘れないで」


 こんな言い方ではユーリスのことを金づると思っているみたいだ。

 でもこれぐらい言わないとユーリスは引いてくれない気がする。


「……………………。わかりました……」


 大きく息を吐き出して、眉尻を目に見えるほど下げてユーリスは言った。

 その表情があまりにも痛々しくて、去っていく背に「ごめん」の一言さえかけることができなかった。




 私はそのまま糧食支援を行っている小屋に向かった。

 私の考えが正しければ、きっとそこにいることであの夫婦に何が起こっていたのかわかるはずだ。


 今日も露店の前には人々が集まっている。

 夫婦がいないことで慣れていない人が配っているのだろう。

 少々動きが遅いように感じる。


 そんな露店を傍目に小屋に入れば、そちらは普段通りだった。

 うまく教えられたのだろう。しかし奥で休んでいる人たちが妙に怯えている。

 ここへ来る人たちは全員私が選別しているので、彼らが怯えるような人はいないはずだ。

 これは、私の予想が当たってしまったということなのかもしれない。


 なぜもっと早く気づかなかった、と頭痛を堪えながら外に出れば、先程にも増して騒がしくなっていた。

 なかなか食べ物が貰えなくて苛々しているという感じではない。


「不味い! 一体何度言ったらわかる⁉ この前の女はもっと物分かりが良かったぞ!」


 聞き覚えのある声とともに、べチャリと湿った音と悲鳴が響いた。

 それまで人が集まっていた露店からはさっと人が逃げていく。


「——これは一体どういうことなんだい?」


 声の主と係の人との間に割って入る。

 そして、係の人には小屋の中に入るように伝えた。


 声の主——先日の男爵は、顔を真っ赤にして私に迫る。


「まったく、ここの教育は一体どうなっている⁉ この高貴な私が食べてやっているのに、まともなものも出てこないではないか!」


 男爵の言い分に頭痛が増す。

 ここは美味しいものを食べられる高級店ではないんだが。


「それは悪かったねえ。ここは毎日の食事もできないような貧しい人のためにあるんでね。あんたのような高貴な人のことまでは考えてないんだよ」


 謝る気はまったくないという態度で言えば、男爵は更に顔を赤くして、足元に落とした食事を踏みにじった。

 それがあまりにも不快だったので、眉を吊り上げた。


「はあ……。不味いって食べ物を粗末にするやつはお呼びじゃないんだ。帰ってくれるかい」


 この場には、この男が地面に捨てたものすら食べられず困っている人が大勢いる。

 そんな貴重な一食を無碍に扱うやつがここにいて良いはずがない。


 そう思いながら言えば、男はカウンター越しに私の胸ぐらを掴んだ。

 その気になれば振り払える力だが、先にこちらから手を出してはいけない。

 ここは我慢だ。


「黙って聞いていれば勝手なことを! こんな卑しい者たちに食べさせるぐらいなら、この、高貴な、私のために、至高の逸品を作るのがお前たちの義務というものであろう!」


 男爵の理解不能な言い分にめまいがする。

 私たちはお前の使用人ではない、と言いかけて飲み込んだ。

 この男にそんな言い分は通用しないだろう。


「——至高の逸品がお望みなら、それに見合う対価を支払うんだね。それができないならさっさと帰りな」


 胸ぐらをつかむ手の力が強くなる。

 もう少し煽れば手を出してくれるだろうか。


「ああ、そうだ。そう言えば、実家を追い出された男爵がいるって話があったねえ。無茶な値切りをして商人に笑いものにされて食べ物にでも困ってるのかねえ」


 男の手が拳に変わったのが見えた。

 後もう少しだ。

 この瞬間のために回りくどいことをしてきたのだから。

 もう少し我慢だ。


「そうか、食べるものに困って、こんな場末まで、高貴なお貴族様が粗食を食べに来たってことかい」


 拳が振り上げられた。

 それは私の顔面に向けて突き出された。

 もう良いだろう。


「はいはーい、そこまでね。何があったのかは知らないけれど、女性に暴力はだめでしょ」


 振り上げられた腕をつかもうとしたところで、その動きは止められていた。

 声の主は、制服を着たイーヴォだった。

 非番ではないにしてもなぜこんなところにいるのだろうか。


「離せ! 貴様、私を誰だと思っている!」


 イーヴォはお構いなしに男爵を引きずるように連れて行く。

 そして少し普段よりも低い声で囁く。


「うっせえよ。今のてめえを助けてくれるやつなんかいねえっての。実家から追い出された時点で気づけって」


 そのままイーヴォは騒ぎ続ける男爵をどこかへ連れて行った。

 普段の軽い印象とは異なるそれに、意外と恐ろしい性格をしていると感じた。


 地面に落とされたものを片付ける。

 本当に食べるものに困っているなら、どうしてこんな事ができるのだろうか。

 思い起こされるのは子供の頃に見たあの夏の光景。

 彼らが汗水流しながら育て、収穫したそれをこんな乱雑に扱って良いはずがない。

 生活のためとはいえ、彼らの苦労を思えば胸が苦しくなる。


「…………。終わったことを引きずっても仕方ないか……」


 そう。あの男爵の一件は終わったのだ。

 イーヴォが連れて行ったのだから、それなりの対応をしてくれるだろう。

 私も先を見るべきか。


 片付けを終え、小屋に向かわせた人たちに声をかける。

 これで元通りのはずだ。


 普段通りの光景に戻ったことを確認して、私は帰路についた。









ようやく、しつこかったあの男爵も年貢の納め時となりました。

リーゼの知略とイーヴォの鉄拳で、少しでも

「男爵、ざまぁみろ!」

「イーヴォのトドメの一言が最高だった!」

と思ってくださった方は、ぜひ画面下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると、外伝を更新していく最大の励みになります……!

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