027 海上での魔物討伐
「——だめ、気持ち悪い……」
セレディア港沖、大型船に揺られること小一時間。
私は甲板でそんなことを呟いた。
強烈な頭痛に吐き気。見事な飲み過ぎだ。
更には船の揺れで吐き気は最高潮だ。
そんな私などお構いなしに船乗りたちはせっせと船を動かしている。
昨日、あれだけ飲んで騒いで酔い潰れていたというのに信じられない。
「やっぱり中で休んでいたほうが……」
「中はもっと無理。景色が見えてる外のほうが、マシ……うっぷ……」
手すりに掴まってうずくまる私の背を擦るエステラ。
その優しさが逆につらい。
昨日の飲み比べで勝利した私たちは、一夜明けて約束通り船を出してもらった。
適当に声をかけたのだが、昨日の男はこの町でも一、二を争う船乗りだったらしく、乗せてもらった船も港で目を引くほど大きかった。
「おいおい姐ちゃん、あれだけ酒に強いのに船には弱えのか?」
そんな軽口を叩く男をきっと睨むが、吐き気で青ざめている顔で睨まれたところで怖くもなんともないだろう。
「ははは! 姐ちゃんは船に乗れてねえんだよ。まだ乗せてもらってるうちはだめだな」
男はそう言って船内に消えていった。
どういう意味なんだろうか。
「船の確認してきたぞ、ってまだやってるのか?」
魔物と戦うための確認に出ていたアルシウスたちが戻ってきた。
出かける前と同じ様にうずくまって震えている私。それを見下ろしている彼らが呆れたような顔をしているのは見るまでもない。
「仕方ないじゃないかっ。昨日あれだけ飲んだんだ!」
叫んで、何かが込み上げてくる。
それに慌てて口を押さえた。
「それだけ喋れれば良いよな。とりあえず共有。戦うなら多分船尾の方が良い。あっちのほうが船首より広いから動きやすそうだ」
「確か船尾って梯子とかがありましたよね? 広くても梯子の移動があると不便なのでは?」
「登るのは手間だけど、視界は広くなるし、いざとなれば退避にも使える。狭い船上では一番まともだと思う」
「──わかりました」
話がまとまりかけたところで、私はエステラの服を引っ張った。
それに気づいたエステラがしゃがんでくれたので、ぼそぼそと用件を伝えた。
「……えっと、帆柱から張られている帆綱が邪魔にならないか、だそうです」
この船は帆船であるため、至る所に帆綱がある。
いくら広いと言っても、障害物が多ければ戦いにくいのではないか、ということで代わりに訊いてもらった。
普段通りに話すとそのまま出てしまいそうだ。
「ああ、船尾は大丈夫だ。障害物はほぼない」
「…………、ファイドロさんの立ち回りは一度確認した方がいいだろう、とリーゼさんが……」
いくら障害物が少ないとはいえ、今までになく足場が少ない環境だ。
動き回る量が多いファイドロがうまく回るかは確認しておきたかった。
「それはもう試した」
「……わかった、だそうです」
「……なんか、リーゼの方が大変そうだな……」
代わりに訊いてもらったせいか、憐れみの視線が向けられた。
確かにこのままでは戦うどころではない。早いところ船酔いだけでも克服したい。
「……善処する、だそうです」
「ああ、そう……」
呆れたような視線を送って三人は去っていった。
滅多に乗ることはないので船の中も見学させてもらうそうだ。
私も行きたいところだが、この場から離れられそうもない。
「おいおい、まだそんなところいんのか。ったく──」
再びやって来た男が私を見下ろしてそう言うと、近くにしゃがみ込んで紙を広げた。
どうやら地図のようだ。
「これでも覚えて気ぃ紛らわせておけ」
短い呪文を唱えた男は地図に手を添える。その手から魔力の流れを感じる。
すると、ただの地図に矢印が現れた。
「方位の魔法だ。本来は船員になったやつに教えるんだが、昨日の勝利報酬と酒の礼で特別に教えてやる」
「なんだい、この魔法。見たこともないけど」
「そりゃそうだろうよ。俺たち船乗りのためのようなもんだからな」
ただ地図に今いる位置と向きを示すだけの簡単なものだが、その珍しさにいつに間にかあれだけ酷かった酔いなど忘れ去っていた。
男の説明で方位の魔法を理解したところで船が音を立てて揺れた。
幸い手すりにしがみついたままだったので大事はなかったが、手を離していれば海に真っ逆さまだったかもしれない。
それぐらい激しい揺れだった。
「船長! すんません! やつ、潜ってたみたいで──」
見張り台にいる船員が叫んだ。
「バカやろう! そんな言い訳言う前に警鐘鳴らせ!」
男の怒号に慌てて船員が手元の鐘を強く打ち鳴らす。
すると船首の方からも鐘の音が聞こえてきた。
おそらく船内に伝えるためのものだろう。
「姐ちゃん、船は止めた方がいいか? なんなら碇を降ろしてもいい」
「いや、私たちの手に負えない場合もあり得る。すぐに逃げられるようにした方がいい」
「わかった。やつに船尾を向けてやる。頼んだぞ」
男に深く頷く。
さっさと片付けて、彼らの日常を取り戻してやろう。
船内から慌てて出てきたアルシウスたちと合流して船尾に行けば、ウツボのような頭の巨大な海蛇がこちらを睨んでいた。
なかなかに凶暴そうな見た目だ。
大きさはざっと五メートルはあるだろう。
船に巻き付くまでの大きさはないだろうが、頭とは違うところからも攻撃される可能性がある。
魔物の動きには常に注意が必要だ。
「エステラ、魔法でやつの頭を船に近づけてくれ!」
「わかりました!」
アルシウスの指示にエステラが掲げた杖は、ようやく使えるようになった新しいもの。
詠唱を終えてそれを振れば、魔物の頭上に大きな火の玉が現れた。
火の玉の直撃を受けた魔物の頭が船にのしかかった。
その衝撃に船が激しく揺れる。
それに再び吐き気が蘇るが今はそれどころではない。
手すりが壊れてしまったが、船そのものには大きな損壊は出ていないことに安堵する。
アルシウスが魔物の頭に向かって斬りかかる。
弾力があるのか、剣をいなすように変形したそれはやがてその威力に耐えきれずに傷ついた。
その傷口を広げるようにアルシウスは何度も斬りつける。
そしてついに傷口からはドロリとした不吉な色の液体が溢れ出た。
液体が触れた箇所から煙が立つ。
嫌な予感がして私は叫んだ。
「エステラ! あの液体を急いで流し落とすんだ!」
「え⁉︎」
エステラの返事を待つことなく、私は触媒に魔力流し込んで水魔法放つ。
しかし私程度の魔法ではあの液体はびくともしない。
ファイドロも何かに気づいたらしく、魔物の頭に向かって盾を構えたまま突進した。
その衝撃で頭はずるりと船から落ち、海の中に消えた。
「エステラ、急いで!」
「は、はい!」
エステラも水魔法で今なお煙が立つ液体を海へと押し流した。
残されたのは黒く変色した床だ。
すこし窪みができている。
「これは厄介だな」
「そうだねえ……」
おそらく魔物の体液が腐食性の毒なのだろう。
そうなると私とアルシウスの攻撃は、こちらが不利になるだけだ。
風魔法も同じ結果になりかねない。
ここで取れる手段は殴打か他属性の魔法ということになるが……。
「アル、どうする?」
未だ魔物が消えた海を睨んだままのアルシウスに訊ねたが、こちらを見ようともしない。
「みんな、あれをどう見る?」
手招きされ、海を見る。
魔物が沈んでいったであろう場所には、体液が不気味な色のまま漂っているだけで、魔物の姿は見当たらない。
「どう、とは?」
意味がわからないという様子でファイドロが訊ねた。
私もアルシウスが何を訊ねたいのかわからない。
「あれ、水に溶けてないよな?」
言われてみれば、魔物の体液は海面に浮いているだけで広がっていく様子も沈んでいく様子もない。
だが、アルシウスが言いたいことが未だにわからない。
「だから、何が言いたい」
ファイドロが珍しく苛立たしげに口を開いた。
そんな雰囲気さえ気に留めていないかのようにアルシウスは口を開いた。
「多分、倒せる」
アルシウスの作戦はこうだ。
まずは魔物を水の中に閉じ込める。
海の中でもいいが、できれば私たちの手が届く範囲が望ましい。
そして閉じ込めている状態で斬るなり突くなりして攻撃する。
それだけだ。
問題となる体液は閉じ込めている水の中に留まるはずなので、私たちにかかることもないはず、ということらしい。
仮に届かない場所で捕らえていたとしても、その場合は魔法を使えばいい。
「理屈はわかったが、どうやって捕える? 今の居場所すらわからんのだぞ」
「居場所は私がなんとかできるかもしれない」
脳裏に浮かぶのは直前に教えてもらった方位の魔法。
地図の範囲内なら魔物を目的地とすれば場所がわかるはずだ。
「エステラの魔法で拘束できそうか?」
「あの大きさでしたらなんとか」
「決まりだな。まずはエステラ、魔力を回復。その間にリーゼは魔物の位置を確認、エステラにも共有してくれ」
アルシウスの指示に位置に着く。
エステラには魔物の位置を伝えた。
動き予測して最も都合の良い場所に来た時に──捕える。
「捕まえました! 動かせそうなので近くまで運びます!」
彼女にとっても結構な大仕事なのだろう。脂汗を浮かべながら杖を動かしている。
そしてザバッと重たい音と共に水球とその中に囚われた海蛇の姿が現れる。
水球に向かってアルシウスが風刃を放つ。
それは魔物の表皮を切り裂き消えた。
代わりに飛び出した毒液は水球の中に留まっている。
アルシウスの読み通りだ。
そこからは一方的な蹂躙だ。
エステラの魔力に気を使いつつも、スキルや魔法を駆使して攻撃し続ける。
水球の中は毒液一色になり、やがて底に沈澱するように魔物の姿が現れる。
動く気配はない。
──討伐完了だ。
「船の修理がちっとばかし痛いが、酒場でずっと飲んだくれてるよりはマシだな」
港まで戻ってきた私たちは船乗りの男たちに挨拶した。
彼らは口々に感謝を言ったが、船長である男だけは、そんなことを言った。
その顔は、初めて会った時の険しいものではなく、明るい未来が開けたような朗らかなものだった。
「船の修理代でしたらこちらからも出しますよ?」
船が破損したのは私たちの至らなさだ。
だから、とエステラが申し出た。
「いらねえよ。生きて帰って来れた。それに厄介な魔物まで倒してくれた。それだけで十分だ」
船長はニカッと笑って言った。
「じゃあ俺たちはこの辺りで。ギルドに報告しに行かないと」
「おう。また来ることがあったら声かけな。今度はもっと遠くまで乗せてやる」
その言葉に帰りの揺れを思い出す。
途端に胃がひっくり返ったような不快感に口を押さえた。
ようやく陸に上がって落ち着いてきたのに……。
「──遠慮しておくよ」
「ははは! 姐ちゃんは結局最後まで乗せられたままだったな!」
笑顔で見送る彼らを背に私たちは馬車に飛び乗った。
今からなら王都のギルドまで間に合うだろう。
その方があの高慢ギルマスに文句を言わせる隙が少ないはずだ。




