025 キーメル士爵
約束通り迎えに来たユーリスと共に士爵邸にやってきた私たちは、その威容を見上げた。
屋敷というには小さくまとまった建物には装飾はなく、ご婦人方が好みそうな花壇もない。
ただ無骨な建物に、境界を示すための柵があるのみだ。
およそ貴族が住んでいるとは思えない建物に唖然としている私の手を取ってユーリスは導く。
その動作でかつて教わった貴族としての礼儀作法が蘇る。
両開きの扉を開いた先は吹き抜けのホールになっていた。
両脇にある階段で二階に上がれるらしく、真正面には二階の手すりが見えるのみだ。
中も外観と同じく飾り気がない。
「ユーリス、用とはなんだ?」
二階から声がかけられた。
焦げ茶色の髪の男性のものだ。
「急に申し訳ございません。士爵に急ぎお知らせしたいことが──」
「隣の女性のことか?」
「──はい」
無駄な時間は取らない。
そんな前のめりな話し方をする男性は鋭い眼光を私に向けた。
まるで値踏みするような見方だ。
隠すべきものは全て服で隠したはずなので、見つかるはずはないのだがどうにも見透かされそうで居心地が悪い。
隣に立つユーリスからは緊張のようなものが感じられる。
後見人とはいえ、そこまで親しい間柄ではないのかもしれない。
「……お初にお目にかかります、士爵。リーゼリア・レイノールと申します」
意を決し、声が震えそうになるのを堪えながら、優雅に膝を折って名乗った。
子供の頃の教育がこんなところで役に立つとは思いもしなかった。
「一応は最低限の礼儀はできるか。──しかしよりにもよってレイノール……」
「士爵、俺は彼女と結婚したいんです。どうか許しをいただけないでしょうか」
何か考える素振りを見せた士爵は、ユーリスを睨むように見た。
その鋭さはまるで歴戦の戦士のようだ。
「お前も辺境伯のことは知っているだろう」
「……はい。ですが、彼女は辺境伯とは全く違います」
「……まあ良い。続きは奥の部屋で聞こう」
呆れたように肩をすくめた士爵は階段を下り、一階の扉を開いて一室へ案内した。
通された部屋は低い卓に椅子が四脚置かれているだけで、やはり他には何もない。
調度品もない飾り気のない部屋だ。
「それでユーリス、お前は貴族に婿入りしたいというのか?」
「そんなわけないじゃないですか」
そんなやり取りを聞いている間にメイドが静かにカップを置いていった。
澄んだ綺麗な赤茶色の液体が入っている。
「お前の意思はわかった。まずは茶でも飲んで落ち着きなさい」
わざと煽ってそう言った士爵は優雅にカップに口をつけた。
しかしその動作をしていてもこちらに意識が向いているのは間違いない。
士爵になるだけのことはある武人のようだ。
「いただきます」
カップを手に取り持ち上げる。しかし感じるはずの温かさがない。
出されてすぐなら熱くてもおかしくないはずなのに。
「飲まないのかね?」
試されている。そう直感した。
通常、貴族は客人に冷めた飲み物を出さない。
出すとしたら暑い日に外で出す場合や、冷たいものを頼まれた時ぐらいだ。
客人がどのような立場であってもそれは変わらない。
しかし、そのような注文をした覚えもなければ、外もだいぶ冷えてくる時期だ。
冷めたものを出す理由がない。
家格を下げるようなことになりかねないことをしてまでやりたいこととは、おそらく私の出方を見るためだろう。
お高く止まった貴族令嬢なら冷めた飲み物を出されれば癇癪を起こすだろう。
そんな人物はユーリスには相応しくない。そんなところだろうか。
そんな思惑にも気づかないふりをしてカップに口をつける。
飲んだことのない爽やかな香りとすっきりとした味が口の中に広がった。
「とても美味しいです。士爵、変わった茶葉のようですが……」
「ほう……。そこらの貴族令嬢ならカップをこちらに投げつけているだろうが、茶葉に興味を持つか」
「士爵!」
「ユーリス、良いから……」
あからさまな挑発にユーリスが声を荒げたが、士爵の様子からしてそこまで織り込み済みなのだろう。
ユーリスを宥めたのち、士爵に向き直った。
「士爵、これでお気に召しましたか?」
「ふっ、ふふふ、あははははは!」
突然大声で笑い始めた士爵に二人揃って呆然とした。
まさか笑われるとは。
「すまん。そこらの貴族令嬢のような高慢さはなく、冒険者らしいがさつさもない。私が試しているのも気づいていただろう?」
「──はい」
どうやらユーリスは気づいていなかったらしい。
一人だけ首を傾げている。
「いやはや、あの高慢ちきな辺境伯に見せてやりたいよ。お前の娘は真っ当だぞとな」
「調べていたのですか」
「お前が随分と熱を入れ込んでいたのでな。勝手に調べさせてもらった」
「私のことは父には──」
「伝えていない。第一あの男に教えてやる義理がない」
まだ笑い足りないとばかりに士爵は笑みをこぼす。
そしてすっと表情を引き締めユーリスを見た。
「ユーリス、結婚は認めよう。──ただし、何事にも順序というものがある。昨夜のような軽率なことはするな」
そこまで知っているのか、と肝が冷えると同時に恥ずかしさが込み上げる。
顔が火照るのを隠そうとカップに口をつけた。
「……はい」
「リーゼリアさん──いやこれからはリーゼさんと呼んだほうがいいかな? あなたには悪いがこれを飲んでもらいたい。効果は一時的なものだから案ずるな」
士爵が卓に小瓶を置いた。少し変わった意匠の小瓶だ。
中には茶色の液体が入っている。
きっと士爵の言う順序に関わることだろう。
正式に結婚する前に起こっては都合が悪いことを起こらないように。
士爵なりの守り方なのかもしれない。
苦笑いを浮かべて既に空になったカップを置き、「わかりました」と小瓶の中身を一気に飲み干した。
その時一瞬士爵の表情が申し訳なさそうなものに見えた。
「それでユーリス。式の日取りと新居はどうするつもりだ。まさか何も考えていないわけではあるまい?」
その問いにユーリスだけではなく、私も固まった。
──何も決めていない。
王国での一般的な結婚式は規模に差はあるが、夫婦の家で行うのが通例だ。
自宅に親族や友人たちを招き、新たな門出を祝う。
しかし私たちは今現在別の場所に住んでいる。
さすがに騎士の寄宿舎に居候させてもらうわけにはいかず、パーティの拠点に来てもらうわけにもいかない。
そうなると新居を探すしかないのだが、それもまた時間がかかる話だ。
そもそも王都の空き家、空き部屋は極端に少ない。
パーティの拠点だって、実はエステラが貯蓄しながらずっと探していたらしい。
「その様子だとまだ決めていないのだな」
「「はい……」」
士爵の様子に冷や汗が流れる。
このまま無計画すぎると怒られそうな雰囲気を醸している。
「──わかった。なるべく早めに決めなさい」
そんな念押しをされて私たちは解放された。
小一時間程度のことなのに、どっと疲れが押し寄せる。
おそらく高ランクの魔物と相対した時並みに疲れているのではないだろうか。
ユーリスに送り届けられて、拠点に着いた時にはお互いに苦笑いしかできなかった。




