9.ダグラス②
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ダグラスが帰宅したのは日が傾いてからだった。
外套を脱ぎ、使用人に預けるなり居間のほうから足音が聞こえた。ダグラスが振り向くと、アレシアが居間の戸口に立っている。
「おかえりなさいませ、お父様」
「ただいま。──起きていたのか」
療養中の娘がなぜ起きているのかを訊くのは無粋だ。まあ好奇心が安静に優先するのは若さというものだろう──儂もそうだった。
「ジャハール宰相のお宅はいかがでしたか」
「うむ。まあ、宰相というのは手強いな」
それ以上は言わない。
居間に入ると暖炉に火が入っていた。ダグラスが定位置の椅子に座ると、アレシアは向かい側にではなく隣の椅子に腰を下ろした。近い。何か言いたいことがある時の距離だ。
ふ、とダグラスの表情が緩む。亡き妻に似た癖というか、所作というか。
──さて、どんな事を言ってくるやら
ダグラスが内心待ち構えていると──
「お父様」
「うむ」
「わたくしにも、何か手伝えることはないでしょうか」
「手伝いとは?」
「お父様はわたくしの為に、色々と骨を折ってくださっているのでしょう?」
「そうだな。しかし──」
「わたくしもお手伝いしたいのです」
「まだ否とも是とも言っていない。最後まで聞きなさい」
「──はい」
アレシアは素直に頷いた。頷いたが、目はまだこちらを見ている。引き下がったのではなく、ダグラスが折れるのを待っているのだ。
ダグラスは顎に手を当てた。今朝から何度撫でたか分からないこの顎を、もう一度撫でる。
フェリクスの件と並行して、ダグラスは一つ気になる事がある。それはメイドだ。アレシアの話には何度もメイドが出てくる。それが幽霊だとは信じてはいないが、アレシアを見る限り狂を発したというわけでもない。つまり、メイドに関する何某かの問題があるということだ。
メイドの事ならばメイドに聞くべきだ。だが。
──儂が動けば目立つか
目立てばどうなるか、どんな不利益があるかダグラスにはわからない。しかし、何かを探る時は目立つべからずというのは洋の東西を問わぬ真理である。
ダグラスは色々な名目をつけて城に出向くことはできるが、そこまでだ。メイドに聞いて回れば間違いなく多くの者の知る所となるだろう。しかし王妃教育を受けているアレシアには城の内側に日常的に出入りする理由がある。
「──一つだけ、頼みたいことがある」
アレシアの背がわずかに伸びた。
「城のメイドたちのことだ。王妃教育の合間に──休憩の折にでも話す機会はあるだろう。名指しで訊き回るのは不自然だが、城の運営について関心を持ったという体裁であれば、不自然でもない」
「メイドたちのことを知る、ですか」
「うむ。何が出てくるか分からん。何も出てこないかもしれん。──だが城の中のことは、城の中にいる者にしか分からん」
アレシアが頷いた。
「どのような事を尋ねれば良いのでしょう?」
「そうだな……目的としてはルキウス殿下、フェリクス、クレメント、この三者に関わった事があるメイドについての情報がほしい。しかしそれを直接尋ねて回るような事をしてはならんぞ。分かるな?」
「委細、承知しております。関係のない、雑多な事も尋ねてまわりましょう」
「うむ。ただし──」
ダグラスの声の温度が一段落ちた。
「ルキウス殿下の書斎には近づくな」
アレシアの指がほんの少し動いた。膝の上で組まれた指の、薬指だけが一つ跳ねるように。
「……なぜですか、お父様」
「語るだけの理由を儂は持っていない。ただの勘だな」
「勘、ですか……わかりました」
「随分素直じゃないか」
「お父様の勘ですもの」
「そうか、ふふふ。それともう一つ。王妃教育の際、マルタをお前の傍につけておく」
「マルタを?」
「休養明けだからな、まあ、名目上は。お前もそのほうが心強かろう?」
アレシアは一瞬だけ目を丸くして、それからかすかに笑った。
「はい、ありがとうございます。確か、お父様がまだお若い頃に剣術を指南したのがマルタだと聞いております」
「まだまだ若いとも。だが、そうだな。メリッサに叱られてしまうかもしれないが、まるで蝶の様に舞い、蜂のように危険な剣を振るう女であったわ」
ダグラスは笑った。だが笑いの裏で考えている。マルタは口が堅い。そして目が利く。城の中で何かがあった時──アレシアが見落としたものをマルタが拾うかもしれないし、アレシアが何かに巻き込まれた時に動ける者が傍にいたほうがいい。
ダグラスは無意識のうちにわずかに舌を出し──ちろり、と唇を湿らせた。




