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王宮奇恋怪異譚  作者: 埴輪庭


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10/26

10.ジャニス

 ◆


 アレシアの父、ダグラスは社交が好きではない。


 昨今の貴族らしからぬ心根と言えよう──貴族とはつまるところ、コミュニケーション能力が高くてなんぼという側面がある。


 だのにダグラスという男は基本的に()そのものが苦手だ。人の代わりに、書を好む男である。


 だがそれは──社交が苦手という事を意味しない。


 得意か不得意かで言えば圧倒的に前者なのだ。


 得意でなければ、現国王の亡き兄がとある男爵令嬢と共謀してメリッサを排除しようとした時、そのたくらみを看破した挙句、逆に二人に地獄を見せてなどできてやしない。


 この事件は王太子と男爵令嬢の愚行だけでは済まなかった。


 というより件の男爵令嬢はそもそもこの国の生まれですらなく、事態は国家と国家の陰謀渦巻く暗闘へと進展した。まごう事なき政変である。この政変は少なくない王国貴族、そして隣国の貴族たちを巻き込むものとなり、ダグラスもまたその蛇才を大いに振るう事となった。まあその結果、政敵の、まだ幼い娘を引き取る事まではさしもの毒蛇も予想だにしていなかったが。


 結句、この事件がきっかけでダグラスはメリッサを娶ることとなり、という次第である。もちろん両者の合意はある。ダグラスは母が必要だったし、メリッサはダグラスに惚れていたのだから。


 ともあれこういった経緯から、王国の口さがない貴族たちは畏敬と恐怖を込めてダグラスをこう呼ぶ──毒蛇公(どくだこう)と。


 そして、そんな蛇の子もまた蛇であった。


 ・

 ・

 ・


 一週間ぶりの王城の雰囲気にアレシアはやや眉を顰めた。


 暗いのだ。陰気なのだ。皆が皆、腹に何か一物を抱えている様に見える。


 特に、メイドたちの雰囲気がおかしい。


 すれ違うメイドたちは完璧な微笑みを湛えている──そう、完璧すぎるのだ。歩調は乱れず、礼の角度は寸分違わず、誰もが模範通りの所作を見せている。


 だが、アレシアの目はその奥にあるものを見逃さなかった。


 廊下の角を曲がる時だけわずかに早まる足取り。こちらに声をかけられた瞬間、ほんの一瞬だけ強張る肩。そして何より──互いに目を合わせまいとしている。まるで、目を合わせてしまえば隠しているものが零れ落ちるとでもいうように。


 あれは怯えだ、と毒蛇の娘は看破した。


 何かに──あるいは()かに。


「お嬢様──」


「ええ、マルタ。分かっています」


 そう、アレシアもマルタも分かっている。王城がもはや油断ならぬ場所であることを肌で感じ取っている。ただ、警戒するにせよ何をどう警戒して良いのか分からないというのが実情でもあった。


 とはいえ王妃教育は滞りなく再開された。


 教官を務める老女官は一週間の空白など歯牙にもかけぬ厳格さでアレシアの到らぬ部分を指摘する。しかし、アレシアにはその厳しさがどこか頼もしいものに感じられるのも事実であった。とはいえ──


「アレシア様ッ! 何度言えば分かるのです! 謁見の間における三礼七歩(さんれいしちほ)の作法は、踏み出す足の順序のみならず、視線の落とし所までもが王家への忠誠を示すものです! 五歩目で初めて玉座の(あし)を視界に入れ、七歩目にてようやく陛下の御胸元まで視線を遣るのです! 王を見上げるのではなく、王の威光に自然と目が導かれるのです!」


「も、申し訳ございません……!」


 老女官ジャニスの舌鋒はまこと容赦がない。齢七十を超えてなおこの迫力、王宮という修羅場で半世紀以上を生き延びた女傑の凄みである。アレシアほどの娘でも思わず背筋が縮む。


 だが──と、アレシアは叱責の嵐が一瞬凪いだ隙を見て口を開いた。


「ジャニス様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「……なんです、改まって」


「私はいずれ王太子妃として、そしてゆくゆくは王妃として──この国の(うち)を預かる身となります。この教育がそのためのものであることは重々承知しております」


 ジャニスは無言で先を促した。


「ですが、ここ最近の学びはすべて──陛下や殿下、各国の王族方、あるいは高位貴族に対する儀礼と礼節に終始しているように思えるのです」


 言葉を選びながら、しかし真っ直ぐにアレシアは続ける。


「たとえば、今朝がたすれ違ったメイドたち。彼女たちが日々どのような職務をこなし、どのような仕組みで城の暮らしを支えているのか──私はほとんど何も知りません。(しも)を知らぬまま、それで本当に王妃が務まるものなのでしょうか」


 沈黙が落ちた。


 アレシアは内心で少しだけ身構えた。出過ぎた事を言ったかもしれない──まだ学び始めて日の浅い小娘が、教育の在り方そのものに口を挟んだのだ。叱られて当然である。


 だが。


 ジャニスの双眸がぐわりと見開かれ──嬉しげに相好を崩した。


 ◆


「素晴らしい。実に素晴らしいですよ、アレシア様」


 ジャニスの声は先ほどまでの厳しさが嘘のように柔らかかった。


「王妃教育を受けた者は星の数ほどおります。ですが(しも)の暮らしに自ら目を向けよと──学びの最中にそれを問うた方は、私の長い奉公の中でも片手で数えるほどしかおりません。どうか、その目をお曇らせなきよう」


 深々と、教官としてではなく一人の臣下として頭を下げるジャニス。アレシアが慌てて「お顔を上げてください」と手を振る。


 と、そこでジャニスがふと顔を上げ──アレシアの背後に控えていたマルタへ視線を向けた。


「久しぶりですね、マルタ」


 唐突な声掛けだった。それまで侍女として完璧な沈黙を保っていたマルタが、わずかに目を瞬かせる。


「──お久しぶりです、ジャニス様」


 穏やかな、しかしどこか親しみの滲む声音。アレシアは二人の間に流れる空気を見て取り、小さく首を傾げた。


「お二人、お知り合いだったのですか?」


「ええ、まあ──少々昔の縁がございまして」


 ジャニスはそれ以上は語らず、代わりに「さて」と手を叩いた。


「少し根を詰めすぎました。小休止と致しましょう」


 言うが早いか、ジャニスは自ら茶器を手に取った。侍女を呼ぶでもなく、老いた手で淀みなく茶葉を量り、湯を注ぐ。王妃教育の教官自らが茶を淹れるという光景に、アレシアは目を丸くする。


「ジャニス様、私が──」


「よいのです。たまには老骨も手を動かしませんと」


 三人分の茶が並べられた。マルタの分も当然のように。アレシアとマルタが礼を言い、一口含む。柔らかな花の香りが鼻腔をくすぐった。


 しばし穏やかな沈黙が流れた後──ジャニスが茶杯をことりと卓に置いた。


「アレシア様。先ほどのお話ですが」


「はい」


「メイドたちの職務を知りたいというのが、本題ではございませんね?」


 アレシアの指先が、茶杯の縁でぴたりと止まった。


「率直に仰ってくだされませ。メイドたちについて、()をお知りになりたいのか」


 アレシアは硬直した。ほんの一瞬──だがジャニスの目はそれを見逃さなかった。老女官は苦笑を一つ零す。


毒蛇公(どくだこう)──アレシア様のお父様も、ああいった話法はお得意とされておりました。本題に触れたい時はまず周縁から堀を埋めていく。『知らぬから教えてほしい』という体裁を整えて、相手に気持ちよく喋らせる。実に見事なお手並みでしたよ、あの方は」


 アレシアの頬がわずかに染まる。


「……敵いませんね、ジャニス様には」


「ふふふ。なにせ、お父様のその話術に三度ほど嵌められた前科がございますので」


「お父様ったら……でも、そういう事でしたら、わかりました。率直にお尋ねします。ルキウス殿下、フェリクス様、クレメント様とメイドたちとの関係を知りたいのです」


 今度はジャニスが一瞬硬直する番だった。


 ややあって──ふう、と息をつく。


 その瞬間、アレシアの目にはこの凛とした老女官の姿が年相応のそれに見えた。

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