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王宮奇恋怪異譚  作者: 埴輪庭


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24/26

24.婚約破棄

 ◆


 二週間後──それがダグラスの設定した()である。


 その間、ルキウスからの書状は四通届いた。一通目は「近日中にお伺いしたい」、二通目は「公爵閣下とお話ししたい儀がある」、三通目は「アレシア嬢のご容態を案じている」、四通目は簡潔に「お目にかかりたい」とだけあった。


 ダグラスは四通すべてを丁重に断った。


 一通目には「娘の療養中につき時期を改めたい」、二通目には「公務が立て込んでおり恐縮だが」、三通目には「おかげさまで快方に向かっている、ご安心願いたい」。四通目に対しては返事を一日遅らせてから「近く然るべき場でお目にかかれるものと存じます」と書いた。


 然るべき場──その一語に、ダグラスは意味を込めた。


 ・

 ・

 ・


 冬至が近づいていた。


 この国には古くから冬至の夜に王が臣下を集める慣例がある。太陽が最も短く沈むその日に、王家は大広間に火を焚き、一年の政を振り返り、翌年の方針を告げる。名を冬至大宴という。


 宴だ。宴ではあるのだが、国王、王太子、宰相、軍務卿、典礼官、各家の当主──宮廷の枢要がほぼ全員顔を揃える。酒が入り、談笑があり、年に一度の気楽さもある。だからこそ人の口が軽くなる場でもある。


 ダグラスがこの二週間で仕込んだのは、この場を最大限に活用するための地均しだった。


 軍務卿ガルムを始めとしたお歴々に話を通す。そして()()というその時、アレシア側へ被害者としての風を吹かせてもらう。


 それで十分──これがダグラスの見立てであった。


 ◆


 そして冬至の日。


 朝から雪が降っていた。細かい粉雪が風に巻かれて街路を白く塗り、城下町の屋根に薄い衣を被せていく。


 公爵家の馬車が城門に向かう道すがら、アレシアは窓の外を見ていた。白い街並みが流れていく。普段ならば美しいと思っただろう。だが今日は景色が目に入っていない。


 向かいにはダグラスが座っていた。正装だ。公爵の紋章入りの外套。銀の留め具。今日の正装は先日城を訪れた時よりも格が高い。冬至大宴のための一張羅というやつだ。


 隣にはマルタが控えている。マルタの装いも侍女の正装だが、よく見ると袖口の仕立てがわずかに太い。何かを忍ばせられる仕立てだ──まあ、今日は刃物の出番はないだろうと思いたいが。


 馬車の中は静かだった。


 ダグラスは顎を撫でている。これはもう癖のようなもので、この男は髭がはえてようがなかろうが、こうしてつるりと顎を撫でる。髭自体は朝のうちに念入りに剃ったのだろう、いつものじょりという感触はなさそうだ。


「お父様」


「うむ」


「段取りの確認をさせてください」


「いや、もうよい。何度も確認した。これ以上は緊張を増やすだけだ」


「……はい」


「お前は堂々としておれ。堂々として、言うべき事を言え。後の事は儂がやる」


 アレシアは頷いた。


 その首肯の拍は──合っていた。


 ダグラスはそれを確かめてから、窓の外に目を移した。城門が近づいていた。


 ◆


 大広間は既に熱気を帯びていた。


 石壁に掛けられた王家の紋章旗が暖炉の熱で微かにはためいている。長卓が三列に並び、燭台が壁と卓上に合わせて六十を超えるだろうか、数え切れぬほどの炎が広間を橙色に照らしていた。天井の梁から吊るされた大燭台が七つ、鉄の腕を四方に伸ばして太い蝋燭を掲げ、その光が石壁を濡れたように光らせている。


 正面の高座には国王ヴィルヘルムが座していた。五十を少し過ぎた壮年の男で、痩せ型だが背は高い。王冠は冬至大宴では被らない慣例で、代わりに金糸の刺繍が襟元から肩にかけて精緻に施された礼服を纏っている。顔立ちは穏やかだが、目だけが周囲をよく見ている。


 高座の一段下、右手にルキウスが座した。金の髪が燭台の光を受けて鈍く光っている。


 左手には宰相ジャハールが控えている。


 卓の列に沿って高位貴族が並ぶ。軍務卿ガルムは太い首に金鎖を巻き、唇を引き結んでいる。息子の醜聞が公にされた直後のこの場は、さぞ居心地が悪かろう。その隣にはガルムの長男ワグナーが座っていた。弟の不始末の余波を被った男だが、表情は落ち着いている。


 文官筆頭のギーゼルヴァン卿は中ほどの席にいた。白髪をきちんと撫でつけ、杯に手をつけずに周囲を見回している。


 典礼官ハンスは広間の端に立ち、進行の手順を記した紙を手に控えている。


 そのほかにも、ダグラスが()を回した者らは誰ひとり欠ける事なく揃っていた。


 ダグラスとアレシアは公爵家の席についた。卓の上には葡萄酒と軽い料理が並んでいる。ダグラスは杯を手に取ったが口はつけない。アレシアも同じだった。


 そして──宴が始まった。


 ◆


 国王ヴィルヘルムが一年の政を振り返る言葉を述べ、あとはもう形式的な進行だ。広間の空気は和やかで、貴族たちは杯を傾けながら隣席の者と小声で言葉を交わしている。


 ルキウスは高座の席から一度だけアレシアのほうを見た。視線が合うと、ルキウスが笑みを浮かべた──口元だけの笑みだった。目が笑っていない。あの頃とは違う。初めて会った夜、酸っぱい葡萄酒を飲んで目を細めたあの男は、もうどこにもいなかった。


 アレシアはその視線を受け止めて、静かに目を伏せた。


 やがて報告と儀礼が一通り終わり、ハンスが一歩前に出た。


「各位にお知らせいたします。歓談に移ります前に、グリューネヴァルト公爵家より発言の申し出がございます」


 広間にわずかなざわめきが走った。冬至大宴での個別発言は珍しくはないが、公爵家からの申し出となれば耳を立てざるを得ない。


 ダグラスは立ち上がらず──代わりに、アレシアが席を立った。


 ざわめきが一段大きくなる。


 アレシアは卓を離れ、広間の中央に歩み出た。燭台の光が彼女の金の髪を柔らかく照らしている。


 高座の国王がわずかに身を乗り出した。ルキウスの顔からは笑みが消えている。なにやら自身のあずかり知らぬ不測の事態が進行していると感じているのだろうか。


 広間の全ての目が集まる中、アレシアは非常に堂々とした一礼をみせた。


 ◆ 


「陛下。諸卿の皆さま。──本日はこの場をお借りして、一つ申し上げたき儀がございます」


 声は静かだった。だが広間の隅まで届く。石壁が声を拾い、反響させているのだ。この大広間はそういう造りだ。


「わたくし、グリューネヴァルト公爵家のアレシアは──」


 一拍置いて──


「ルキウス殿下との婚約の解消を、ここに申し出ます」


 ・

 ・

 ・


 息を呑む音が数十もの燭台の炎を揺らし、その揺らぎが壁の影を一斉にうねらせた。まるで広間そのものが身震いをしたかのようだった。


 最初に動いたのは国王だった。身を乗り出していた体を背もたれに戻し、右手の指で肘掛の上を一度だけ叩いた。


「理由を伺おう」


 ヴィルヘルムの声に乱れはない。まあその辺も()()()の結果である。


「は──」


 声を発したのはアレシアではなくルキウスだった。高座の椅子から半ば腰を浮かせている。


「アレシア、何を言って──」


「殿下」


 アレシアの声がルキウスの言葉を遮った。


「陛下がお尋ねです。まずはそれにお答えするのが筋でございましょう」


 ルキウスの口が開いたまま止まった。これまでアレシアがルキウスに対してこの様な態度を取った事はない。しかしいくら目を凝らしても、視線の先にいるのはアレシアだ。声も姿も同じ──ただ一つ、目が違う。


 アレシアからルキウスに向けられる視線は冷たくも、ましてや温かくもなかった。無である。虚無だ。路上の石ころに向ける視線が一番近いだろうか。ルキウスはこれまで、これほどに乾いた視線を向けられた事は一度もない。


 アレシアは国王のほうに向き直った。


「陛下。理由は三つございます」


 ダグラスの目が娘の背中を捉えた。──三つ。段取りでは二つのはずだった。側近の管理不行き届きと、公爵家の令嬢の身の安全が確保できないという二点。三つ目は聞いていない。


「一つ。殿下の側近であるフェリクス殿が病で亡くなり、クレメント殿が狂を発して王城内で人を殺め、最終的にはお亡くなりになりました。殿下の最も近くにあった二人が立て続けに命を落とすという事態は、殿下のお足元が危うい事を示しております」


 卓の間からひそひそと声が漏れた。言われてみれば皆が薄々感じていた事でもある。ギーゼルヴァン卿の顔が微動だにしないのが、逆に雄弁だった。


「二つ。クレメント殿が狂を発した折、わたくしは現場におりました。殿下の側近が殿下の婚約者の目の前で人を殺し、さらにわたくしにまで襲いかかろうとした。わたくしの身は、父と、父の侍女の手によってようやく守られました。──殿下のお手によってではございません。むしろ殿下はクレメント殿の身を案じてお手打ちにしようとはなされませんでした」


 ルキウスが立ち上がった。椅子が引きずられて石の床に甲高い音を立てた。


「アレシア──それは、私は──あの時は状況が」


「殿下」


 アレシアが振り返った。


「三つ目を申し上げます」


 ダグラスの背筋に冷たいものが走った。


 ダグラスの左手が椅子の肘掛を掴んだ。口を開きかけた。今の二点で十分だ。名分は立っている。根回しも済んでいる。三つ目など不要だ。


 だが──口を開く前に。


 壁の燭台の炎が跳ねた。


 一本や二本ではない。広間に据えられた全ての燭台──壁に掛けられたもの、卓上に置かれたもの、天井から吊るされた大燭台に至るまで──何十もの全ての炎が一斉に、倍の高さまで燃え上がった。


 悲鳴が上がる。卓の近くにいた侍従が椅子ごと後ろに倒れ、貴婦人が扇で顔を覆い、衛兵が反射的に剣の柄に手をかけた。国王の傍に控えていた近衛兵が盾を構えてヴィルヘルムの前に立ちはだかる。


 ヴィルヘルムだけが座ったまま動かなかった。燃え盛る炎を見上げ、それから──アレシアを見た。


 アレシアは動いていなかった。


 広間の中央に立ったまま、一歩も退かず、表情すら変えていない。


 ──あれは、人か? 


 ヴィルヘルムの脳裏に一瞬、そんな言葉がよぎる。


 そして五秒、十秒、十五秒。


 炎が収まった。


 元の高さに戻った。ゆらゆらと、何事もなかったかのように。蝋の溜りが卓布に染みを作っている。今の異変が幻ではなかった証であった。


 広間は静まり返っていた。息をする者さえ憚るような静寂だ。


 その静寂の中に、アレシアの声が落ちた。


「三つ目。これが私が殿下との婚約破棄を求める最も大きい理由でございます」


 誰も口を挟めなかった。


 ダグラスは口を開かなかった。開けなかったのではない。開かなかったのだ。娘の声の中に、割り込むべきではないものを聞いたからだ。


「殿下。──エーリカの事を、お話しさせてください」


 ルキウスの顔から色が引いた。蝋のように白くなった頬が、燭台の光の下でひどく不健康に見えた。


「何の、話だ」


「エーリカ。殿下のお召し替えのお傍に上がっていた、若いメイドの娘です」


 広間のあちこちで卓の下の足が動いた。エーリカ──宰相の筋書きでは「クレメントの単独犯」として処理された名だ。


 だが国王は覚えていた。ヴィルヘルムの指が肘掛の上で止まったのを、ダグラスは見た。


「エーリカは殿下に恋慕しておりました。ありふれた話です。若いメイドが主に憧れるなど、城では珍しくもない。ですがエーリカの想いは分を超えた──そう殿下はお感じになった」


 アレシアの声は淡々としていた。事実を一つずつ卓の上に置いていくような語り口だった。


「殿下はエーリカを城から追い出すようお命じになりました。フェリクス殿とクレメント殿に」


 ここまでは筋書きとも符合する。ルキウスは否定しなかった。


「ここまでは良いのです。ですが──」


 アレシアの声が一段下がった。


「殿下がお命じになったのは、追い出す事だけではございませんでした」


 広間の空気が変わった。炎が揺れたわけではない。風が吹いたわけでもない。だが何かが──重力のようなものが増したのだ。


「殿下はフェリクス殿とクレメント殿に命じられました。エーリカを手籠めにせよ、と。犯せ、と。凌辱せよ、と」


 ルキウスの喉から声ともつかぬ音が漏れた。


「傷物にすれば黙る──そうお考えになった。女としての価値を毀損すれば殿下への想慕どころではなくなり、傷物にされた事実が口封じになる。誰にも言えない。言えば自身の恥だから。でもエーリカが何より恐れたのは、殿下にそれを知られる事だったのです」


 この瞬間、アレシアの左の瞼が痙攣した。


 ほんの一瞬。虫が止まったような微かな引き攣れ。他の誰にも気づかぬ程度のものだったろう。だがダグラスは気付いた。なぜなら、知っているからだ。この癖を。何度も何度も見てきたからだ。


 グレミー・マルシェール。


 かつての政敵の姿がアレシアに重なる。


()()|!」


 ルキウスが叫んだ。声が裏返っていた。


「私はそんな命令を出してはいない! 追い出せとは言った。だが手籠めにしろなどとは一言も──」


「殿下」


 ジャハールの声だった。


「アレシア嬢の仰る事は──事実でございます」


 ルキウスが弾かれたようにジャハールを振り返った。


「フェリクスが、そう申しておりました。殿下のご命令により、エーリカを凌辱した、と」


 ルキウスの視線がジャハールとアレシアの間を行き来した。


「嘘だ。ジャハール、なぜ、そんな──」


「本当の事を申し上げております、殿下」


 ジャハールは淡々と答える。


「エーリカは死にました」


 アレシアの声だった。


「自ら命を絶ちました。故郷の納屋で。エーリカは最期まで殿下を慕っていたそうですよ。彼女の家族に直接尋ねた事です。嘘はありません」


 ルキウスがふらふらと立ち上がり、アレシアの元へと向かう。


 一歩、三歩、五歩。


「ク、クレメントが勝手にやったことだ……。 私は何一つ知らなかった! 事実無根だ……」


 弁解しながら、さらに歩を進める。


 ここでダグラスが立ち上がり、同時に衛兵たちが再び醜態を晒すまいと駆け寄ろうとしたその時。


 ルキウスが後ずさった。


 一歩ではない。弾かれるように二歩、三歩。靴底が石の床を擦り、段差に踵が引っかかった。


「来るなッ──!」


 絶叫だった。


「来るな──こっちを見るな!」


 誰に向かって叫んでいるのか広間の誰にも分からなかった。


 全員の目がアレシアに向く。しかし当のアレシアは広間の中央に立っていた。一歩も動いていない。


 何もしていないのだ。


 だがルキウスは高座の段の上で四つん這いになり、壁に向かって這いずっていた。金の髪が石の床に散らばり、正装の襟が千切れかけている。国王の傍の近衛兵が駆け寄ったが、ルキウスの体が跳ねて近衛を突き飛ばした。


「触るな! あ、あれを! あれを早く! 斬れ!! 斬ってくれ!」


 もはや一国の王太子の威厳など微塵もない。クレメントが狂死したあの日と全く同じ、完全に狂を発した獣の姿だった。


 暴れるルキウスを、近衛兵がようやく腕を取り押さえる。


「殿下! お気を確かに──」


「エーリカァァァ!! 貴様!! あれほどにッ……! あれほどに愛してやったというのに! たかが平民風情をッ……それを、それを逆恨みしおって!!」


 広間の誰もが突然狂乱した王太子を前に息を呑み、凍りついている。ダグラスでさえもだ。


 そんなルキウスを悠然と見つめる者がただ一人いた──アレシアである。


 アレシアは笑っていた。小さい笑みだ。唇の左端をほんのわずかに吊り上げるその笑い方は、良く見なければ笑みであると気付かないだろう。


 

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