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王宮奇恋怪異譚  作者: 埴輪庭


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22/26

22.政敵の娘

 ◆


 二週間が過ぎた。


 ダグラスの手元に届いた報告は薄い紙が三枚。信の置ける者を遣わせた結果だ。


 アレシアを呼んだ。報告が届いた旨を告げると、アレシアは黙って頷き、書斎の椅子に腰を下ろした。ダグラスは三枚の紙を卓に広げた。


 一枚目。エーリカの出自。父は地方の自作農。母は存命。兄が一人。村の中では小さくはないが裕福とも言えない家で、エーリカは末の娘。器量が良く、快活で、近隣でも評判の良い娘だったとある。王城への奉公が決まった折には村の者が集まって祝いの席を設けたほどだと。


 二枚目からダグラスは声に出して読んだ。


 突然の帰郷だったそうだ。理由は語らなかった。


 帰ってきたエーリカは、まるで別人だった。快活だった面影がまるでない。食事も取らない。夜も眠らない。家族が何を聞いても口を開かない。父親が「王城で何があったのだ」と問い詰めても──首を振るだけ。


 日に日に痩せていく。頬が削げ、目の下に影が貼りついた。井戸の水を汲みに行く足取りもおぼつかない。兄が付き添わなければ転ぶ始末だと。


 ある日の朝。母親が台所から戻ると、洗い場の水桶の前にエーリカが立っていた。水面を見つめている。水桶に映った自分の顔を──。


 次の瞬間、絶叫が家中に響いた。


 エーリカは水桶の傍にあった裁ち鋏を掴み、自分の目に向けて振り下ろした。兄が飛びかかって腕を押さえなければ間に合わなかった。右目の下に傷が残った。


 取り押さえられてなおエーリカは泣きわめいた。


 こんな顔では。こんな顔では愛してもらえない。あの方に。あの方にもう二度と。


 家族は何の事か分からなかった。エーリカは王城での出来事を一言も話さなかった。何があったか、誰に何をされたか、「あの方」が誰なのか。泣きわめくばかりで──やがて泣く力さえ失った。


 三枚目は短い。


 帰郷から三ヶ月後。夜半。エーリカは納屋の梁に帯を結んだ。


 発見したのは翌朝の父親だった。


 ダグラスは三枚目を卓に置いた。アレシアは報告書を読む間、一度も声を上げなかった。表情も動かなかった──あの凪のまま。


 暖炉の炎が揺れている。長い沈黙が部屋を満たした。


「お父様」


「うむ」


「エーリカは──辛かったのでしょうね」


 その一言だけだった。アレシアの声は平坦なままだ。しかし杯を持つ指先が白くなっていた。


 ダグラスは黙っていた。


 ──こんな顔では愛してもらえない。


 ダグラスの目がその一行に戻った。顎を撫でる指が止まる。


 書簡にはこうあった。クレメントがエーリカに恋慕し、力に及んだ。クレメントの単独犯だと。


 だとすれば──おかしい。


 力を振るったのはクレメントだ。エーリカにとってクレメントは加害者であり、怯えの対象であり、憎しみの対象だ。その男に愛してほしい──理屈に合わない。


 クレメントに()()()()()()()()と泣く女がどこにいる。


 とすれば「あの方」はクレメントではない。エーリカには、クレメントとは別に、愛されたい相手がいた。


 ──なるほどな。


 ダグラスは暖炉の炎を見つめた。


 あの書簡はこう読ませようとしている──クレメントが懸想し、力に訴え、エーリカは城を去った。全てクレメントの話だと。だが実際にはエーリカの中にもう一人いた。愛してほしいと泣くほどの相手が。


 書簡は全てクレメントに瑕を集めた。しかしエーリカの言葉は別の人間を指している。


 あの凪いだ娘の横顔がちらりと視界に入った。アレシアは報告書の二枚目を見つめたまま指先を動かさない。


 まだ何も言わないでおこう──とダグラスは思った。が、どうせこの娘の事だ。


「お父様」


「……うむ」


「お気づきですね」


「クレメントに愛してもらいたいと泣く道理がない──そう言いたいのだろう」


「はい」


 アレシアの目が静かにダグラスを見た。


「エーリカには別の方がいたのですね」


「そうだな。おまえの考えている相手はおそらく、儂のそれと一致しているだろう。で、どうする。罪を償えと糾弾するか?」


 いいえ、とアレシアは答えた。


「今更無意味な事です。哀れだとは思いますが。ただ──」


「言ってみなさい」


「殿下との、婚約を破棄しようと考えております。宜しいでしょうか」


「……うむ、そうだな。儂としてもそれが良いと思う。色を好むというだけならばともかく……いや、それも父としては業腹ではあるが、ともかく行状がこうまで不審だと……」


「いえ、事は単純で、単に殿下では私を守る事は出来ないだろう、と考えたからです。あの方ではお父様のように私を守る事はできない。だから破棄をしたい──そう考えております」


 ──守る、か


 ダグラスの意識は暫時、過去へと飛ぶ。


 ◆◆◆


 ──くらいな


 そう、暗い。牢は暗くて当然だ。


 しかしダグラスにはこの“くらさ”が、明かりの乏しさではなくて先行きの無さから来るものに感じられた。


 燭台は一本。壁に掛けられた鉄の留め金が錆びている。空気は冷たく湿っていて石の目地から染み出した水滴が床に小さな水溜まりを作っている。


 ダグラスとある格子の前に立った。


 格子の向こう側にいるのはグレミー・マルシェール公爵。長年宮廷で渡り合い、しのぎを削ってきた政敵だ。もっとも──今のグレミーは公爵ではない。爵位は剥奪された。明日には首も落ちるだろう。


 格子越しに見るグレミーの顔は頬がこけ、あの重厚な躰は見る影もない。だが猛禽類の様な鋭い目つきはいささかも変わっていなかった。


「来たか」


「死ぬ前に顔くらい見ておこうと思ってな」


「私の間抜け面がそんなに見たかったか」


「ああ。二度と見られんのだからな。どうだ、牢獄暮らしは。さしもの貴様も堪えたか?」


「なぁに、あと十年でも二十年でも居られるとも」


「嘘だな。貴様は嘘をつく時、左目の瞼がわずかに痙攣するのだ。で、グレミー、貴様は──」


「うむ」


「言い残した事はあるか? これまでの誼もある。聞いてやらんでもないぞ」


 グレミーは長い間黙っていた。水滴が石壁を伝う音だけが牢に響く。やがてグレミーの口が開いた。


「私には庶子がいる」


 ダグラスの目がわずかに動いた。


 この政敵を長年観察してきたダグラスをもってしても、知らぬ事はある。グレミーがそれだけ念入りに隠していたという事だ。


「侍女に産ませた娘でな。まあ、私によく似ているよ。いずれはお前の喉を切り裂く短剣にもなるだろうと見込んでいたのだがこの様だ。だからきな臭くなり始めた頃に逃がした。侍女の名はタニアという。その実家──クラインベルクの東にある農家に娘は預けてある」


「そんな事を儂に言ってどうなる」


「守ってやってほしい。庶子の事は妻も知らん。知っているのは私とタニアだけだ。タニアまで追及の手は回らないとは思うが、何があるかわからん。手が回る前に貴様に娘を護ってほしい」


「何故儂に頼む」


「お前が私であったなら、誰に頼むと思うね?」


 ダグラスは答えない。しかし答えは決まっていた。


「私とお前は敵同士だった。互いに互いを殺したい──そう思っていた。だがそこに憎しみはなかったように思う」


「儂もそう思う」


 即答だった。即答してから、ダグラス自身が少し驚いた。嘘ではない──嘘ではないのだが、こうも素直に口をついて出るものかと。


 グレミーが格子越しに頭を下げた。


 ちっ、とダグラスは内心で舌打ちする。王宮で争っていた頃、ダグラスはグレミーを()()()()やりたかった。自身の前で頭を垂れさせてやりたかった。しかしいざそれが叶っても、全くすっきりしない。むしろ腹立たしささえ覚えていた。


「……分かった。名は?」


「アレシア」


「いい名だ」


「タニアがつけた。日向の花だそうだ」


「マルシェールにしては温かい名だな」


「氷刀と呼ばれた男に温かい名の娘が生まれた。──世の中というのは面白いものだよ、ダグラス」


 そういって、グレミーは唇の左端をわずかに吊り上げる。


 自身の交渉が、策謀がうまくいった時の、この男特有の薄い笑い方であった。


 ◆◆◆


 クラインベルクの東。


 街道から外れた丘陵の裾に、その農家はあった。低い石壁に囲まれた家屋と納屋は小ぶりだが手入れが行き届いており、屋根の下に干された薬草が冬の乾いた風に揺れている。


 ダグラスは馬車を降り、門の前で一度だけ息を整えた。供は一人も連れていない。


 戸を叩くと、中年の女が出てきた。かつて宮廷で見たことのある顔だ──マルシェール家の侍女。タニア。ダグラスの顔を見た途端に頬から血の気が引いた。


「貴様がタニアだな」


「……は、はい。あなた様は」


「グリューネヴァルト公爵家のダグラスだ。マルシェール公爵から預かっている言葉がある」


 タニアは硬直したまま動かない。ダグラスは構わず続けた。


「アレシアを護れ、と奴はいっていた。グレミーの最期の望みだ。儂はそれを引き受けた。ゆえに娘を、アレシアを引き取りに来たのだ。安心せよ、害する気はない」


 タニアは暫く口を開けたまま黙っていたが、やがて目元を袖で拭い、家の奥に振り返った。


「アレシア様。──どうぞ、こちらへ」


 薄暗い部屋の奥から、小さな影が現れた。


 三つか四つか──金の髪。冬の陽に透けると薄い蜜の色をしている。目鼻立ちは母親に似たのだろう。グレミーには似ていないのだが、目の色だけが父親だった。


 アレシアはダグラスを見上げた。


 そのやけに落ち着いた態度に、ダグラスはグレミーの面影を見る。


 そして──


「おじさまはわたしを捕まえにきたのですか」


 その言葉にダグラスは唇に一瞬舌を這わせた。


 膝を折り、アレシアの目線に合わせていう。


「いいや。お前を守りにきたのだ。今後は儂を父と思うが良い」


 アレシアは答えなかったが、ダグラスはそのままの姿勢でアレシアを見た。


 アレシアが自身を()ていることを了解していたからだ。


 五秒、十秒と沈黙が続き──そして。


「はい、お父様」


 と、それだけ答えた。


 ◆◆◆


「……守る、と約束したからな。だが婚約破棄をします、はいそうですかとはならぬ。分かるな?」


 ダグラスの言葉にアレシアは小さく頷き、答える。


「然るべき時に、然るべき場で」


 その通りだ、とダグラスは満足そうに頷く。


「然るべき時に、然るべき場で──そうだ。だがまず()()()がいる」


 ダグラスは紅茶を一口含んで卓に戻した。


「婚約破棄というのはな、アレシア。やる側にもやられる側にも傷がつく。しかし傷の深さは()()の立て方で変わる。名分さえ磐石であれば、やる側の傷は薄く、やられる側に瑕が集まる。逆に名分が弱ければ──破棄を申し出たこちらが()()()()()と見なされて終わる。そうなればお前の今後に障る」


 アレシアが頷いた。


 ──が、妙だった。


 ダグラスが「名分」という語を口にしたタイミングではなく、その二拍ほど後ろ──「名分さえ磐石であれば」の途中で首が動いたのだ。会話の呼吸としてはずれている。まあ、考え事をしていれば返事が遅れる事はあるだろう。ダグラスはそう判断してそのまま続けた。


「名分の()は既にある。側近二人の管理不行き届きだ」


 ダグラスの親指が顎を撫ぜる。


「王太子の腹心が一人は狂死し、一人は病で──まあ実際には狂死に近い形で亡くなった。これは単なる不幸ではない。()()()()()()()()だ。側近とは主君の手足であると同時に、主君の徳の反映でもある。その側近が立て続けに死んだ。しかも片方は王城内で人を殺して死に、もう片方は自室で目を──いや、これは公にはされておらんが」


 ダグラスは言葉を切り、指を一本立てた。


「要するにこうだ。王太子ルキウスは側近の行状を把握できていなかった。把握できていなかった結果として人が死んだ。死者が出た。──この事実がある以上、婚約者であるアレシアが不安を覚えるのは当然だ。嫁いだ先で自分を守ってくれるはずの人間が、足元の火事すら消せなかった。信を置けるかと問われれば否と言わざるを得ない。これが名分の骨だ」


 アレシアがまた頷いた。


 今度は早すぎた。ダグラスが「これが名分の骨だ」と言い切る前──「否と言わざるを得ない」のあたりで、もう首が落ちていた。


 ダグラスの目がほんの一瞬、娘の顔に留まった。


 アレシアはダグラスの視線に気づいたのだろう。ふわりと──取り繕うように微笑みを浮かべた。穏やかな笑みだ。しかしその穏やかさが、暖炉の灯りに照らされた頬の上で薄い膜のように見えた。


「……続けるぞ」


「はい」


 ダグラスは一拍だけ間を置いてから、口を開き直した。


「問題はこの名分を(わし)とお前だけで振りかざしても意味がないという点だ。王太子との婚約は公爵家と王家の約定であると同時に、宮廷全体の均衡の上に載っている。儂が一方的に破棄を申し出れば、宮廷は二つに割れる。王家側につく者と、公爵家に理ありと見る者と。割れること自体は構わんが──割れ方が悪ければお前に瑕がつく」


 ここでダグラスは椅子の背もたれに体を預け、天井の梁を仰いだ。


「ジャハールは無理だ」


 断言だった。


「あの男は此度の筋書きを殿下と共に仕立てた張本人だ。しかも宰相家の息子は被害者という位置づけになっている。今更こちらに寝返る理由がない。恩も義理も、あの男にとっては殿下の側にある」


 アレシアが頷く。


 今度は合っていた。会話の拍にぴたりと嵌まった首肯だ。──が、逆にそれが不自然に思えてしまうのは、先ほどまでの()()を見ているからだろうか。


 ダグラスはわずかに眉を寄せた。


 アレシアの目がそれを捉え──また微笑んだ。今度は先ほどよりやや深い。口元だけでなく目の端にも力が入っている。意識して笑っている、とダグラスには見えた。


「聞いているか」


「もちろんです、お父様」


 声は明瞭だ。調子もいつもと変わらない。ダグラスは顎を撫ぜて、まあ良いかと──良くはないのだが、今は話の腰を折りたくなかった。


「要るのは高位貴族の()()だ。共感と言い換えてもいい。婚約破棄が宮廷に流れたとき、『さもありなん』と頷く者が多数いれば、名分は勝手に固まる。逆に『公爵家の我儘だ』と取られれば──」


「瑕は、こちらに」


 今度はぴったりだった。だが声の温度がやや平坦すぎる。復唱というよりは、()()()の響きがあった。


 ダグラスはそれに気づいたが、指摘はしなかった。


「うむ。だから段取りとしてはこうだ。まず──殿下が此度の件を公にした後、儂は弔問を名目にガルム卿を訪ねる。軍務卿の家にとっても此度の公開は痛い。次男の醜聞が世に出るのだからな。共通の()()を持つ者同士で話をすれば、自然と空気は出来る。ガルムがこちら側に回れば武官系の貴族は黙る」


 椅子の軋む音がした。アレシアが僅かに姿勢を変えたらしい。


「次に文官筋だが、これはギーゼルヴァン卿を起点にする。あの男は人望がある。あの男が公爵家に同情的な顔をすれば、文官たちの空気は決まる」


 アレシアが頷いた。──半拍ずれていた。


 ダグラスの眉間にしわが刻まれる。今度は隠さなかった。


「アレシア」


「はい」


「顔色が悪いぞ。体調はどうだ」


 アレシアは一瞬だけ──本当に一瞬だけ、何かを探すように目を泳がせた。すぐに笑みが浮かぶ。先ほどの取り繕いよりも自然に見えるが、自然に()()()()()()()()()分だけ余計にダグラスの目に引っかかった。


「大丈夫です。少し疲れが出ているだけかと」


「そうか」


 ダグラスはそれ以上追わなかった。追わなかったのは、今追っても出てくるものがないと踏んだからだ。


「──残りは手短にやる。典礼官のハンスあたりにも話を通しておいたほうがよさそうだ。あれは情報の扱い方をよくわかっている」


「はい」


 今度は合っていた。しかしダグラスにはもう、合っているかどうかよりも別の事が気になり始めていた。


 ──まあいい。


「段取りは以上だ。殿下が公開を行ってから動く。それまでは静かにしておれ。良いな」


「はい、お父様」


「では今日は早く休め。お前も儂も、此処のところ碌に眠れておらんだろう」


 アレシアが椅子から立ち上がった。一礼して扉に向かう。その背中を見送りながら──ダグラスの目が一点に留まった。


 アレシアの右手が、左の肩に添えられていた。


 歩きながら首をほんの少しだけ左に傾げて──扉をくぐり、廊下に消えた。


 ダグラスは暖炉の前に一人残された。


 薪が崩れる音がした。火の粉が一つ舞い上がって消える。


 ──肩こりは儂に似たのかな


 そんな事をぼんやりと思い、苦笑した。


 苦笑してから暖炉の炎を見つめた。


 薪が赤く脈打つように燃えている。


 アレシアの首肯の()がおかしかった事を、ダグラスは忘れてはいない。忘れてはいないが──今はまだ、()()()()()()()()の輪郭が掴めていなかった。


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