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王宮奇恋怪異譚  作者: 埴輪庭


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2/26

2.背の冷え

 ◆


 婚約が決まれば次は王妃教育だ。

 

 礼法、外交儀礼、王家の系譜やらなにやら──公爵家で叩き込まれた教養とはまた違う種類の勉強が待っていた。週に三度、馬車で城門をくぐる。正直に言えば教育よりもルキウスに会えることのほうが嬉しかったが、教師役の老侍女にそれを悟られるのは面目ないので黙っていた。


 そういうわけで冬の初め、アレシアは王城に通い始める事となった。


 側近のフェリクスとクレメントに紹介されたのもこの頃だった。フェリクスは宰相ジャハールの息子で、クレメントは軍務卿ガルムの息子だ。


 良い言い方をすればフェリクスは怜悧かつ繊細でクレメントは豪胆かつ率直。悪い言い方をすればフェリクスは陰険な蛇のような男で、クレメントは頭がからっぽの犬の様な男だった。無論アレシアは良い方の意味で二人を捉えている。


 そんなある日、ちょっとした事が起こった。お茶会の最中(さなか)、侍女が茶器を取り落としたのだ。ルキウスは「怪我はないか」と穏やかに言い、平伏する侍女を「気にするな」と制した。まあこれだけ見れば、ルキウスは寛大だね、優しいね、となるだろう。粗相は粗相なのだから、ちくりと一言くらいはあっても良いはずだが、いの一番に怪我してないかどうかを心配したのだから。


 だがアレシアは──本当に些細な事だし、あるいは勘違いなのかもしれないのだが、ルキウスの()が気になった。侍女を気遣うルキウスの目に慈愛はなかった。かといって、怒りも蔑みも感情と呼べるものが何も浮かんでいなかったのだ。


 それ自体がどうこうというわけではない。気になったといってもちょっとした違和感程度だ。赤い薔薇が咲き誇る薔薇園の中に、たった一輪、周囲よりやや色が濃い薔薇があった──程度のものだ。 


 だからアレシアはその時覚えた違和感などすぐに忘れてしまった。


 ◆


 ある日の王妃教育後、ルキウスの書斎に寄って軽く談笑をしたその帰り。アレシアは書斎から長い廊下を一人で歩いていた。普段は多くの者が行き交う王宮のその通路だったが、この日に限って誰もいない。


 アレシアは歩を進めながら、背後を(しき)りに振り返った。


 やけに背中がざわつくのだ。


 思い切って振り向いてみた。廊下は薄暗く、人影はない。とある燭台の炎がわずかに揺れていた──風が通る廊下ではないのに。まあたまたまそこが風の通り道だっただけだろうと、アレシアは常より速足で歩いていく。


 そして──特に何も起こらず、その日は終わった。


 ◆


 翌日は何事もなかった。翌々日も同じだ。


 王妃教育は滞りなく進んでいる。アレシアは礼法の細則を覚え、王家の紋章の意味を暗記し、外交書簡の定型文を筆写した。教師役の老侍女はアレシアの飲み込みの早さに満足し、ルキウスは書斎で「順調だと聞いたよ」と微笑む。


 通い始めて十日が過ぎ、城の構造にも慣れた。どの廊下がどこに繋がっているか、どの階段を使えば東翼の書斎に早く着くか、夕方になると西側の窓から差し込む光が石壁を橙に染めてとても綺麗だということも知った。


 ただ一つだけ、気になることがある。


 西翼の廊下を通るときに限って背中が冷えるのだ。それも廊下の特定の一角だけだ。南翼との角を曲がった先の、窓のない薄暗い部分。冬の王城は全体が冷えるものだが、その冷え方とは質が違う。皮膚ではなく、肉が、骨が凍えるような冷え方だった。


「西翼のあの辺り、やけに冷えませんか」と侍女に尋ねてみるも、「さあ……古いお城ですから、隙間風でしょう」と答える。それはそうだろう。石壁には目に見えない亀裂がいくらでもある。アレシアもそれで納得して、翌日も同じ廊下を通った。


 経路を変えれば良いではないかという向きもあるだろう。しかし、どうにも気になってしまうのだ。婚儀の日以降はアレシアも王城に住まう事になる。自分が住む場所にそんな奇妙な謎があるなら、その原因を知っておきたいという理由もあるし、単純にアレシアがやや好奇心旺盛だという理由もあった。


 理由はなんだって良いのだ。ただ()()さえできるのならば。


 そしてこの日も、やはり同じ場所で背中が冷える。


 なぜ背中なのか? 


 冷たい風が吹き込み、よどんでいるならば全身が冷えてもおかしくないはずだ。


 足を止めて壁に手を当ててみる。石は冷たいが、隙間風と呼ぶほどの空気の流れは感じない。天井を見上げても通気口の類はなかった。ではこの冷たさは──まあ、気温が低い日だっただけのことだろう。この場はそう結論づけて歩き出したとき、視界の端で何かが動いた気がした。


 はっとそちらの方を向く。


 廊下の先は薄暗く、人の気配がない。壁に掛けられた古い紋章旗がわずかに揺れていた。風もないのに。


 気のせいだ。


 気のせいだろうか。


 ──本当に? 


 アレシアはぶるりと一度体を震えさせ、足早にその場を立ち去った。

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