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王宮奇恋怪異譚  作者: 埴輪庭


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18/26

18.マルタ

 ◆


 クレメントの首なし死体が石の床に崩れ落ちるまでの時間は、体感では随分と長く感じられたが、実際には一秒にも満たなかっただろう。


 その後の事は──正直に言えばアレシアの記憶には断片的にしか残っていない。


 衛兵たちが駆け寄り、ルキウスが何かを叫び、ダグラスが低い声で指示を出していた。血溜まりの中のメイドに誰かが駆け寄ったが、もう息はなかったらしい。毛布が運ばれてきて、二つの死体がそれぞれ覆われた。クレメントの体と、首と、別々に。


 回廊には血の匂いが充満していた。鉄錆に似た匂いだ。あの甘い腐臭とは違う。生々しくて、生きていたものが死んだ時だけに放つ種類の匂いだった。


 ダグラスがアレシアのもとに戻ってきたのは、衛兵の一人と何やら話し込んだ後だった。正装の外套の裾にわずかに血が撥ねている。本人は気づいているのかいないのか──おそらく気づいてはいるが、今はそんな事を気にしている場合ではないのだろう。


「アレシア。マルタ」


 ダグラスの声は平坦だった。先ほどの怒号が嘘のように凪いでいる。


「先に帰りなさい。ヨアヒムに門前で待つよう伝えてある」


「お父様は?」


「儂はもう少し残る。──心配はいらん」


 心配いらんと言われて心配しない娘がどこにいるかという話だが、ダグラスの目がそれ以上の問答を許さない色をしていた。


「……わかりました」


 アレシアは一礼した。マルタも続いて頭を下げる。マルタの右手に剣はもうなかった。いつの間に手放したのか──おそらく衛兵に返したのだろう。


 二人は東翼を抜け、中央広間を横切り、城門へ向かった。


 すれ違う文官や侍従が足早に西翼の方角へ走っていく。騒ぎの報せが城内に広がり始めているのだ。アレシアたちに目を留める者はいなかった。それどころではないのだろう。


 城門を出ると、冬の外気が頬を打った。


 ヨアヒムは既に馬車を寄せて待っていた。アレシアの顔を見て何か察したのか、余計な事は一切訊かず、ただ黙って扉を開けた。


「お嬢様。どうぞ」


 差し出された手を取って馬車に乗り込む。マルタが続いて乗り込み、扉が閉まった。


 馬車が動き出す。車輪が敷石から石畳に変わる音がした。


 ◆


 馬車の中は静かだった。


 車輪が石畳の継ぎ目を拾うたびに小さく揺れる。その規則正しい振動だけがアレシアの体を現実に繋ぎ止めていた。


 膝の上に置いた手が震えている。震えているのに気づいたのは、マルタがそっと毛布を膝にかけてくれたからだ。


「……ありがとう」


 声が掠れた。自分の声とは思えないほど掠れていて、アレシアは一度咳払いをしてから口を開き直した。


「マルタ」


「はい」


「お父様はどうして一緒に帰れないの」


 マルタは即座には答えなかった。膝の上で手を組み、視線をわずかに落として──呼吸を一つ分だけ置いた。


「私が手を下してしまいましたから」


 平坦な声だった。


「その処理でしょう」


 処理、という言葉の乾き具合がマルタらしかった。


 アレシアは頷いた。


 そうだろう、とは思っていた。衛兵ではなく公爵家の侍女が王太子の側近を斬ったのだ。いかに狂乱の最中とはいえ、始末をつけるべき事柄が山のようにあるだろう。ダグラスはそれを引き受けに残ったのだ。


「マルタ」


「はい」


「お父様を守ってくださって、ありがとう」


 返事はない。


 長い沈黙だった。マルタにしては珍しい間だった。この女は問いに対して言葉を選ぶ事はあっても、これほど長く黙り込む事はあまりない。


 やがてマルタが口を開いた。


「私はお嬢様を守ったのです。()()は──お嬢様を見ておりました」

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