勝手にしたでしょう
LMCに着いたら、先輩がいた。
涼香さんもシャーロットもいた。
いつもの朝だった。
「おはようございます」
「おはよう」 先輩がノートを開いていた。
実験中止後、先輩が使っていた研究室は別の実験に回されたらしい。
再開するにあたって如月教授がLMCを提案した。
涼香さんの機材が使えること、植物の周波数データと照合できることが理由だった。
先輩は最初渋ったらしいけど、データ的に合理性があると涼香さんに押し切られたと聞いた。
新しいページ。
「回復計画」と書いてあるページの続きに、何かを書き込んでいた。
字が細かい。
先輩が本気のときは字が小さくなる。
何かあったときは大きくなる。
「先輩、少し話があるんですけど」
「何ですか」
「昨日、東堂さんに会いに行きました」
先輩の手が止まった。
涼香さんが音叉を棚に戻す動きを止めた。
シャーロットだけは普段と変わらず作業を続けている。
「琴音さんと一緒に」
先輩がノートを閉じた。パタンと音がした。
「頼んではいませんが」
「ええ、知っています」
「私は犯人探しはしないと言いました」
「はい」
「それを聞いた上で、行ったんですね」
「はい」
「どうしてですか」
「嫌だったからです。何が起きたかわからないままでは」
「何かが起きたのは私です」
「はい。それでもです」
先輩が僕を見た。
目が鋭かった。
怒っている。
「成果は」
「え」
「行ったんでしょう。成果はあったんですか」
「あ、はい。東堂さんが技術データの提供に協力してくれます。
反対の周波数を設計するためのデータです」
先輩の目が変わった。鋭いまま、でも別の光が混じった。
「それはどこまで信じていいんでしょうか」
「わかりません。今は琴音さんがデータを整理してくれています」
「なぜそんな話になったのですか」
「自分の研究室から技術が漏れた可能性がある、
それは自分の責任だと言ってました」
先輩が少しだけ黙った。
「……それは正しい態度かもしれませんし、他の思惑があるとも思えます」
「先輩、怒ってますか」
「怒ってます」
「すみません」
「怒ってますが」
先輩がノートを開き直した。
「データが手に入るなら、そのデータは検証します。そのデータで思惑もわかるかもしれません」
「そうですね」
「ただ、勝手なことをしたことは、話が別です」
「はい」
「でも」
先輩が一瞬だけ僕を見た。逸らした。
「ありがとうございます。とは、言いません」
「言わなくていいです」
「だから言わないです」
「はい」
涼香さんが笑いを堪えている顔をしていた。シャーロットが振り返った。
「素直ではないのう」
「うるさい」
先輩がシャーロットに言った。
シャーロットは肩をすくめてフィカスに戻った。
「涼香」
「なに」
「東堂さんの技術データが来たら、一緒に分析してくれる?」
「もちろん。待ってたわよ、その言葉」
「待ってたって何」
「ミドリが助けを求める言葉」
「求めてないわよ。共同研究の依頼です」
「はいはい。共同研究ね」
涼香さんが笑った。先輩は笑わなかった。でもノートの角を握っていなかった。
琴音さんからデータが届いたのは、その日の午後だった。
先輩と涼香さんと如月教授で、LMCの機材を使って分析を始めた。
僕には読めないデータだった。
でも三人が真剣に画面を見ている横で、僕は音叉を磨いていた。
シャーロットが僕の隣に来た。
「お主は暇じゃの」
「僕にできることがないので」
「そうかの。お主はもうやったじゃろう」
「何を」
「データを持ってきた。それがお主の仕事じゃ」
「それだけですか」
「それだけで十分じゃ。あとは研究者に任せておけ」
シャーロットがパキラを見た。
「こやつも同じじゃ。水をやって、光を当てて、あとは待つ。
育つのは本人の仕事じゃからの」
僕はパキラを見た。葉っぱが少しだけ揺れた気がした。
夕方、分析が一区切りついた。
如月教授が帰り、涼香さんが片付けを始めた。
先輩が僕のところに来た。
「レンくん」
「はい」
「一つだけ聞きます」
「はい」
「東堂さんは、どんな顔をしていましたか」
「どんな顔って」
「私のことを聞いたとき、東堂さんはどんな顔をしていましたか」
僕は思い出した。東堂さんの三秒の沈黙。あの間に浮かんだ表情。
「怒ってました。たぶん」
「東堂さんが?」
「はい。自分の技術が誰かを傷つけたかもしれないって聞いて、腹が立ったみたいでした」
「データは」
「ないです。ソラも使えなかったし。僕のなんとなくです」
先輩が僕を見た。長い目だった。
「あなたのなんとなくは」
「はい」
「もうちょっと信頼しても良いのかもしれません」
「え」
「データ的な根拠がないから、信頼しないでいたんですけど」
「はい」
「見えなくても、わからなくても、あるものはあるので」
先輩がノートを閉じた。今度は静かに。
「明日も来てください。スキャンの時間を延ばします」
「え、延ばすんですか」
「回復計画に必要なデータ量が増えたので」
「何分ですか」
「四十分」
「倍じゃないですか」
「ええ。ご不満ですか」
「ないです」
「よかった。では明日」
先輩がLMCを出ていった。
涼香さんが隣に来た。
「レンくん」
「はい」
「怒られたでしょ」
「はい」
「でも、ありがとうとは言わなかったでしょ」
「言わないって言われました」
「でも、スキャンの時間が倍になったわよ」
「それが何か」
「分からない?」
「分からないです」
涼香さんが笑った。
「分からないのがレンくんの普通ね」
帰り道、空は晴れていた。夕方の赤が深かった。
「ソラ」
「はい」
「先輩、許してくれたかな」
「さあ」
「うん。でもスキャンの時間が倍になった」
「それは回復計画のためです」
「そうだね。たぶん、そう」
「たぶん、ですか」
「うん。なんとなくだけど、それだけじゃない気がする」
「レンさん、なんとなくは何かあるから起こるものです」
「うん」
「それが、現象になってからわかるものです」
空の赤が少しずつ薄くなっていった。
明日も四十分、先輩の前に座る。
ただの被験者。
でも、嫌じゃなかった。




