彼氏は誰
翌日、LMCに着いたら3人いた。
涼香さんが葉水をして、シャーロットがフィカスの前にいて、ミドリ先輩が窓際に座っていた。
ミドリ先輩がいることに、もう驚かなかった。
「おはようございます」
「おはよう」
涼香さんとシャーロットが同時に答えた。ミドリ先輩はノートを見たまま小さくうなずいた。
琴音さんは今日も来ていない。
ミドリ先輩が来るようになってから、琴音さんの足が遠のいている。偶然かどうかはわからない。
しばらくいつもの時間が流れた。
涼香さんが測定して、シャーロットと一緒に植物を観て、ミドリ先輩がデータを記録していた。
昼前に、ミドリ先輩がノートを閉じた。
「涼香」
「ん?」
「昨日の話。する」
涼香さんの手が止まった。シャーロットが振り返った。
僕は音叉を持ったまま、耳だけ傾けた。
先輩は涼香さんの方を向いて話し始めた。
「この前、シャーロットに聞かれた件。男性と歩いていたって」
「うむ」
シャーロットは興味なさそうにも見えた。自分が聞いたのに。
「あれはユイなの」
涼香さんが一瞬だけ目を閉じた。分かっていたのかもしれない。
「ユイに男性型のアンドロイドに入ってもらった」
「なんで?」
「自分の反応を調べたかったから。男の人が近くにいると身を引く。
それが本当に男性に対する反応なのか、それとも別の何かなのか。知りたかった」
先輩の声は淡々としていた。研究者の声だった。でも手がノートの角を握っていた。
「結果は?」
涼香さんが静かに聞いた。
「ユイだと分かっている状態では、反応が出なかった。見た目が男性でも、中身がユイだと知っていれば、身を引かなかった」
「つまり、身体の問題じゃない」
「そう。認識の問題。男性だと認識した瞬間に反応が出る。身体が男性かどうかではなく、頭が男性だと判断したときに出る」
シャーロットが言った。
「条件づけじゃな」
「そうだと思う。でも、いつ条件づけされたか分からない。自分では思い当たることがない」
僕は聞いていた。音叉を握ったまま聞いていた。
先輩が自分でこれを調べていた。
ユイに頼んで、アンドロイドを使って、自分の反応を検証していた。誰にも言わずに。
「ミドリ先輩」
声が出ていた。自分でも驚いた。
ミドリ先輩が初めて僕の方を向いた。
「なんで一人でやってたんですか」
「ユイがいた」
「ユイはAIです」
「AIだけど、ユイはユイよ」
「相談して欲しかったです」
ミドリ先輩が少しだけ目を細めた。怒っているのか、困っているのか、分からなかった。
「言う必要を感じませんでした」
「そうかもしれませんが、何かできたかもしれません」
「どうしてそう思うの?」
「分からないです。でも、なんとなく」
ミドリ先輩が小さく息を吐いた。
「なんとなくでは決められないこともあるでしょう」
涼香さんが少しだけ笑った。
シャーロットも口角が上がった。
「ミドリ」
涼香さんが言った。
「話してくれてありがとう」
「涼香には心配かけた」
「心配はしてないわ。信じてたから」
「そう言ってくれると助かる」
「レンくんも機嫌直しなさい」
僕は機嫌が悪かったのか。どうだろう、確かに涼香さんの言う通りかもしれない。
先輩が涼香さんを見た。
涼香さんが笑った。
ミドリ先輩は笑わなかったけど、ノートの角を握っていた手が少しだけ緩んだ。
「先輩」
「なに」
「実験は続けますか」
「続けます。レンくんは被験者01ですから手伝ってください」
「はい、協力します。前にも言いましたけど」
「よかったね」ユイが答えた。
先輩が一瞬だけ僕を見た。目を逸らした。耳が赤かった。
「……ユイはうるさい」
涼香さんが音叉を棚に戻しながら言った。
「良い午前だったわね」
シャーロットがフィカスに向き直った。
「植物も落ち着いておるわ」
ユイが言った。
「記録しておきます」先輩が「うるさい」と呟いた。でも声が柔らかかった。
帰り道、ソラに聞いた。
「先輩の男性不信、条件づけだって」
「はい。聞いていました」
「いつ条件づけされたんだろう?」
「ソラは分かる?」
「データがあれば推測できますが、おそらくデータは入手困難でしょう」
「実験が再開したら、また動きがあるかもしれない」
「そうですね」
ソラが0.三秒止まった。
「可能性は高いと考えています。これまで以上に警戒しましょう」
「どうやって?」
「常に感情スキャンのデータをとっておけば変化に気づきやすいです」
「先輩は一人で戦ってた。それは嫌だから協力しよう」
「嫌だから動く。それはレンさんらしいですね」
空は晴れていた。青が深くて、高かった。




