琴音の撒き餌
琴音さんがLMCに来るようになって二週間が経った。
もう見学者とは言えない感じだ。
涼香さんの測定を手伝い、データの記録をまとめ、片付けまでしている。
東堂さんの研究室にいるとは思えないくらい、LMCに馴染んでいた。
今日はシャーロットが先に帰って、涼香さんも「ちょっと用がある」と出ていった。
LMCに僕と琴音さんだけが残った。
2人だけになるのは初めてだ。
植物の間で、沈黙が流れた。
沈黙は嫌いじゃない。でも何か話した方がいい気がした。
「琴音さんは、ここ好きですか」
「はい。最初は見学のつもりだったんですけど、気づいたら居心地がよくて」
「それは分かります。僕もそうだった」
琴音さんが少しだけ笑った。いつもの微笑より、柔らかい笑い方だった。
「夏目くん」
「はい」
「少し、個人的な話をしてもいいですか」
「はい」
琴音さんが手元のノートを閉じた。
「友達がいるんです。東堂さんの研究室ではなく、別のところで知り合った子で」
「はい」
「その子が、半年くらい前から様子がおかしくなって。男の人が近くにいると、理由もなく身を引くようになったんです」
息が止まりそうになった。
涼香さんから聞いたミドリ先輩の症状と同じだった。
「理由もなく?」
「はい。嫌いとか怖いとかじゃないんです。本人も分からないって言ってて。ただ、反射的に距離を取ってしまうみたいで」
「それは……つらいですね」
「はい。ただ、そうなってくると男性が嫌いなんだろうと結論つけるんですけど」
「違うと言うことですか」
琴音さんが僕の方を向いた。目が真剣だった。
「感情スキャンのデータに反対のデータを浴びせると、その反対に傾いてくることがわかりました」
「感情スキャンのデータ?」
「はい。以前の流出事件があったみたいですけど。だからどこかで感情スキャンして、そのデータと違う周波数を浴びせるとか」
「そんなことできるんですか」
「はい、そうみたいです。実は感情スキャンの実験、ここでの周波数。それが突破口になるのではと考えました」
僕は考えた。
涼香さんの流出事件。感情スキャンのデータ。男性への反射的な拒否。ミドリ先輩。
線が繋がりそうだった。
「琴音さん、それを涼香さんに話しましたか」
「いえ。涼香さんは流出事件の被害者ですから、持ち出しにくくて」
「そうですよね」
「でも夏目くんなら、客観的に聞いてもらえるかなと思って」
琴音さんが少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。重い話をして」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、話してくれて」
「夏目くんは優しいですね」
「そんなことないです」
「いえ。東堂さんも同じことを言っていました」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
何が同じなのか。
それが褒め言葉なのか、利用しやすいという意味なのか、なんなのか。
「琴音さん」
「はい」
「その友達の症状って、いつから始まったか分かりますか」
「半年くらい前です。ちょうど、学校で感情スキャンの実験が再開された頃だと聞いています」
「再開された頃」
僕はソラを見た。ソラは黙っていた。
涼香さんが戻ってきた。
「あら、二人で何の話してたの」
「植物の話です」
琴音さんが自然に答えた。僕は何も言わなかった。
帰り道、ソラに聞いた。
「今の話、聞いてた」
「はい」
「どう思う」
「前田さんの友達の症状は、ミドリさんの状態と類似しています」
「うん。僕もそう思った」
「ただし、前田さんがこのタイミングでこの話をした理由は不明です」
「理由?」
「二週間通って信頼を積んでから、涼香さんがいないタイミングで、レンさんだけに話した。偶然かもしれませんが」
「偶然じゃないかも」
「その可能性はあります」
「でも、嘘ではないと思う」
「なぜですか」
「なんとなく。先輩のことかな?」
ソラが0.一秒止まった。
「レンさんのなんとなくは、データより先に正解に到達することがあります」
「褒めてるのかな」
「ただの事実です」
空はまだ明るかった。夕方の手前の、白っぽい青だった。
琴音さんの友達と、ミドリ先輩。
同じ症状。
同じ時期。
感情スキャン。
誰かが、何かをしている。
でもまだ見えない。




