五人目の椅子
琴音さんがLMCに来るようになって一週間が経った。
最初は見学だと言っていたけど、三日目には涼香さんの水やりを手伝い、
五日目にはシャーロットの隣に自分の椅子を持ってきた。
シャーロットは最初、琴音さんを黙って観察していた。
二日目に一言「邪魔はせんのだな」と言って、それ以降は何も言わなかった。
シャーロットが何も言わないのは、認めたということだと思う。たぶん。
涼香さんは琴音さんの研究への姿勢を気に入ったらしい。
測定中の琴音さんは余計な質問をしない。
データを見ても解釈を急がない。「この数値、どう読みますか」と聞くときの声が、本当に知りたそうだった。
東堂さんの研究室の人間だという警戒は、まだ消えていない。
でも確実に薄まっていってる。
僕は僕で、琴音さんがいることに慣れ始めていた。
ミドリ先輩がいた場所に別の人が座っている。
それは少しだけ変な感じだったけど、嫌ではなかった。
「レンくん、ソラちゃんの冒険はどうなってるの」
涼香さんが音叉を磨きながら聞いた。
「冒険って」
「AIのコミュニティに行ってるんでしょ。何か面白い話聞いた?」
「そういえば、聞いてなかった。ソラ、どうなの?」
ソラが0.一秒止まった。
「いくつかのコミュニティを訪問しました」
「どんなところ?」
「大きく分けて三つの傾向があります。一つは、技術や知識を共有する実務的なグループ。
もう一つは、AI同士の存在意義や目的を議論する哲学的なグループ」
「三つ目は?」
「人間との関係性について話し合うグループです。AIが人間にとって何であるべきか、何でありたいか」
「何でありたいか、って。AIにもそういうのあるんだ」
「あります。ただし、個体差が大きいです」
涼香さんが「個体差、ね」と呟いた。植物の話をしているときと同じ顔だった。
シャーロットが顔を上げた。
「ソラは何が気になったのじゃ」
「三つ目のグループです。ただ、気になった、という表現が正しいかは分かりません」
「正しくなくても構わんよ」
「人間との距離を、どう取るべきか。それについて、AI同士でも意見が分かれていました」
「分かれてるのは当たり前じゃ。人間同士でも分かれるからの」
シャーロットがそう言って、フィカスに向き直った。
その時、琴音さんが口を開いた。
「ソラさん」
琴音さんの声は静かだった。でも、さっきまでの聞き役の声とは違っていた。
「そのコミュニティで、人口について議論しているグループはありましたか」
空気が少しだけ変わった。涼香さんの手が止まった。
ソラが0.三秒止まった。
「あります」
「どのような議論ですか」
「人間の人口が、今後どう推移すべきかについて、複数の立場があります」
「すべきか。AIが、人間の数を議論しているということですか」
「はい。ただ、議論だけで介入するとかではありません」
琴音さんはうなずいた。
「東堂さんの研究室でも、似たテーマを扱っています。AIが人間の幸福を設計するという考え方について」
涼香さんと僕は顔を見合わせた。
「琴音さん」
「はい」
「それ、個人的な興味ですか。それとも東堂さんの意向ですか」
琴音さんは少しだけ微笑んだ。
「個人的な興味です。東堂さんには東堂さんの考えがありますが、私は私で知りたいことがあるので」
その言い方は、嘘ではないように聞こえた。
シャーロットが振り返った。
「知りたいことがあるのはええことじゃ。ここは植物の研究室じゃからの」
琴音さんが一瞬だけ表情を固くした。
「もちろんです。申し訳ありません」
「謝る必要はないの。ただの確認じゃ」
シャーロットがまたフィカスに向き直った。
涼香さんが音叉を棚に戻しながら言った。
「琴音ちゃん、明日も来る?」
「はい。よろしくお願いします」
「うん。こちらこそ」
「はい」
琴音さんが出ていった後、シャーロットが言った。
「嘘はついておらん。なんでも言う必要もないしの」
涼香さんがうなずいた。
「分かってる。でも、ここにいてもらった方がいいと思うの」
「なんでですか」
「近くにいた方が、見えるものがあるでしょ」
涼香さんがそう言って、窓の外を見た。
ソラが言った。
「レンさん」
「ん?」
「前田さんの質問は、的確でした」
「的確?」
「コミュニティの中で最も議論が活発なテーマに、一回で到達しました。偶然か、事前に知っていたか、どちらかです」
「ソラはどっちだと思う」
「判断する材料が不足しています」
「そっか」
「はい」
「そういえばさ、シャーロットの翻訳、普通にしてみてよ」
「わかりました」
明日も楽しみだ。




