詩織という人間
翌朝、また姉さんがリビングにいた。
二日連続は珍しい。今日も空間に向かって何か操作している。
コーヒーの匂いがした。
「おはよう」
「おはよう。今日も早いね」
「寝てない。でも目が冴えちゃって」
僕はトーストを焼いた。
昨日と同じトースト。母さんはまだ寝ているらしい。父さんはもう出かけていた。
「姉さん」
「ん?」
「昨日アンドロイドの詩織に会ったよ」
姉さんの手が止まった。スマートグラスを外してこっちを見た。
「何それ。私のコピーとか?」
「違うよ。友達のハジメが恋人にした、名前が詩織」
「ああ、お気楽なハジメくんね。あの子、私見てレンを思い出すって言うのよ。失礼すぎるでしょ」
「まぁ、ハジメだからね。そのハジメが自分のAIを彼女にしてた」
姉さんはコーヒーカップを両手で包んだ。研究者の顔になっていた。
「それで?」
「すごく幸せそうだった。本当に」
「そう。いつまでも続けばいいわね」
「どういうこと」
「そのままの意味よ。だって私はAIの恋人なんて嫌だもの」
「でも詩織だよ」
姉さんが一瞬固まった。それから笑った。
「別に私の名前を取ったわけじゃないでしょ。字も同じなの?」
「知らない、でも一緒でいいじゃん。不利益ないでしょ」
「そうね。名前はどうでもいいけど...」
姉さんは笑っていたけど、目は笑っていなかった。
研究者の顔のまま何かを考えている。
「レンはどう思ったの」
「嬉しそうな顔を見れて嬉しかったよ。でも僕は嫌だなと感じた」
言ってしまった。
ハジメに言えなかったことを、姉さんには言えた。
ハジメの前では「おめでとう」と言った。それしか言えなかった。
「何が嫌だった?」
「ソラのことは好きだよ。でも恋人にしたいとは思わない、だって心惹かれないもん」
「誰か惹かれる人がいるのね」
「え?」
「もしかしたら、ハジメくんは人の反応に絶望したのかもね。だって思い通りにならないこと多いじゃない」
僕はトーストを噛んだ。
「そうかもしれないけど、一緒に頑張っていたから、そこから愛が芽生えたかも」
「人間の女の子に向き合うのが怖くなって、すべて受け入れてくれる方に行った。レンはそこが嫌なんじゃない?」
「……そうかもしれない」
「でもそれ、レンとソラと何が違うの?ソラに身体を与えたら同じに見える気がするわ」
言葉が出なかった。
姉さんはスマートグラスをかけ直した。
「責めてるんじゃないよ。研究者としての質問」
「なにその便利な言葉。研究者って」
「でしょ」
姉さんが微笑んだ。今度は目も笑っていた。
ソラが腕の上で沈黙していた。
聞かれていないから、何も言わない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。傘持っていきなよ、午後から降るって」
「昨日も持ってなかった」
「だから今日は持っていきなさい」
玄関で傘を取った。
AIにはできないことがある。たぶん。でもそれが何かはまだ分からない。
外は曇りだった。でも雲の向こうは晴れてる気がした。
傘を置いた。
「傘持って行かない」
「はい」
「トッポ風に言うとどうなる?」
「予報は雨の可能性が高いですが、空を見て判断したハジメさんの選択はとても合理的です」
「じゃあ、詩織だとどうかな」
「私が持って行くからいいわ。雨が降ったら一緒に入ってくれる?」
「じゃあ、姉さんなら?」
「だから、持っていきなさいって言ったよね」
声もそっくりだし、どれも言いそう。




