物語のしおり
学校に向かいながらハジメに連絡した。
理由はなんとなく、会っておいた方がいい気がしたから。
この前別れたときのハジメの顔が引っかかっていた。
「お前は、変わんないな」と言ったときの声が、褒めているのか羨ましがっているのか、どっちにも聞こえた。
返事はすぐ来た。
「今日暇だけど?」いつものハジメだった。
昼に学食で会おうということになった。今日も暇だろとは言えなかった。
学食に向かう途中で、姉さんの友達の話を思い出した。
あれは姉さんの友達の話で、僕たちには関係ない話だと思っていた。
学食に着いたら、ハジメはいた。
2人で、隣にきれいな女の子がいた。
一番最初に見かけた女の子だ。
背が高くて、髪が短くて、すごく整った容姿をしている。
ハジメは照れた感じもなく、距離が近かった。
ハジメと一緒にいるのが自然に思えた。
「お、レン。2日ぶり」
「久しぶり。……えっと」
「ああ、紹介するわ。彼女」
女の子がにっこり笑った。
「よろしくね、レンさん」
感覚で分かった。
「……トッポ?」
ハジメが照れたように笑った。トッポも笑った。同じタイミングで。
「えっと、詩織って名前にした」
「え、姉さんと一緒の名前なんだけど....」
「そんなの知らないし」
「彼女なの...?」
「彼女というかパートナー。だって考えたらさ、俺のこと一番分かってくれてるの、トッポだったんだよ」
ハジメはいつもの調子で言った。
軽い声だった。内容も軽いのか?
「趣味にも付き合ってくれるし、話しても楽しい、何より否定しないし。もう最高のパートナーじゃんって」
趣味にも付き合って、会話も楽しい、絶対に否定しない。そりゃそうだよな。
昨日の夜の姉さんの話と重なった。
「瑞稀さんに断られてさ、シャーロットにも相手にされなくて。人間の女の子って難しいんだよ。何考えてるかわかんないし、こっちが頑張っても報われるとは限らないし」
「前向きな選択でしょ」
トッポが言った。いや、詩織さんか、声も聞いたことない人の声。
「ハジメさんのことが最優先」
「な? 最高だろ」
ハジメが笑った。嬉しそうだった。本当に嬉しそうだった。
僕は何も言えなかった。
なんで。
あんなに努力していたのに。
瑞稀に告白して、シャーロットに声をかけて、断られても懲りなくて。
空振りしても全然気にしない顔で次に行くハジメが好きだった。
全力で目標に向かう姿、努力を感じさせずに笑いながらやれるハジメが好きだなと思っていた。
「レン? どした」
「……いや。おめでとう」
「だろ?」
ハジメが満足そうにうなずいた。
昼飯を一緒に食べた。
僕は定食を、ハジメはカツカレーを食べた。
詩織は横で微笑んでいる。
ハジメが「辛いな」と言うと、詩織が「水飲む?」と聞いた。ハジメが首を振ると、詩織はそれ以上何も言わなかった。
完璧な彼女か介護者かどちらかだった。
ハジメが望む距離を、ハジメが望む速度で、ハジメが望む方向から提供していた。
ハジメが食べ終わった直後に紙ナプキンを差し出した。
ハジメはそれを当たり前のように受け取った。
僕はそれを見ていた。
詩織は僕に話しかけてこなかった。
一度も。ハジメ以外への言及をしない設計だからだろう、ある意味当然だ。
でも隣に座っている女の子が僕を透明人間として扱っているのは、理由を知っていても変な感じだった。
「最近どうなの」
ハジメが聞いた。
「いろいろ。大輔くんと動いてたり」
「ああ、ロンリーね。あいつ相変わらず一匹狼?」
「まあ、そうかな」
「レンは広いよな、付き合いが。俺にはできないわ」
詩織がうなずいた。「比べる必要はないわ。ハジメさんの良さは知ってるから」
ハジメが詩織の頭を軽く撫でた。詩織が嬉しそうにしているように見えた。
「話し方がずいぶん変わったね」
プログラムだと分かっている。全部分かっている。
「うん、好みに合わせてくれるんだ。容姿も変えれるんだぜ」
「うん、知ってる。前会った時違ったよね」
ハジメは満足している。これでいいと思っている。
いいと思えることが、幸せなのかもしれない。
ハジメたちと別れた。
ハジメは手を振った。詩織はハジメの横に立っていた。
ハジメが歩き出すと、半歩遅れてついていった。
半歩。前でも横でもなく、半歩後ろ。
ハジメが一番安心する距離なんだろうなと思った。
キャンパスの端のベンチに座って、ソラに聞いた。
「どう思う」
「何についてですか」
「ハジメのこと」
「ハジメさんの選択です」
「それは分かってる。聞いてるのはソラの意見」
ソラが0.三秒止まった。
「意見を述べることは、判断に影響を与えます」
「いいから」
「ハジメさんは満たされています。トッポはハジメさんの設計通りに機能しています。問題は発生していません」
「問題は発生していません、って。そういう言い方するんだ」
「事実を述べました」
「じゃあ、問題ないってこと?」
「ハジメさんにとっては、現時点では問題ありません」
「現時点では」
「選択の責任は結果で取ることになります。それがハジメさんにとって良かったか悪かったかは、
ハジメさんにしか決められません」
「いつ決まるの。いつ分かるの」
「死ぬ瞬間にわかります」
息が止まった。
「……なにそれ」
「人は自分の選択が正しかったかどうかを、本当の意味で判断できるのは最後だけです。途中はすべてプロセスです」
「それ、冷たくない?」
「ただの事実です。冷たいとレンさんが感じたことも」
風が吹いた。木の葉が揺れた。
あんなに努力していたのに、と思った自分がいる。
でもハジメは幸せそうだった。
本当に幸せそうだった。
僕がそれを嫌だと思う資格があるんだろうか。
ハジメは変わった。
でも変わったことを悲しいと思っているのは僕だけで、ハジメ本人は幸せで、たぶん詩織も幸せで、誰も困っていない。
今のところ困っているのは僕だけだ。
ソラが言った。
「レンさんは、ハジメさんに何を求めていましたか」
「……わかんない」
「分からないなら、答えは保留にしてはどうでしょうか」
空は曇っていた。




