実験は中止
LMCは今日も湿気がすごかった。
「レンくん、その鉢もう少し右」
「はい」
涼香さんに言われた通り鉢を動かす。
植物の位置を少しずつ変えて、波長の変化を記録するのが今日の作業だった。
涼香さんはモニターとにらめっこだ。
シャーロットは床に座り込んで、大きなシダの葉に話しかけていた。
「お主は今日も元気じゃのう」
「シャーロットさん、返事はありましたか?」
「喜んでおるよ、気配でな」
「なんとなくってやつですか」
「そうじゃ、そうじゃ」
「レンくん」と涼香さんが顕微鏡から顔を上げた。
「はい」
「Aの値、また上がってる」
「え、そうなんですか」
「その場所がいいかも。それにレンくんが来てる日は安定して高いの。不思議ね」
「植物に好かれてるって、なんか地味に嬉しいですね」
「地味じゃないわよ。人間に好かれるより難しいんだから」
「そうなんですか」
「そうよ」
シャーロットがシダから顔を上げた。
「人間に好かれるのは、表面的に繕えばなんとかなる気がするのじゃ。植物はそうはいかぬ」
「努力でなんとかなるんですかね、人間って」
「ならぬ場合もあるのう」
「どっちですか」
シャーロットが笑った。
ドアが開いた。
ミドリだった。
「ミドリ先輩、お疲れさまです」
「はい」
ミドリはバッグも下ろさずに、ドアの近くに立ったままだった。
「夏目くん」
「はい」
「感情スキャン夏目くんの実験、今日で中止にします」
え。
シャーロットがシダの葉から手を離した。
涼香さんがモニターからこちらに視線を移した。
「中止ですか?どうして」
「データが十分集まりましたので」
「いや」
「結論が出ました」
「結論」
「観察対象として、これ以上の有意な変化はないでしょう」
先輩は僕を見ていなかった。
「あの、僕、何か」
「いえ、個人の問題ではありません。研究の段階の問題です」
「そうですか」それしか出てこなかった。
「ミドリ、ちょっと座って話さない?」と涼香さんが言った。
「すみません、これから用事があるので」
「そう」
「では、これで」
ドアが閉まった。
閉まってから数秒、誰も何も言わなかった。
シャーロットがシダの葉に向き直って、小さく言った。
「なんじゃろうな」僕にも分からない。
涼香さんが立ち上がって、僕の隣に来た。
葉水をやり始めた。
やりすぎないように、少しだけ。
「レンくん」
「はい」
「あとで私から聞いてみるから」
「あ、いえ、別にそんな」
「ううん。聞いてみる。今のはちょっと」
「妾もじゃ、気になるの」とシャーロットさんが言った。
「ミドリ、今日のは少しおかしかったぞ」
「おかしかった、ですか」
「うむ。入ってきた瞬間の気配がじゃ」
「気配」
「そうじゃ」
僕には分からなかった。
シャーロットには気配が分かって、僕には分からない。
涼香さんには何か引っかかって、僕には引っかかりが言葉にならない。
「レンくん」と涼香さんがもう一度言った。
「はい」
「いつも通り来てね。レンくんが来ると、植物たちが落ち着くから」
「はい」
帰り道、空が少し赤かった。
いつもと同じ赤さだと思う。
たぶん、同じだ。
「ソラ」
「はい」
「先輩、なんか怒ってたと思う?」
「わかりませんが、特に何かしたことはなかったと思われますが」
「うーん、僕もそう思う」
「いつもと変わりありません」
いつもと変わりない。
なのに、いきなり中止。
「ソラ、それって」
「私に説明できることはありません。」
「そうだよね」
実験が終わったってことは、僕、被験者じゃなくなったってことか。
なんかそれ、思ったより、寂しいなと思った。




