緑の声
実験室に来たら、先輩がいつもと違う顔をしていた。
タブレットを持ったまま、ぼーっとしていた、珍しい。
「教授に呼ばれました」とミドリ先輩が僕に向かって言った。
「何を言われたんですか」
「しばらく研究をストップするように、と」
先輩が手帳を置いた。
「事件のこともあるから、と言われました。それと」
少し間があった。
「東堂君も心配していたぞ、とおっしゃっていました。事件のことは代わりに調べてくれると」
僕はしばらく黙った。
「圧力ですかね」
「わかりません。でも」
ミドリ先輩がスマートグラスのレンズを触れた。
「息抜きでもしたまえ、とおっしゃっていました。それほど長くはならないだろう、とも」
「……教授は東堂先輩と前から知り合いなんでしょうか」
「会長ですから、どのくらいの関係かは知りません」
息抜き、長くはならない。なんだろうこの感じ。
「先輩はどうしたいですか」
「やめるつもりはありません。夏目くんにも協力してほしいです」
「どうするんですか」
「ここでの研究は一旦ストップします。でも、ここじゃないところで」
先輩が窓の外を見た。
「涼香のところに行ってみましょう」
——
涼香さんの研究室は、理学棟の端にあった。
入り口に多種意識研究室 Laboratory for Multispecies Consciousnessと書いてある。
ドアを開けたら、たくさんの花や植物があった。湿気がすごい。
涼香さんが植物に何かを話しかけていた。
シャーロットが隣でメモを取っていた。
二人ともなんか笑顔だ。
「あ、来た」と涼香さんが言った。
驚いていなかった。
「来るって言いましたっけ」
「言ってないけど、それも研究の一環」
「ここでは、何の研究をしているんですか」と僕は聞いた。
涼香さんが少し嬉しそうな顔をした。
「植物と話す研究」
「話す?」 「正確には、植物の意識の研究です。2030年代に入ってから、
植物の電気信号をAIで解析できるようになって、意識の存在が確定されましたよね。
それがイメージ情報でやり取りしていることまではわかった。でも」
少し困った顔をした。
「人間とは概念が違いすぎて、何を伝えようとしているのかがわからない。
動物はまだ近いんですけど、植物は本当に別の世界の話で」
「データが出ているけどわからない、ということですか」と僕は聞いた。
「そう、そういうことです」と涼香さんが言った。
「数値は出てる。でも意味がわからない」
シャーロットが何か英語で言った。ソラが訳した。
「シャーロットさんは、挿し木、株分け、接ぎ木などで繁殖させたものが、
親株と繋がっていることが研究の一番面白いところだと言っています」
「そうなのよ。距離は関係ないの」と涼香さんが笑った。
本物の笑い方だった。事件以来、初めて見た気がした。
「テレパシーは証明されていますが、再現方法が確立してないです」とソラが言った。
「わからないことを、わかろうとしてる」
その言葉が少し残った。なんとなく、自分のことを言われた気がした。
僕はホワイトボードを見た。
数値とイメージと、意味不明な図が並んでいた。
「僕も参加していいですか」
涼香さんが「え」と言った。
ミドリ先輩も「え」と言った。声が重なった。
「ダメですか」
「ダメじゃないわ、歓迎するよ」と涼香さんが言った。
「でもなんで急に」
「なんとなく」
涼香さんがミドリ先輩を見た。ミドリ先輩が涼香さんを見た。
「では」とミドリ先輩が僕に向いた。
「しばらくここで実験を続けましょう。涼香いいですか」と涼香さんに聞いた。
「もちろん」と涼香さんが言った。「賑やかになりそう」
シャーロットが何か言った。ソラが訳した。
「シャーロットさんは、植物も喜ぶと思うと言っています」
「気持ちは伝わるから気をつけてね」と涼香さんが笑った。
——
帰り道、ミドリ先輩が少し後ろを歩いていた。
「夏目くん」
「はい」
「なぜ参加したいと思ったんですか」
「なんとなくです。でも植物の概念がわかれば感情スキャンにも使えるかもしれないし」
「……そうかもしれません」
「さっき、誰かが来ることを植物達が教えてくれたって言ってました。嫌な感じがしないものがって」
「涼香さんが?教えてくれなかったな」
「バカにする人も多いですから」
「レンさんはまだまだです」ユイが言った。
「ユイ」先輩がスマートグラスのレンズを触れた。
「せっかくなので邪魔にならない範囲でいろいろやってみましょう」
小さな声だった。
それにしても、この部屋は落ち着く気がする。植物好きかも。
それをソラに伝えると。
「データには出てましたよ、ずっと前から」
言ってよ。




