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1章ー8 ジルヴェント商会

 牢獄から出て、詰め所に戻った2人を、待っていたのは3人、隊長、グレゴール、警備隊の魔術官だった。


 詰め所の中は薄暗く、壁に掛けられた松明が揺らめいている。木製のテーブルと椅子が並び、3人はそれぞれ椅子に座っていた。エメラとダンテが入ってくると、3人は一斉に顔を上げた。


「どうやら無事何事もなく終わったようだな」


 隊長がエメラの雰囲気を伺いながら声を掛けてくる。その目は鋭く、エメラの表情を注意深く観察している。


「ええ、問題ありませんでした」


 エメラは短く答えた。


「セドリック」


 おもむろに隊長が魔術官に視線を向ける。


「はい」


 セドリックが立ち上がり、エメラに近づいた。


「エメラ殿、お疲れ様でした。フーチをお渡しいただけますか?」


「はい、こちらです。ありがとうございました」


 エメラはフーチをセドリックに手渡した。振り子が微かに揺れる。


「お役に立てて何よりです」


 セドリックは丁寧に受け取り、自分の席に戻った。


「長い時間お疲れじゃったな、エメラ殿」


 グレゴールがねぎらいの声を掛けてくる。


「何か収穫はあったのかの? 奴は他に鉱山の事などは話は無かったかな?」


 グレゴールの声には期待と心配が混じっている。


「鉱山の事は新たな情報は特にありませんでした」


 エメラは答えた。


「そうか……」


 グレゴールが少し残念そうな表情を浮かべる。


「話を聞いたのは……俺の仲間の話をしてもらったんです」


 エメラが続ける。


「仲間?」


 隊長が眉をひそめた。


「ほう……以前言っていた旅の目的の仲間探しのかね」


 グレゴールが思い出したように言った。


「いい話は聞けたかな?」


「はい、思った以上に有益な情報を教えてもらいました」


 エメラは頷いた。その表情には、僅かな安堵が浮かんでいる。


「それは良かった」


 グレゴールが微笑む。


 しかし、隊長の表情は険しいままだった。


「分からんな、人払いをしてまで何を話したんだ?」


 隊長が腕を組んで言った。


「仲間の話だと言ったはずです」


 エメラが答える。


「それだけか?」


 隊長の目が鋭くなる。


「もしかしてだが、何か他にこの鉱山についての計画や、この街を害する打ち合わせなどは行ってはいないだろうな?」


「は?」


「そんなことはあり得ない!」


 エメラが驚いて声を上げた。突然の問いに声はかすかに怒りで震え、不快感をあらわにしている。


「隊長!!」


 グレゴールが立ち上がり、怒気をはらんだ口調で隊長に食って掛かる。その顔は真っ赤に染まり、拳が震えている。


「街を救ってくれた英雄になんてことを言うんじゃ!!」


「グレゴールさん、落ち着いてください」


 隊長は冷静に答えた。


「確かに今回は結果的にみれば彼が鉱山の問題を解決してくれた。しかも英雄的な働きでね」


「しかし、全体の流れを考えたらおかしいところも出てくる」


「どういう意味ですか」


 不快感をオブラートに包みながらも、エメラは我慢し隊長の話に耳を傾ける。ダンテも足元で警戒するように隊長を見つめている。


「君がこの街に来たのはいつになる」


「4日前、日が暮れる前にこの街へとたどり着きました」


「そうだ、4日前だな」


 隊長が頷く。


「これは入り口の衛兵達からの証言も得ている。」


「それが何か関係があるのですか」


「タイミングが良すぎるんだよ」


「4日前の崩落の事故、その翌日鉱山の一連の事件の解決」


 隊長は指を折りながら続ける。


「あまりにも解決までが、早すぎる。穿った見方をすれば、そもそも街に来たタイミングがよすぎるんだ」


「何を言っている……」


 グレゴールが呻く。


「まるで君をこの街の英雄に仕立て上げるかのように」


 隊長の言葉に、部屋の空気が凍りついた。


「隊長、それは言い過ぎではないですか」


 余りにも辛辣な一言に思わずセドリックが口を開いた。


「いや、疑問を持つのは当然だ」


 隊長は首を振りながら話す、声のトーンは淀みがなく、確固たる意志を感じられる


「私は警備隊の隊長として、この街の安全を守る責任がある」


「だからこそ、どんなに英雄的な行為であっても、疑わしい点があれば調査しなければならない」


「ふざけるな!」


 グレゴールが再び叫んだ。


「エメラ殿はカールを救い、鉱山を救ってくれたんじゃぞ! それを疑うなど——」


「グレゴールさん、お気持ちは分かります」


 隊長がグレゴールを制し、エメラを真っすぐ見つめた。


「しかし、私は職務を全うしているだけです」


「エメラ殿、答えていただけるか」


「この街に来たタイミング、そして事件解決までの速さ。これについて、何か説明できることはあるか?」


「この街に来た目的があるのならそれも教えてくれないか」


 エメラは黙って隊長を見つめた。


 部屋には重い沈黙が流れる。時間にして10秒程、エメラが口を開く。


 「特にありません」


 エメラは隊長の目を真っすぐ見返し短く答える。


「4日前、この街に来たタイミングは本当に偶然です」


「俺たちがこの街に来たのは、ここに無言の碑があると聞き、それを見に来ました」


「無言の碑?」


 隊長が反応する。


「エメラ、いいの?」


 ダンテが心配そうにこちらを見ている。ダンテの目を見て、エメラは無言で頷き、説明を続ける。


「街についたのがもう遅かったので、見に行くのは翌日にして、俺たちは夜の街を観光もかねて散策してました」


 エメラは落ち着いた口調で語る。


「そういえば、そこで怪しい人影も見ましたね」


「怪しい人影?」


 隊長が身を乗り出した。


「顔はフードを被って分かりませんでしたが、ダンテが焦げたような匂いを感じていたそうなので、魔術師だった可能性もあります」


「それは重要な情報だ」


 隊長が真剣な表情になる。


「君はその時は特に何も行動は起こさなかったのか?」


「この街の事情も何も分からない俺が、ぱっと見で怪しいかな、と思った人に声をかけるわけないじゃないですか」


 エメラは少し呆れたように答えた。


「捜査する権限もないし、まず第一に余所者です」


「下手なことをしたら街を追い出されるかもしれない」


 エメラの言葉には、旅人としての慎重さが滲んでいる。


「隊長、少し警備の者目線になりすぎておるぞ」


 グレゴールがエメラに助け船を出すような形で会話に割って入る。


「普通の者はそのような場面に出くわしても積極的にかかわろうとはしないじゃろうて」


「それもそうだな、すまない」


 隊長は小さく息をついた。


「職業柄そういう目線が染みついているのかもしれない」


「話を遮って悪かった、続けてくれ」


 隊長が促す。


「ある程度街を見回ったときに、急にすごい音が鉱山の方角から聞こえたので、俺にも何か出来ることはないのかと思い、駆け付けたんです」


 エメラは当時のことを思い出すように目を細めた。


「そこで、俺なら助けることが出来るからやっただけです」


「無償で手助けしてくれたと聞いたが」


 隊長が確認するように言った。その問いかけにエメラは静かに答える。


「僕には助けられる力があるから、助けたいと思ったからその力を使っただけです」


「あまり人前で術を披露することは極力避けていましたがね」


「それに自分が勝手にやったことです。そこに対価を求めようとは思いません」


 エメラの声には、揺るぎない信念が込められている。


「隊長、あなたもそういう職業についているということは、少なからず人助けをしたいという気持ちをお持ちのはず」


「それともあなたは目の前に差し出された助けを求める手を振り払いますか?」


「打算で人を助けますか?」


 エメラは静かな口調で、淡々と伝える。表面上は怒りは見えない。しかし、隊長の詰問に不快感は感じているのだろう。


 ダンテの鼻は、エメラの今の感情を確かに感じ取っていた。僅かに震える怒り、そして傷ついた誇り。ダンテはエメラの足元で、じっと隊長を睨んでいる。


 隊長は黙ってエメラを見つめた。その目には、何かを見極めようとする鋭さがある。


 数秒の沈黙。


「そうか、分かった」


 隊長は静かに言った。


「セドリック、どうだ」


 隊長が魔術官に視線を向ける。


「エメラ殿の言葉に偽りはありませんでした」


 セドリックが答えた。その手には、いつの間にかフーチが握られている。


 どうやらセドリックはフーチを使い、エメラの言葉に嘘がないか確認していたようだ。おそらく隊長の指示、ひいてはこういった場面ではある程度フーチを使うことは警備隊の中で徹底されているのかもしれない。


「エメラ殿、すまないが試させてもらっていた」


 隊長が頭を下げた。


「……」


 エメラは黙って隊長を見つめていると隊長が顔を上げた。


「しかし、これで君の潔白は証明された」


「疑って申し訳なかった」


 ふう、と一息ついてエメラが伝える。


「あなたの立場なら、疑って当然でしょう」


 グレゴールは憤慨した様子だがそれをセドリックがなだめる。


「最初から信じておれば良かったものを!」


「グレゴールさん、お気持ちは分かりますが、隊長の職務も理解してください」


「むう……」


 グレゴールは納得していない様子だが、それ以上は何も言わなかった。


「エメラ殿」


 隊長が改めてエメラに向き直る。


「改めて礼を言わせてくれ。この街を、そしてカールを救ってくれて、本当にありがとう」


 そういうと隊長は姿勢を正し頭を下げた。隊長の声には、今度は真摯な感謝が込められているのが分かった。


「気にしないでください。隊長の職務を全うされたのがよくわかりましたから。頭を上げてください」


 エメラは静かに言った。その声には、先程の不快感は既になく、落ち着きを取り戻している。

 

「ありがとう」


 隊長が頭を上げると、エメラが話題を変えた。


「それよりもお聞きしたいことがあるのですが」


「ジルヴェント商会はご存じですか」


「知ってるも何も、世界最大の商会じゃないか」


 隊長が即座に答えた。驚いたような、少し呆れたような表情を浮かべている。


「小さなペンから魔道具、戦艦までありとあらゆる世界の売買に携わっているとも言われる。子供でも名前は知っているぞ」


「むしろ知らない君の方が驚きだよ」


 隊長は目を丸くし、エメラに説明する。それだけ有名で巨大な商会なのだろう。その表情をみて、エメラは苦笑した。


「すみません、世間知らずなもので」


「どういう成り立ちなんですか?」


「そこはワシが説明しよう」


 グレゴールが手を上げ、隊長に代わって説明を始めた。椅子に座り直し、腕を組む。


「少なからず取引もあるのでの」


「といってもワシも詳しくは知らぬがの。あくまで世間一般的な知識と大差ないくらいじゃと思っといてくれ」


 一度咳払いをする。


「そうじゃのお……成り立ちはおよそ600年以上も前と言われておる」


「600年以上!?」


 エメラが驚いて声を上げた。


「ああ。そのころはまだ小さな商会で、そこから徐々に大きくなっていき、今では世界の各地に支部を持つ最大級の商会となっておる」


「革新的な魔道具の開発、販売。貧しい地域には献身的なサポートなども行っていると聞く」


「それにより世界の争いが表向きは一気に減り、貧富の差が劇的に改善されたとも聞いたことがある」


 グレゴールの声には、敬意が込められている。国という垣根を超え、世界的に分け隔てなく支援をするというのはどれだけ難しく、また途方もない力が必要なことが分かっているからだ。


「世界最大になった大きな要因としては、船の開発じゃな。外洋の航海にも余裕のある耐久性。海の魔獣にも負けない戦闘力を持たせ、魔道具によって操船されているため、それ以前まで主に使用されていたガレー船や帆船よりも運搬可能な物量がけた違いにあがったことで一気に力をつけていったとされており、他の商会を取り込みつつ商業連合という協力関係をつくったことじゃな」


「商業連合……」


 エメラが呟く。


「そうじゃ。複数の商会が手を組み、互いに利益を分け合う。競争ではなく、協調の道を選んだんじゃ」


 グレゴールが頷く。


「ジルヴェント商会が無ければ世界はもっと混沌としておっただろうと言われておる。まあ、それでも全部の商会が組んでいるわけではない、反発して独立を保っている商会も数多くいるがの」


「それほどの影響力を……」


 エメラは考え込むように呟いた。


「なぜそんなことを聞くんじゃ?」


「もしかして、君の探している仲間がジルヴェント商会と関係があるのか?」


 隊長も興味深そうにエメラを見ている。その問いにエメラは曖昧に答えた。


「……そうかもしれません」


「トルクから聞いた話によると、ジルヴェント商会の会頭が俺の仲間の特徴によく似てまして……」


「トルク?」


「ああ、あの魔術師の男です。先ほど別れ際に名を聞きました」


「フーチは微動だにしなかったので本名でしょう。トルク・エジンと名乗っていました」


「それは俺たちも事前の取り調べの際に聞いている、本名でまちがいないだろう。そういえばそう言う風に名乗ってたな」


「しかし会頭が仲間!?どういうことなんだ?」


「それは……」


 エメラはどう弁明するか困った顔をしているところに、グレゴールからの助け舟が飛ぶ。


「会頭は昔から冒険者も兼業でやっているという話も聞いたことがある」

 

「とても行動力に溢れた人物だと言われておるな。行動力がありすぎてまるで何人もおるんじゃないかとも噂されるレベルじゃて」


「有名人なんですね」


「世界でも十指に入る位は有名じゃな」


 グレゴールが頷いた。それから、少し遠くを見るような目をした。


「かく言うワシも一度会った事がある」


「そうなんですか?」


 エメラが思わず身を乗り出した。


「あぁ、十年ほど前になるかの。この鉱山始まって以来と言ってもいいほどの大きな取引があってな。そこに幾人かの商人とともに同席されておった」


 グレゴールは記憶を辿るように、目を細めた。


「どこか飄々として掴みどころがない方じゃった。偉ぶったりはせずに人当りもよく、まるで年来の友人のような距離感で接してこられるでの。初めて会ったはずなのに、不思議とずっと前から知っておるような気がしてのう」


「外見は若々しく、年齢は聞かなかったが、ずっと昔から活躍されておるからまあいい歳であろう。見た目だけで言えば70代といったところかの。もしかしたらワシらが知らない不老不死に近い効果がある魔道具を持っている可能性もあるの、間違いなく世界一のお金持ちじゃろうからな」


 グレゴールは苦笑した。その笑いには、あの時の印象がまだ生々しく残っているようだった。


 エメラはグレゴールの話を聞きながら、黙っていた。飄々として掴みどころがない。年来の友人のような距離感。若々しい外見。


 そういう人物だったのか、とエメラは思った。


「エメラ殿も旅を続けて、いればどこかで会うこともあるかもしれぬな」


「そうですね……」


 エメラは小さく頷いた。


「そうだといいのですが」


 部屋に少し静かな間が流れた。


「旅と言えば、このあとエメラ殿はこれからはどうされるのかな?」


 グレゴールが話題を変えた。


「そうですね、まだ方向は決めていませんが……北か、東か」


 エメラは少し考えながら答えた。


「まだ決めかねてますね」


「北といったらアストリア連合国や、亜人達が建国しておる王国ヴァルドリンか」


 グレゴールが地理を語るように続ける。


「東なら大きな港街もあるな。商業の要所じゃ、情報も集まりやすい」


「北には、一度行ってみたいと思っていました」


 エメラが言った。


「亜人の王国か……」


「ヴァルドリンは独特の文化を持っておる。人間とは違う視点で世界を見ておるからの、面白い出会いがあるかもしれんぞ」


「それはそれで……」


「そういえば」


 グレゴールがぽんと手を叩いた。


「今回の依頼の報酬もまだ渡しておらんかった。エメラ殿、後ほど組合に来てくれんか。そちらで報酬を渡す準備をしておこう」


「今回の依頼は大変だったからな、ちゃんと色を付けてくれよ」


 ダンテが軽口をたたいた。


 それまで少し重かった場の空気が、ぱっと和らいだ。グレゴールが声を立てて笑い、隊長も口元を緩める。セドリックまで、普段の薄い表情に小さな笑みを浮かべていた。


 ダンテなりの気遣いだろう、とエメラは思った。こういう時、ダンテは絶妙な加減で空気を読む。普段の皮肉や強がりとは違う、柔らかい笑わせ方をする。


「ちゃんと活躍してくれた分だけ色をつけてやるわい、猫ちゃんよ」


 グレゴールがダンテに向かって言った。


「猫では無い、魔獣だ」


 ダンテが即座に訂正する。しかし今回は、怒っているというより、ちょっとした決まり文句を言い返す調子だった。


「はいはい、魔獣ちゃんよ」


 グレゴールがからかうように言う。


「……まあ、今回は許してやろう」


 ダンテが小さく鼻を鳴らしながら言った。


 また笑いが起きた。今度は全員が、声を立てて笑っていた。


 詰め所を出る前に、エメラがふとした疑問を口にした。


「そういえば、今回の件でトルク・エジンの処遇はどうなるのですか?」


 隊長はセドリックと目を合わせた。どこまで話していいものか、ということを目で会話でもしているのだろうか。短い沈黙の後、隊長が口を開いた。


「そうだな……君も今回の件の当事者なので、話せる範囲では伝えよう」


 隊長は腕を組み、慎重に言葉を選びながら続けた。


「トルクも騙された側ではあるが、結果的に犯罪に加担してしまったことは事実だ。何らかの処罰は免れないところは出てくるだろう」


「だが今回、尋問での結果で嘘が無かったこと、実際に人死にが出ないよう働きかけていたこと。冒険者の規約などに縛られ自由がきかなかったところ——情状酌量の余地はありそうだ」


「この後アストリアに送致され、そこで処遇が決まる」


「アストリアへ?」


「ああ。こういった案件は地方の警備隊だけで処遇を決めるには規模が大きすぎる。国の機関がさらなる取り調べを行い、最終的な判断を下す仕組みだ」


「今回のケースのようなことは、決して珍しい事例ではありません」


 セドリックが静かに補足した。眼鏡の奥の目が、少し遠くを見ている。専門家として、長年この問題を見てきた者の目だった。


「冒険者の規約が古く、契約と法とのすり合わせが刷新されていないためです」


「珍しくない……ということは、他にも同様な問題が起きているということですか」


 エメラは少し眉をひそめた。


「残念ながら」


 セドリックが頷いた。

 

 エメラは考え込むように言った。


「改善はされないんですか?」


 セドリックは一度眼鏡を押し上げ、話す準備をするように姿勢を正した。


「改善の試みは、何度もなされてきました。ただ……根本的な問題が複数絡み合っていて、そう簡単には解決しないんです」


「根本的な問題とは?」


 セドリックは指を立て、順を追って説明を始めた。


「まず1つ目は、冒険者を統括する組織と、各国の法整備を担う機関との間に、深い溝があるということです」


「溝、というのは?」


「冒険者ギルドという組織はご存じですか?」


「名前は聞いたことがあります」


 エメラが答えた。


「冒険者の登録、依頼の斡旋、等級の認定を一括して管理している組織です。規模は大きく、大陸をまたいで存在しており、独自の規約と体制を持っています」


「しかしここが問題でして——ギルドは各国の法律の管轄外に置かれているんです」


「管轄外?」


「ギルドが設立されたのは、今から三百年以上前のことです」


 セドリックは続けた。


「当時はまだ国家の枠組みが今ほど整っておらず、国をまたぐ魔獣の討伐や、複数の地域にまたがる調査依頼を遂行するには、どの国の法律にも縛られない独立した組織が必要だという考え方がありました。それが冒険者ギルドの成り立ちです」


「つまり、最初から意図的に国の法の外に置いたわけですか」


「そうです。当時は合理的な判断だったのでしょう。国境を越えて動けることが、ギルドの最大の強みでしたから。しかし——」


 セドリックは眉をひそめた。


「三百年の間に、各国の法律は大きく発展しました。犯罪の定義、契約の効力、証拠能力……様々なものが整備された。しかしギルドの規約は、基本的な骨格が当時のまま残っている部分が多い。その結果、現行の法律とギルドの規約が食い違う場面が、あちこちで生じるようになったんです」


「たとえば今回のような場合、ということが」


 隊長が引き継いだ。


「ああ。今の法律では、依頼内容が犯罪に該当すると判明した時点で、冒険者は依頼を拒否できる。しかしギルドの規約では、一度契約した依頼を一方的に破棄することは、原則として禁止されている。この2つが衝突するんだ」


「また、冒険者ギルドが冒険者との契約に用いるセイラントの契約書も管理しておる。ある意味この魔道具で冒険者を縛っており、これを外部に流出させるようなことはしないだろう」


「つまりトルクは——」


「法律的には依頼を断れた立場にあった。しかし冒険者の規約上は、断れなかった。どちらが優先されるべきなのか、現行の制度では明確な答えが出ていない」


「そんな……」


 エメラは言葉を詰まらせた。


「それはトルクだけでなく、俺も同じ立場になり得るということじゃないですか」


「その通りです」


 セドリックが静かに言った。


「現時点では、冒険者が法的に保護されるかどうかは、ケースバイケースで判断されるしかない。それが現状です」


「改善しようという動きはないのですか?」


「あります。しかし——」


 セドリックは少し疲れたような表情を浮かべた。


「これが2つ目の問題なのですが、ギルド側と各国の政府側で、お互いが相手に主導権を譲りたくないんです」


「どういうことですか?」


「ギルドとしては、独立性を保つことが存在意義の根本にあります。どこかの国の法律に従属してしまえば、その国の都合に合わせて動かざるを得なくなる。今まで国をまたいで公平に活動できていたのに、特定の国の影響を受けるようになれば、信頼性が損なわれる、という考え方です」


「一方、各国の政府は——」


 隊長が続きを引き取った。


「ギルドが大きな権力を持った独立組織である以上、自国の法律の外側にある存在を放置し続けるのは、統治上の問題があるという立場だ。しかし、かといってギルドを完全に国の管轄下に置こうとすれば、他の国との関係が複雑になる。ギルドはあくまで複数の国にまたがる組織だから、一国だけが管轄を主張することもできない」


「つまり……誰も決められない、ということか」


「法整備の会議は、何度も開かれています」


 セドリックが言った。


「しかし毎回、ギルド側の代表と各国の代表が持ち寄る案がぶつかり合い、まとまらない。協議が長引くうちに担当者が交代し、また最初から話し合いが始まる。その繰り返しです」


「気の遠くなる話ですね」


「ええ」


 セドリックは小さくため息をついた。


「ただ……今回のような事例が積み重なれば、いつかは動かざるを得なくなる、とは思っています。問題が可視化されなければ動かないのが組織というものですから」


「それまでの間は、被害が出続けるわけだ」


 エメラが静かに言った。怒りというより、やるせなさの滲んだ声だった。


「残念ながら、そういうことになります」


 セドリックは答えた。


 部屋に沈黙が落ちた。松明が揺れる音だけが、しばらく聞こえていた。


「俺にできることは……気をつけること、だけか」


「今のところは、そうなります」


 セドリックが頷いた。


「依頼を受ける際には、内容を細かく確認する。依頼主の身元を可能な範囲で調べる。怪しいと感じたら、深入りする前に立ち止まる」


「当たり前のことに聞こえますが」


「当たり前に見える判断が、実際の状況では難しい。今回のトルクのように、契約書にサインした後では引けない状況を作られてしまうこともある。だからこそ、署名の前が最も重要です」


「覚えておきます」


 エメラは真剣な顔で頷いた。


「それに」


 隊長が付け加えた。


「今回のトルクの事例は、アストリアの裁判所でも記録に残る。そういった判例が積み重なることで、将来の法整備の参考になる可能性はある。すぐには変わらなくても、無駄にはならない」


「……そうですね」


 エメラは少し考えてから言った。


「トルク自身は、そのことを知っているのでしょうか」


「さあ」


 隊長は答えた。


「しかし、送致の際に伝えることはできる。情状酌量の申請を行う際に、今回の証言が将来の法改正に繋がる可能性があることを含めて」


「できればそうしてあげてください」


 エメラは静かに言った。


「あの男は……複雑な状況の中で、できる範囲で誠実に動いていたと思います」


 隊長はエメラを見た。それから、小さく頷いた。


「分かった。善処する」


「では、おれはこれで。グレゴールさん、後ほど組合によりますね」


「承知した。いつでも大丈夫じゃからな、準備をして待っておるぞ」


 エメラとダンテは詰め所を後にする。

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